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❷「60キロが800キロに乗るということ」

1)
日本から飛行機に乗って、久しぶりにアメリカに来ると、毎回感じることがある。
それは、「人間も自然の一部であり、生き物の一種に過ぎない」ということだ。
たいていの町にはすぐ近くに草原があり、川や湖があり、木の枝には鳥がいて、幹にはリスがいる。犬はもちろん身近にいるのだが、車で少し走れば鹿がいて雁がいる。あちこちに牧場があって、馬や牛が草を食んでいる。今回来たテキサス州オースティンにはアルマジロもいた。

人間にもいろいろなサイズや人種がいて、自分の「種類」というものを自覚せざるをえないのだ。
日本で都会生活をしていると、自分がアジア人であることもほとんど意識していないし、なんなら多くの日本人はその認識すらない。だから、「アジアの人は……」などと話しながら、そこに自分を含めていないかのように聞こえる。
日本はあまりにも清潔で、あまりにも安全で、あまりにも無味無臭に感じられることがたまにある。
だからと言って、僕自身は、野性を発揮してむやみに暴れ牛に乗りたいなどとは思わないのだが、ここにそれをしに来た日本人の若者がいる。
宇和野泰人(以下、タイト)は、宮城県出身の二十四才。

去年はカナダで、今年はアメリカのテキサス州で、ロデオ修行をしている。
ロデオの中には、暴れ馬に乗るものや、仔牛をロープで捕まえるものなどさまざまな種目があるのだが、ここでは省略する。タイトが挑戦しているブルライディングだけに絞ってお伝えすることにしよう。
そもそも、ブルというのは「去勢されていないオス牛」のことである。つまり種牛だ。
アメリカやカナダでは、牧場で牛が生まれると数ヶ月で焼印を捺されて所有者が明確に「表示」される。
この作業をブランディングという。その際に、個体識別用の耳タグの取り付けや予防接種などと同時に、オスは去勢される。そうしないとあちこちで勝手に交尾をはじめてしまい収拾がつかないからだ。去勢済のオス牛は、ステアと呼ばれる。
オスの中でも、特に体格がよく壮健なものだけが、去勢を免れ、ブルになる。
ブルは体重七~九〇〇キロに及び、筋骨隆々で首のうしろが盛り上がり、立派なキンタマをブランブランとぶら下げる。
ブルライディングに起用されるブルは、よく跳ねるようにブリーディングされた、モンスターの中でもエリートみたいなやつらだ。

日本でカウボーイ文化に興味を持つ人は、いくつかの入り口から入ってくる。
僕の場合はカントリーミュージックだった。タイトは西部劇の映画だったという。祖父の影響で西部劇を観て、クリント・イーストウッドや『トイ・ストーリー』のウッディまで、とにかくカウボーイの格好をしたものに惹かれた。
高校生の頃からユーチューブでロデオを観るようになり、自分でもやりたいと決意した。
高校卒業後は、ガソリンスタンドや酒蔵で働き、周りに牛はいなかったから、ひとまず近所の養豚場でも働いた。
昨年はカナダのカルガリーにホームステイしつつ、サスカチュワン州のロデオ・スクールに通った。

そう、北米にはロデオを教える学校があるのだ。
プロのロデオ選手が、後進の育成のために、牛に乗る施設を構えるのが一般的だ。テニス・スクールみたいなものだと考えれば、不思議ではない。
ここでひとつはっきりさせておきたいのは、ロデオというのは組織化されたスポーツであり、単なるガマン比べや度胸試しの遊びではないという点だ。
バンジージャンプの類ではないのだ。

プロ団体であるPRCA(Professional Rodeo Cowboys Association)が毎年ラスヴェガスで開催するシーズン最終戦「ラングラー・ナショナル・ファイナルズ・ロデオ」は、ロデオのスーパーボウルであり、十日間で十七万人の観客動員を誇り、CBSが全米に向けてテレビ放映する。
年間獲得賞金の上位十五人が出場でき、十日間に渡って、賞金総額八八〇万ドル(約十億円)を獲り合って競うビッグイベントだ。
とはいっても、プロでもないタイトがこの夏出場するのは、よりローカル色の強いCPRA(Cowboys Professional Rodeo Association。ややこしいな……)の大会である。
そして、タイトは、ランディー・リース氏という元海兵隊員のアパートに居候して、彼の指導を仰ぎつつ、テキサスの陽の下、「ロデオ・サマー」を生きる。

