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2024年2月27日、消滅都市のサービスが終了します。

2014年5月のサービス開始からほぼ10年。ライトフライヤースタジオの処女作であり、自分がディレクターを務めながらゲームデザイン、メインシナリオを手掛けた、とても大切なタイトルです。
なんだかさみしいような、切ないような、不思議な気持ち。

TVCMを経験させていただいたり、アニメ化を経験させていただいたり、キティちゃんのリボンを外させていただいたり、川谷絵音さんに曲を書いていただいたり、歌詞を書いたりちょっとメロディを書いてみたり、全国大会やライブの自社開催をさせていただいたりと、ほんとうにいろんなことをやりました。
ゲームとしても、AFTERLOSTというリメイクを作ったり、ライトフライヤースタジオ初の3Dタイトルを作ったり(こちらは申し訳ないことにリリースできなかったのですが)と、いろんなチャレンジをさせていただきました。

そして、このタイトルでいろんな経験を積んだことが、いまヘブンバーンズレッドにつながっているなと思います。

もしお手元にまだアプリがある方は、ぜひプレイできなくなる前に、もう一度最終話(epilogue 5-3 生きていくよ)をプレイして、花澤さんの語りを聴きながら、ラスボスであるライトフライヤースタジオのロゴをやっつけてもらえたらとうれしいです。
※「やがて来る未来のイメージ」は、この日のことを考えながら書きました。できれば、ぜひもう一度見てほしいきもち。

めんどくさいよという方は、消滅都市 LAST ALBUMに入っている「harmony」「楽園」「扉」を聞いて、できれば歌詞も一緒に見ながら、あのときのことを思い出していただければうれしいです。

(自分で言うのもなんだけど、歌詞が書けたなーといまでも思っています)

もうすぐプレイできなくなっちゃうこのタイミングで、思い出話を。

7ヶ月2億円からはじまった青春

ロストという概念が生まれたのは2007年、まだ自分が20代前半のときのことでした。
当時自分は何故か、ブログに物語の断片を書きつけるという奇行をしておりまして、アンドロイドが人口の半分になった未来、東京がまるごとロストしちゃって……みたいなよくわからない話を書いていました。

それからしばらくして、ライトフライヤースタジオが立ち上がり、とにかくゲームをリリースしなきゃということで爆速でゲームシステムを考えていたときのこと。
当時はパズドラがすごく売れていたので、パズドラがパズルとカードゲームモデルを融合させたように、◯◯×カードゲームという考え方には勝算があるのではないかとチーム内で話し合いながら、ランゲームってどうだろうと考え出したのが消滅都市のゲームシステムでした。

そのふたつをくっつけるために、ランゲーム部分を担うキャラクターと、カードゲーム部分を担うキャラクターが、バイクで二人乗りしてるってどうだろう、というところからイメージを膨らませていきました。
映画の「レオン」が好きだったので年が離れた男女にしてみようかと考え、女の子のイメージは大好きだった小説「ダンス・ダンス・ダンス」のユキからいただき、そこから世界観を固めていくにあたってどうしようかという中で、昔のブログのことを思い出したのでした。

開発期間は7ヶ月、開発費は2億円。
ゲームを作ってない方はイメージしづらいかもしれないですが、これはとても短い期間で、とても少ない予算です。

とにかく時間がなかったので、そのブログから断片的なイメージを引っ張ってきて、世界観を立ち上げていったのでした。
なんかパズルがはまっていくみたいでうれしかったなあ。

シナリオを考えてから絵を発注するような時間はなかったので、とにかく必要そうなキャラクターとボスを一気にリスト化し、物語の流れはあとから考えていきました。
キャラクターたちは物語としての必要性と言うより、ゲームとしての必要性(それぞれのキャラクターが機能に紐づいています)から考えました。

音楽も最小限。喪失シーンの曲、とノイジークロークの加藤さんに発注して、上がってきたピアノ曲がとても素敵だったので、タイトル画面に当ててメインテーマとさせていただきました。

あまり長いシナリオは離脱に繋がるんじゃないかという思いが強かったので、はじめの3章は、最小限のテキストで最大限の効果を、ということを意識しながら書きました。
そういう意味で、プロローグのセリフは、かなりテキスト量における費用対効果がいいんじゃないかと思っていて、今でもとてもお気に入りです。

