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床屋と図書館 その7


 櫛は、真文の太ももの間あたりのケープの上に落ちました。
 「ごめんね」とおじさんが櫛を拾い上げた時、おじさんの指が真文の股間に触れました。真文のまだ柔らかい子供の体の中でも特に柔らかい部分におじさんの指が食いこんだ瞬間、真文の全身はビクッと反応して、背中は反りました。
 真文は恥ずかしい気持ちになりました。
 どうか指が触れてしまった部分が真文のおちんちんであったことにおじさんが気づいていませんように、と神様に祈る気分でした。

 そんなことを考えていると、ふたたび櫛が落ちてきました。
 真文は咄嗟に落ちた櫛を見下ろしました。
 真っ白なケープの右の太ももの上あたりに鼈甲の櫛は落ちていました。
 視界の右側からおじさんの右手が入り込み、人差し指と親指が櫛をつまみました。櫛はそのまま上空に引き上げられていくものとばかり思っていましたが、おじさんの右手は櫛をつまんだまま、真文の太ももの上を滑り這うように移動していき、真文の股間の上で止まりました。
 あっ、と真文が思った瞬間、おじさんの櫛をつまんでいない薬指と小指が真文のその小さな膨らみを、ぎゅっ、ぎゅっ、と2度も3度も押しました。
 真文は咄嗟に首を上げ、鏡に映るおじさんの顔を見ました。
 やめてください、と言わなければと頭の中では考えているのですが、胸のあたりが、全部、鉄鋼になってしまったように呼吸が止まり何も言えませんでした。
 ラジオから流れる子供電話相談室は終盤を迎えているようで「それでは最後の質問です」という司会者の声が冷たく聴こえました。
 店内には、まだ、甘じょっぽい匂いが漂っていて、大声を上げれば奥で料理をしている金子のおばさんに届くはずですが声は出ませんでした。
 真文は円な目を見開いて、ただおじさんを睨みつけるように見つめるばかりでした。

「ここ、触られると、気持ちいいでしょう?」

 おじさんは微笑んでいました。
 そして、囁くようにそう言いました。
 真文は小刻みに首を振りました。まるで金縛りを解くように振り続け、それからようやく「気持ちよくありません」と声を振り絞ることができました。

「そう? うちの息子は、ここ触られると喜ぶよ!?」

 真文はデニム地の半ズボンを履いていました。
 股間の部分は生地が重なっている上に金属のジッパーもついているので硬く、その上からほんの少し触られたくらいで気持ちいいわけがありません。

「気持ちよくありません」

 真文はもう一度言いました。

「そうか」

 おじさんは微笑み、それからまた真文の髪を切り始めました。
 櫛は、もう落ちてはきませんでした。
 この日の帰り、金子のおじさんはハートチップルとサッポロポテトの両方をくれました。 

 帰り道、真文は考えました。
 あれは一体なんだったのでしょうか?

 暖簾のすぐ向こうに金子のおばさんがいたはずなので、そんな場所であんなことをするのですから、金子のおじさんも、ただの悪戯か悪ふざけのつもりだったのかもしれません。

 思えば、男同士というのはあの手の悪ふざけをよくするものです。

 真文のお父さんも、真文が5年生になってからというもの、頻繁に「毛、生えてきたか?」と尋ねてきます。真文は顔を赤らめながら「生えてない」と言って逃げるのですが、お父さんはしつこく聞いてきて、最後には「男のくせに恥ずかしがるな!」と怒鳴るのでした。

 毛といえば、4年生の終わりごろ、同じクラスの佐藤が「俺、毛が生えてきた」と告白しました。「見せてみろよ」と羽賀が言い、教室の角っこに男子を集めました。

「女は、あっち行ってろ」

 羽賀は男子たちに何重もの壁になるように指示して、その一番奥で佐藤は白いブリーフを下ろしました。佐藤のおちんちんの周りには長く縮れた毛が数本生えていて、みんなで一斉に「オーッ!」と声をあげました。
 真文も「オーッ!」とは言いましたが、毛の存在に驚くよりも、自分がクラスで一番最初に毛が生えてきた生徒でなくてよかったと心から安堵していました。たとえ真文がそうであったとしても絶対に誰にも告白しなかったでしょうが。

 真文のお父さんも言うように、真文は男のくせに恥ずかしがり屋過ぎるのかもしれません。真文自身もそう自覚せずにはいられませんでした。

 きっと他の男子なら、金子のおじさんに股間を触られたところで笑い飛ばすのかもしれません。金子のおじさんの息子も、お父さんと悪ふざけを楽しんでいるだけなのかもしれません。親子のスキンシップとは、そういうことなのかもしれません。

 真文が頑なに「気持ちよくありません」と言うものですから、おじさんも調子が狂って申し訳ない気持ちになり、いつもはお菓子を1袋のところ、2袋もくれたのでしょう。

 真文は、男のくせに恥ずかしがり屋な自分を恥ずかしく感じました。
 金子のおじさんにおちんちんを触られて平気な顔をしていられなかった自分が残念に思えてきました。
 それに真文だって、触られた瞬間はとてもびっくりしましたが、少し時間が経って思い出してみれば、なんだか楽しかったような、もう一度味わってみたいドキドキ感があったような気もしました。

 おじさんに股間を触られた瞬間。
 ここ触られると気持ちいいでしょう?と尋ねられた瞬間。

 思い出すたびに、体を内側からくすぐられるような感覚になり、ジュワッと全身の力が抜けるようなその感覚の中には今まで感じたことのない気持ち良さがあり、真文は家に帰ってからも何度も何度も、それらの瞬間を思い出してしまうのでした。


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