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大人と子どもとストレスの関係性 〜トイプードルと私とアダチル〜

トイプードルは、成犬でも落ち着きのない犬である。そして、私も、成人でも大人らしい約束ごとのできない人間だ。

そうは言ったが、実家には、3匹のトイプードルがいる。3匹もいれば、阿呆のトイプードルとそうでないトイプードルがいるくらい分かるのだ。

3匹のうちの1匹が、落ち着きのなく、甘えたで、どうしようもない、いわゆるトイプードルらしい挙動をする犬だった。そんな姿を見ていると、まるで子どものようにしか見えないが、人間であればいい歳の中年おやじだろう成犬の犬である。ほか2匹の成犬は?と言えば、真面目な躾はされていないながら、ごはんの時間以外はいたって落ち着いているのだ。人間や他の犬に甘えすぎることだってない。躾ができてないだけの成犬だとわかるのだ。

私は考える、私はちゃんと成犬なのか?と。もし、成犬でないのなら、なぜ成犬になれないのか?と。私の妹はちゃんとした成犬だ。

さらに広げて考える。今まで成犬らしい人間も、成犬になれない人間もたくさん見てきたつもりだ。彼らと私の共通点はなんなのだろうか?

一通りを考えて、出てきた仮説があった。人間が成犬になれないときがあれば、それはストレスが与えたれたときではないだろうか? そして、人間には、耐えられる限界のストレス量が初めから決まっているのではないか? ストレス量が一定のキャパを超えたとき、人間はそれ以上大人になれなくなるんじゃないか?

大人らしいスキルの中でも、外交的なスキルというのが、一定を超えたところから、なにも受け付けなくて、もどかしくて、ひどく苦しい。今後、内向的な意味での大人らしさが上がることがあっても、外交的な大人らしいことは何もできないんじゃないか?と思うことがある。


なにかがストップするのだ。



きっと似たような人はたくさんいるのだろう。
トイプードルとアダチルの間に私はいる。

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