タクヤ「消滅に巻き込まれて生き残った少女ってのは、あんたのことか?」
ユキ「…だれ?」
タクヤ「あんたを助けにきた。ここから脱出する。…行くぞ!」

消滅都市「1度目の消滅」より

そんな7ヶ月の開発は、いま思い出しても青春だったなと思います。
会議室に3人くらい(うちひとりはメインプログラマーでした)で籠もって、タマシイのひとりひとりにTIPSを書いていたときのことなんかは、いまだに思い出します。

消滅都市というタイトルを考えたのもサーバーエンジニアさんでした。
みんなで役割を超えてゲームを作らなければ終わらない開発期間だったのです。

こういうはじまりかたをしたスタジオだったからこそ、いまのオープンなライトフライヤースタジオの文化が生まれたのかなと思っています。

リリース直後のピンチ

ゲームをリリースしたはいいものの、ストーリーがあっという間に終わってしまうこともあり、どんどんプレイヤーが減っていくという事態に陥ります。
イベントクエストとかも急いで作ったのですが、間に合わなかった。

いまライトフライヤースタジオの社長をやっている柳原が、当時は分析チームをやっていたということもあり、リリース直後の自分のところにやってきて「だいたい平均2週間くらいでクリアされてますね」と言われたときには、本当にやばいなと思いました。
今考えるとそれだけ熱中してもらえたということかなと思いつつ、お客さまが減ってしまうとサービスが成り立たないので、かなり青ざめました。

とにかくコンテンツを増やさなきゃ! ということで、プログラマーの手を煩わせず、できるだけデータでコンテンツを届けようということで、いろんな工夫をしました。
いま冷静に考えると、変なチャレンジはせずに、コンテンツを増やしていくことだけに集中すればよかったのですが……若かったんでしょうね、変なものをいっぱい作りました。

リリースが2014年の5月末だったのですが、いくつかのイベントをリリースした後、7月には「呪われし廃工場からの脱出」というイベントを作りました。
SCRAPさんの脱出ゲームが好きだったこともあり、ゲームでああいうものを作れないかなと、謎解きをすることでクリアできるというシナリオを作りました。こういうものを考えるのははじめてでしたが、追い詰められると何でも作れるものですね。

メインストーリーの続きである4章は、リリースから3.5ヶ月後の9月に配信しました。
開発期間はないけど新章感は大事! ということで、新キャラクターたちに登場してもらいました。これがはじめて、機能のためではなく、物語のためにキャラクターを作ったタイミングでした。

タクヤのライバルキャラクターのコウタは、タクヤの声を演じていただいた杉田さんが収録の休憩時間中「タクヤにはライバルキャラとか出てきたほうがいいと思うんだよね」と言っていて、そのアイディアをいただいて作ったキャラクターです。
リサはとてもいいキャラクターになったなあ。あんな上司がほしい。

背景アセットも一新したかったのですが、あまりに時間がない中でどうしようと考えたとき、そうだ全部差分にして制作期間を圧縮しよう! ということで、世界は石灰化してしまうことになりました。
いつか読んだ「塩の街」という小説のイメージが強く頭に残っていまして、そこからの影響を受けているんじゃないかと思います。

シナリオもタイムリープミステリーにしてみました。
リリース時は「アプリゲームにシナリオなんか不要なんじゃないか」と思っていたこともあり、シンプルでわかりやすく、テキスト量も短いものを目指していたのですが、リリース後のみなさんの反応を見ていて、ちゃんと物語を描いてもいいんじゃないかと思えたというのもあって、少し複雑なものにチャレンジしてみたのでした。

なんでタイムリープにしようと思ったのかな、たぶん「メメント」が好きだったからだと思うのですが、映画のプロットを構造分析してみると、映像じゃないと面白さが成立しないことに気づき、そこからはたくさんタイムリープものを読みました(なんで諦めなかったんだろうと過去の自分が不思議ですが)
いくつか読む中で、高畑京一郎さんの「タイムリープ」という小説を見つけまして、タイムリープで起こる驚きの質が非常に高かったので、この小説を構造分析しました(どの節に疑問を仕込み、どの節で解決して、それらをどういう多重構造にするのかという、物語を骨組みだけにする分析です)。
それをやってみることで、書けそうだなという実感を得られたので、はじめてのチャレンジをしてみたという感じです。

