しっくりこなくなった言葉は手放し、しっくりくる言葉を再獲得する(「トランジション」から「うつろい」への移行)

個人的に体験したことを綴ります。

「トランジションとうつろいの定義と言葉の扱いについて変化を感じています。

これまでトランジションという言葉を使ってきました。移行、変遷。そういうものを意味する英語の単語です。

もともと、『トランジション 何があっても生きていける方法』を書くにあたって、これまですでに成り立っている系譜として参考にしたのが、ウィリアム・ブリッジズ著の『トランジション ――人生の転機を活かすために』やマインドフルネスの第一人者の一人、ドラッカースクールで教えていらっしゃるジェレミー・ハンターさんが提供するトランジションのプログラムなどでした。

そういう流れを自らも受けて、「トランジション」という言葉を使ってきましたが、最近は、その言葉を使うことが減りつつあり、代わりに「うつろい」という言葉をよく使っています。

自然も季節も移り変わり、巡っていきます。もちろん、人生それ自体、生きる自分の身体や心自体も移り変わり、巡っていきます。

こうあるべき!と思い、それになるように自分にハッパをかけてしまう変化の仕方も能力を上げるという意味では大事なことでしたが、次第に「変わっていってしまうものなのだ」という感覚が育っていきました。それに伴って「トランジション」という言葉が減り、「うつろい」という言葉を改めて掲げ始めたのでした。

身体感覚が変わってきているのに、以前と同じ言葉をずっと使い続けるのも違うなと思うので、より自覚的に、「うつろい」の言葉を使う方にシフトしていこうと思います。

うつろいは、自然と同期 / 同調することによる身体感覚の変化

頭の理解ではなく、身体がすでにうつろっている自然、季節に開かれていくこと、それによって、生まれてくるものを大事にしていくこと。そして、成熟し、を迎えていくことに委ねること。

自然をリスペクトし、自然をベースにした健やかな変化のあり方と(あくまで言葉の定義にすぎませんが、)定義したいと思います。

翻訳の差異から生じる新たな意味

ちなみに、英語への翻訳だと、「トランジション」としています。一方で仏教語への翻訳だと、「諸行無常」だとしっくりくるのではないかと思います。

私自身、自然を大事にする傾向にある日本に伝播した仏教思想に影響を受けてきました。そういう意味では、「諸行無常」という言葉も意味はわかるのですが、それを使うのはお坊さん方にお任せします。

その言葉を使っている時には、仏教世界の規範を背負わされるような感覚になりますので、今の自分には「うつろい」の方がしっくりきます。文化の流れは背負います✨(宗教と言われると個人的にしっくりこない。)

「うつろい」は仏教の言葉かというと、かならずしも、そうではありません。どの人であってもアクセスすることができる文化の言葉です。誰のものでもなく、みんなのものです。

文化は一握りの人だけがアクセスできるものではありません。私たち一人一人が生きている結果として生じている形態が文化です。

なぜいきなり翻訳について書き始めたかというと、最近、翻訳をテーマにした場に行ってきたからです。

私は、研究者のドミニク・チェンさんの取組みが好きなんですが、現在、2121 DESIGN SIGHT にて、「トランスレーションズ展」が行われています。

「翻訳」を介したコミュニケーションは、文字による言語だけではなく、視覚、聴覚といった感覚や身体表現などを用いて、送り手と受け手をつなぐ「架け橋」の役割を担っています。そして、その過程で生まれる解釈や変換、表現は、デザインやアートにも共通します。本展では、ドミニク・チェンの「翻訳はコミュニケーションのデザインである」という考えに基づき、「翻訳」を「互いに異なる背景をもつ『わかりあえない』もの同士が意思疎通を図るためのプロセス」と捉え、その可能性を多角的に拓いていきます。

ここでは、AIによる自動翻訳を用いた体験型の展示や、複数の言語を母国語とするクレオール話者による映像、また、手話やジェスチャーといった豊かな身体表現、さらには人と動物そして微生物とのコミュニケーションに至るまで、さまざまな「翻訳」のあり方を提示する作品を紹介します。本展が、「翻訳」というコミュニケーションを通して、他者の思いや異文化の魅力に気づき、その先にひろがる新しい世界を発見する喜びを感じていただける機会となれば幸いです。

翻訳をすることは、新しい意味を生じさせてしまう可能性に溢れています。

そして、言葉を使うということは、私たちのものの見方にダイレクトに影響を与えます。身体の感覚にすら影響があります。

逆に、身体感覚が変わってきたら、使っている言葉も変えていくのがしっくりきます。変わっていくたびに言葉の扱いもチューニングしていくのがよさそうだ✨と思っています💡

そういえば、中学校の時の夢は、通訳でした。

以前に想像していたのは、日ー英の通訳でしたが、今、私は、もう少し、違う通訳を行おうとしているみたいです。

人がゆたかな身体感覚を持って生きていくこと、自ずから生じてくるものを大事にしながら、表現して生きていくこと表現は、言語表現、身体表現、いわゆるアートの世界に特権的なものとしての表現ではなく、人が自分自身の実感していることをありありと現していくということ。

私は、人がその状態に至るための、通訳作業をしていきます。

その手段として、場作りもしますし、詩作もしますし、これから生まれてくる表現の仕方もあると思います。通訳という作業を通して、"間"にこぼれ落ちているものを拾い上げていきます。

トランジションからこぼれ落ちるものをうつろいで拾い、
うつろいからこぼれ落ちるものを諸行無常で拾う。
 
言いたいことは、言語になる前の創造的な流れの起こりの面白さ。
到底言葉で言い表しきれないので、さまざまな媒体で表現します💡

トランジションとうつろいの実践の場・月待講

さて、最後にご紹介です。

2020年12月8日、オンラインのうつろいの場を始めました。

「自分自身がどのような変化の只中を生き、何を想い、何を感じているのか」を集った方々と分かち合う定期的な会です。みなさんの創造的な生活のリズムを作ることができるように、継続的に実施していきます。

自分自身を省み、人生のうつろいを感じる習慣を作りませんか?


頂いたサポートは、生活と創作(本執筆)のために、ありがたく使わせて頂きます!