朝に目覚めて、冷蔵庫を開けても、男ひとり暮らしのランディーのアパートに食料は少なかった。そこに、男がもう二人寝泊まりしているのだが、昨夜、僕の到着が遅かったので、とりあえずビールくらいしか買っていなかった。
仕方なく、僕は朝からクアーズライトの缶を開けた。
タイトが起きてくると、Uberでタクシーを呼んで、一緒にカウボーイハットを買いに出かけた。ランディーは寝ている。
Uberは初めて利用したが、自分の情報を登録後、アプリを開いて行き先と人数を入力すると、近くの車が「何分後に到着する」と表示される。
ドアを開けると、もうそこに黒人のおじさんが待っていた。
目的地を告げる必要もないので、英語が苦手な旅行者にも非常に便利だと思った。
カヴェンダーズという大型のウェスタンショップには、カウボーイハットやシャツやブーツが、わんさと並べられている。

ところが、カウボーイハットというのは、選ぶのがなかなか難しいものなのだ。のちにランディーが言った。
「好みのデザインがあっても、自分に合うサイズがあるとは限らない。俺は特に頭が前後に長いから、本当になかなか見つからない。無理にかぶっていると、頭が痛くなって仕方ない」
「痛いハットは結局かぶらなくなってしまうもんね」
「そう。丸型、長円型とあるけれど、フェルトのハットは収縮する傾向があるから、長円型も置かれているうちにだんだん丸くなっていってしまうようだ。だから、ハットは一期一会。いいのがあったら買う方がいい」

僕はこの日、ロデオ・キングというブランド名のカウボーイハットを買った。
しばらく店で売れ残っていたようで、やや埃をかぶり、ブリム(ツバ)が歪んでいたが、ロデオ取材には縁起がいいような気がした。

「人間なんて、ブルからしたら『ティッシュ』みたいなものですよ」
ランチのバーガーを食べながら、タイトは言った。
「ん? どういうこと?」
訊き返した僕に、彼は繰り返した。
「ティッシュです。ティッシュ」
ブルのパワーをもってすれば、人間などそれくらい軽々と振り払える、ということらしい。
確かに、ブルの八〇〇キロの体重に、乗る人間の方はその十分の一以下だ。タイトは身長一六六センチ、体重は六二キロ。ブルは十三倍近い体重があることになる。
単純に計算をすれば、六〇キロの男性の肩に、四キロくらいの小型犬が乗っているとして、「ふんっ!」と体を揺すれば、その犬をわけもなく落とせるだろう。
ティッシュとまではいかなくても、それくらいなす術などない、と実際に振り落とされてきたタイトは感じているようだ。

「大会に出るエントリー料が六〇から一〇〇ドル。一時間も二時間もかけて会場まで行って、そこでまた二時間くらい出番を待って、ロデオ一秒」
ブルの脇の下からブルロープを胴体に巻き付け、それをぎゅっと締めてから片手に握り込む。獣毛に覆われた背中にまたがり、体勢を整え、ゲイト係にうなずいて合図を送ると、扉が開けられる。

ブルライディングのルールは、
・ゲイトが開いてから、八秒間乗り続けると採点の対象になる。
 それ未満の時間で落ちると、得点ゼロ。
 そして、たとえ十秒乗っても加点されるわけではない。
・ブルがどれだけ激しく動いたかで二十五点。カウボーイが、それをどれだけ見事に乗りこなしたかで二十五点。
 二名の審査員が五十点ずつの評価をして、合計百点満点の点数を競う。

以前は、十秒がルールだったが、やがて八秒に縮められた。
それは簡単になるようにルール改定がされたわけではなく、ブルが元気よく跳ねる時間というのは、わずかに十秒から十五秒くらいなので、人間ではなく、ブルに有利になるように設定されているのだ。

ロデオの起源は、西部開拓時代のカウボーイやバケーロ(メキシコの牧童)たちの仕事にある。
野生の馬を調教して乗りこなす。牛にロープを投げて捕まえるといった業務上のスキルを仲間うちで競い合うようになったことからはじまり、一八七〇から八〇年代に、それが見世物として人気を得て、やがて競技としての発展をみた。
だから、ロデオには
カウボーイ文化の伝統
エンターテインメントの高揚
エクストリーム・スポーツのスリル
が詰まっていると言える。

ランディーのアパートには、敷地内にジムとプールが併設されている。
タイトは、夜になるとトレーニングに向かった。
明日はダラスで大会があるからコンディショニング程度と言っていたが、それでも一般人から見たら、かなりハードなものだった。
体幹を中心に、複合的な動きを組み合わせたメニューを取り入れていた。つまり、ただ重りを挙げるのではなく、体を起こす、捻じる、立ち上がる、バランスをとる、静止したまま耐えるなど、複数の要素を持った、ジムのマシーンでは行なうことができない独特のものだった。
特に、棒にぶら下がってから、下半身を胸よりも上に引き上げ、腹筋を中心にして脚を振り子のように左右に動かすものは、僕も試してみたが、そもそもその準備体勢すらとることができなかった。脚をそんな高さにまで引き上げられないのだ。

タイトの全身は筋肉に覆われ、柔軟性にも富み、彼がロデオに対して本気で臨もうとしていることを物語っていた。

(つづく)


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