その後、ランキングイベントが10月に開催開始。
このあたりからようやく事業が安定してきました。大変だったなあ……。

そしてTVCMへ

確かはじめてのテレビCMは12月だった気がするのですが、このCMが、事業としても精神的な意味でも、消滅都市を一段上へと押し上げてくれました。

TVCM実現と成功のために尽力してくれたのが、当時分析チームだった現ライトフライヤースタジオの社長、柳原でした。

CMで入ってきてくれる人にとって、ここのゲームバランスを調整したほうがいいんじゃないかとか、ここのシナリオを盛り上げたほうがいいんじゃないかとかいろいろ提案してくれたので「じゃあやってみれば」と実際のゲームデータを作ってもらったというのが、彼のはじめてのゲーム制作でした。

あとから知ったのですが、趣味でRPGゲームのRTAとかをやっていたらしく、ゲームのデータ構造と、データによってどういう面白さが生まれるかというところへの肌感があったこともあり、分析も駆使しながら序盤を美しく磨き上げてくれました。
そこからノリでイベントシナリオとかも書いてもらいました。これもあとから知ったのですが、大学までイギリスにいたということを聞いて驚きました。日本語でシナリオを書けるイギリス人……

広告代理店のコピーライターの方(最近本を出しています)は「だけど、生きていく。」という素晴らしいコピーを提案してくれました。
クリエイティブディレクターの方には「消滅都市の競合はアプリゲームなのか」「本や映画、ドラマなど、物語全般なのではないか」という素晴らしいプレゼンをしていただき、このプレゼンは我々の意識を大きく変えてくれました。
このプレゼン資料は今でも大事に持っていて、ことあるごとに見直しています。

そして、CMはとても成功し、お客さまの数はどんどん増えていくこととなります。

組織をつくる

このあたりからチーム規模が拡大していき、自分はゲームデザインやシナリオを続けながら、同時に組織を作ることに尽力していくことになります。
まずやったのは「ゲームやシナリオの作り方をフォーマット化する」ことでした。

できあがったばかりのライトフライヤースタジオは、前述の通り、役割を超えてみんなが全部をやる組織でした。
そうしないと物事が回っていかないくらいに火の車だった。

だからこそ、バトルを作ったことのない人にもバトルを作ってもらわなきゃいけなかったし、シナリオを書いたことのない人にもシナリオを書いてもらわなきゃならなかった。
もちろん最後は全部レビューをして、自分自身で手を加えて完成させるわけですが、初稿がよければ自分も楽になるわけです。

そんなわけで作った資料が、これらの資料になります。

また、シナリオ担当、バトル担当などを切り分けない方針にしました。
クエストひとつ担当することになったら、シナリオも、バトルも、それに関わる発注も、おしらせも、すべてを担当する。

もちろん人によって得意分野はあるわけで、非効率といえば非効率なのですが、当時自分が作りたいと思っていたスタジオはそういうスタジオだった。
そしてこのときに、こういう方針でマルチスキルを持っていて当然という文化を作ったからこそ、その後に開発力を上げることができたんじゃないかなと思っています。

その後、自分は部長として組織を率いていくことになるのですが、担当タイトルだった「消滅都市」と「ららマジ」は、基本的にその思想で組織を組み上げてきました。
(プランナーだけではなく、エンジニアにもサーバーとクライアントの両方のコードを書いてもらいましたし、今でも背景アーティストには2Dの絵と3Dのモデルの両方を作ってもらったりしています)

ヘブンバーンズレッドにはこのときのメンバーが多く在籍しています。
いまではもちろん分業化が進んでいますが、あのときに「すべてを作る」という体験をしてもらったことの価値は、非常に高いと思っています。

ゲームシステムを作るプランナーも、Keyさんときちんとシナリオの対話ができる。新しくジョインしたメンバーにも、その思想が脈々と受け継がれている。
立派なスタジオになったなあと、しみじみ思います。

