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『忠』  〜1991年 年上の男〜 vol.2

忠は駅前の広いライオンズマンションに住んでいた。
シルバーアクセサリーの店を経営していてうまくいっているようだった。

「真文くん、指輪とかはしないの?」
「したことないです」
「じゃあ、そうだな…これ似合いそうだから、あげるよ」

初めて部屋を訪れた日、ゆったりとした革張りのソファに座りながら、忠は自分がはめていたシルバーリングのひとつをポンとくれた。

「悪いですよ」
「いいんだよ。売るほどあるんだから」

忠は顔をしわくちゃにしながら自分の冗談に自分で笑っていた。

「この黒い石は?」
「オニキス。魔除けの石だよ。悪いやつから守ってくれるんだよ」

オニキスのシルバーリングは僕の左手の人差し指にぴったりとはまった。
中学生の時にブラスバンド部で吹いていたトランペットにも銀のメッキが塗られていたけど、あれよりも黒みがかった銀色をしていた。
そして、オニキスという石は、なんにも見えないほどの真っ暗闇に包まれた時に見えてくる色に似ている、と思った。

「ピアスの穴は開いてないの?」
「ないです。校則で禁止されているから」
「そう言いながら、こっそりうちに開けに来る高校生も結構いるよ」

忠は医師ではないから違法なのだけど、希望者には店の奥でこっそりとピアスの穴を開けていた。

忠の耳にはいくつもの穴が開いていた。
両手のすべての指には大小の指輪がはめられていた。
最初に手を握られた時の優しい感触や、声や喋り方のトーンから、穏やかな人と思っていたけど、見れば見るほど、案外、派手でファンキーな人なのかもしれないと思った。

最初はただのチンパンジーにしか見えなかった顔が、だんだん久保田利伸のようにも見えてきた。


「開けてあげようか?ピアス」

目の前の久保田利伸が悪戯っぽく笑いながら言った。

「痛そう」
「痛いのなんて一瞬だよ。注射は苦手?」
「全然大丈夫」
「なら、大丈夫だよ」

忠は、穴を開ける機械を見せてくれた。
それは鉄砲みたいな形をしていて、どうしたって痛くないわけがないように見えた。

だけど、僕の心は、急激にピアスに惹かれていた。

自分の耳たぶに穴が開くことなんて。
ほんの数分前まで考えたこともなかったくせに。

今では、もう、なぜ、僕の耳たぶには穴が開いていないだろう、と激しく悔やむほどの気持ちだった。

「この黒い石は、オニキスという石なんだよ」
と、誰かに耳たぶを見せつけたい。

「魔除けの石なんだ」
と、今度は僕が誰かに知ったかぶりをしてみたい。

だけど、親に何を言われるかを考えたらテンションは下がった。
淳一と別れて外泊がなくなったから怒られる回数は減ったけど、僕のいわゆる『反抗期』は、まだまだ続行中だった。

「ちょっと…考えます」

それに、やっぱり、校則も気になった。
僕の高校はそれなりの進学校で、真面目な生徒が多かったから、ピアスなんてしている生徒はひとりもなかった。

無理だろうな、と思った。

とても残念だけど、そう思った。


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