消滅都市は青春だった

みんながシナリオを書いて、みんながバトルを作って、みんなが体験を作っていく。悩んで、苦しんで、乗り越えて、お客さまに体験を届けていく。
当日配信のクエストが、ギリギリにようやく出来上がったこともあった。会社じゃダメだ、環境を変えようと言って、新宿のテルマー湯で一緒にシナリオを書いたこともあった。

シナリオを書くためにキャラクターの深堀りをしていったりすると、自然と人生の話になっていったりするんですよね。
どうしても超えられないライバルに悔しいと思った経験ってある?
忘れられない幼少期の失敗体験ってある?
そのときにこの言葉は言うかな、言わないよね、もうちょっと違う言葉を選んでみるとしたら、どういう言葉がいいだろう……。

だからこそ消滅都市の物語は、ひとつひとつの物語が、誰かの人生です。

アップデートを繰り返していき、物語は「第5章」「失われし世界」「2度目の消滅」「天上の世界」と、大きく展開していくこととなります。

リリース時のシナリオから、タイヨウという名前のボスが「連絡船」やら「球根」やらと無意味につぶやくというシーンがあったのですが(これも奇行ブログからの引用でした)、ここから「巨大な球根を浮かべよう」と決めて作ったのが「失われし世界」。
世界観アートとしてこれまでなかった新しい驚きのあるものを出したい、と考えたのですが、中がどうなってるかとか全く決めていなかった。

RPGをプレイするみたいに、主人公になりきって、そこに何が見えるかから物語を作っていく。しっくり来るものにはあとから必ず答えが見つかる。これは村上春樹さんや宮崎駿さんのやりかたをマネさせていただいています。

「2度目の消滅」のオープニングアニメはGONZOさんに作っていただきました。監督は呪術廻戦の監督です、立派になられていてびっくりしました……。
ゲーム中でも終末時計というものが表示されるようになり、そのカウントダウンが0になるとアップデートになるという形を取りましたが、本当にそれまでに作り終えられるのだろうかとヒヤヒヤしながらギリギリの進行をしていました。

「2度目の消滅」のタイトル画面には、幼いユキとソウマのシルエットを入れました。
これもシナリオ的な帰結は全く見えていなかったのですが「そんな絵な気がしない?」「するよね!」というチーム内での感覚の一致もあったので、これは絶対に正しいはずだ(なんだかまだわかってないけど)という確信のもと、絵に入れ込ませていただきました。
この謎が解明される「2度目の消滅」のエンディングはなかなかにすごいですよ。なるほど、こう繋がるのか!って、作ってる自分たちが一番びっくりしたかもしれません。

「天上の世界」へのアップデートは、はじめて自社開催したライブの直後に実施するという流れにしました。

当時、チームラボさんの作品を見て、平衡感覚を失ったりしながら映像に没入していくという体験を自分も作りたい!と思いまして、360度モニターに取り囲まれているニコファーレで実施しました。
海の底へと沈んでいくソウマに感情移入しながら、自分自身も映像の中、沈んでいく体感の中でソウマのセリフを聴く。そんなソウマを救う役割として、自分自身も物語の中に参加する。

曲とセリフがぴったり合わないと成立しないライブだったので、マンションの一室みたいなところでみっちり稽古しました。楽しかったなあ。
当日、お客さまみんなで手を繋いで大合唱している様子、たぶん一生忘れないんじゃないかなと思います。

長い運営期間の間、曲もたくさん作っていただきました。
発注して、初稿をいただき、それを聴きながら「ここにEternityのメロディ入れたらアツくないですか?」「ここにI miss you baby入りそうじゃないですか?」なんて言いながら、楽曲群を組み上げていきました。

歌のレコーディングで一般的な方法は、一度歌っていただき、そのあとに直したい部分を部分的に歌う、という形なのですが、消滅都市では通しで何度も歌っていただき、良い部分をつまんでいきながらひとつの流れを作る、という形にさせていただいています(亀田誠治さんがどこかのインタビューで語っていた方法を参考にさせていただきました)。

また、レコーディングのときにもリアルタイムで、ここにこのフレーズ入れちゃわない? なんて言いながら、曲に厚みを持たせていきました。
スタジオでミックスしていただいたものを聴きながら、ちゃんと涙腺が緩むだろうかと確認し、足りなければその場で何かを足していく。
このメンバーだからできた作り方だったなと思います。

どの現場も、ほんとうに青春でした。

そしてエンディングへ

2020年の5月、消滅都市のメインストーリーは完結することになりました。
そこまでの流れを振り返ってみます(自分の書類フォルダを更新日順にならべてみながら)

The Eraserの初稿を書き上げたのが2019年の8月26日、その2日後の8月28日に「消滅都市の今後」という書類を書いています。

◆最高に盛り上がった状態でのメインストーリー完結を「最高の思い出」にする

大切なのは記憶に残る/残すこと。もちろんストーリーのクオリティも大事だが、そのとき仲間と一緒に盛り上がったこと、いろんな話をしたことなど含め、ゲーム内外の体験を総合して、最高の思い出を提供できるのがベスト。「最高の思い出」を提供するために、いま、消滅都市のコンテンツ量を増やし、盛り上げを作っていく『テコ入れ』が必要。


◆運営統合されている利点を活かす

いま、AFTERLOSTの人員を思い切って消滅都市に寄せ、「最高の思い出」に繋げていくための下地を作っていきたい。
消滅都市とAFTERLOSTの盛り上がりは強く連動している。いま本体である消滅都市を盛り上げることが、IP全体を盛り上げる最も直接的な近道。
AFTERLOSTメンバーは、日々の運営に組み込まれる形ではなく、特命隊として自律的に動けるような組織構造にする。
AFTERLOSTのコンテンツ量は激減することになるが、緩やかに死んでいくよりも思い切った手を打っていくべきタイミング。「運営コンテンツである」「永遠にプレイしつづけてもらうものである」という考え方を捨て、消滅都市全体で「最高の思い出」を提供する上での、ひとつの大切なツールである、という考え方をもとに再設計していく。

社内文書「最高の思い出を(消滅都市の今後について)」より

その後、2019年の9月4日(明け方)に「太陽系第三惑星の片隅に咲く花」を書き上げ、エピローグのメインシナリオのバトンを盟友へと手渡します。

2019年の年末より部長職を引き継ぎ、自分はヘブンバーンズレッドの開発に参画。
下記記事でその話を書いていますが(まだタイトルは伏せていますが)。

実はこの出張、ぜんぜん別のタイプのゲームを作るつもりで視察に行ったんだけど、行きの飛行機の中でヘブンバーンズレッドのシナリオを読んで、第二章のラストシーンがゲームとしてどう表現されるべきかがありありと思い浮かんでしまい……飛行機を降りたヘルシンキの空港では、すでに俺がやるべきだという使命感に燃えていました(笑)

そして、そのための組織変更を行なったのが2020年の1月。確かその年末年始が「天上の世界」の最終話。
そして、2020年の3月2日にエピローグの最終話を書き上げています。
消滅都市のラストとヘブンバーンズレッドの開発を同時に行なっていたことと、その流れは、こちらの記事に詳しく書かれています。

そんな忙しい中ではありましたが、私たちの歩みは最後の最後まで青春でした。

ベオランキングとか、本当に面白かった!
ランキング1位に君臨しているラスボスを、みんなの手で圏外に叩き落としたらシナリオが進むというギミック。

ノーヒントで出したので、みんなが気づいてくれるかとか、とはいえすぐに気づかれてしまうと物語体験にならないよねという中で、ギリギリのスコア設定がとてもうまくいきました。ドキドキしたなー。

メインストーリーが完結することを花澤さんにお伝えし、最後の収録をしたときは、なんだか泣きそうになってしまった(このまえヘブバンのABコラボまわりの収録で久しぶりにお会いしました)

周年ではなんだかんだ、開発メンバーみんなであの頃の思い出話をしています。そのたびに青春だったねと話をします。

こういう記憶があって幸せだな、と思います。

消滅都市2リリース時のキャッチコピーは「記憶は、生きつづける。」でした。
あの頃は「そうなったらいいな」と未来を思う言葉でしたが、いまは過去を振り返りながら「確かな実感」を得ている言葉です。

そしてこの幸せな記憶が、自分を生かしてくれていると、そう思うのです。
窓に咲く虹色の光で目覚めた、新しい1日のはじまりの瞬間なんかに。

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