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映画『生きる living』を観てきました

とても素敵な映画だったので日記代わりに書き残します。題名の通り、映画『生きる living』(カズオ・イシグロ)を観てきました。

出不精なもので普段は映画館になかなか行かない(行きたいという気持ちはある)感じなのだけれど、カズオ・イシグロが監督ということでミーハー心が刺激されて重い腰を上げました。
公式サイトの作品説明がよくまとまっているので「あらすじを書かずに感想だけ書きたいなあ」なんて思っていましたが、あらすじに乗っからないと上手く感想が書けなかったので小学生時代の読書感想文スタイルで描きます。エンタメ的なストーリーの起伏がある映画ではありませんが、ネタバレ注意です。(常体と敬体が混ざっているのはわざとです。)


主人公ウィリアムズは既に妻を喪っており、息子夫婦との関係もうまくいっていない、職場でも所謂「お役所仕事」をこなして職場の部下からも特別慕われていない。決まった日に映画を観るくらいしか趣味もない。そんな男です。端から見れば退屈そうな人生だし、なるほど似たような人生を送る人はいつの時代も一定数いそうです。
そんな彼が余命宣告を受けるのですが、家族とはもう壁ができてしまっていて打ち明けられない。自分に死が迫っていることを突然知らされ、しかもそれを一緒に受け止めてくれる人はおらず、独りで死と向き合うしかない。その様子がすごく静かな、けれど苦しげな演技で表現されていて、観ているこちらもとても苦しくなる。特に、家族に余命のことを打ち明ける練習をして、それでもいざ家族を前にすると打ち明けられない、そのもどかしさがとても苦しい。観ていてまさに胸が締め付けられるようでした。

その後「人生を楽しむ」ために享楽的な遊び(仕事をサボって海辺のバーで呑んだりクラブに行ったり)をするものの、それまでの遊びの少ない人生を送ってきたせいで馴染めない。自分を長らく縛っていた仕事を離れても楽しむことができない哀しさが、台詞としては発されないけれど伝わってくる。
彼がどこにも居場所を見つけられない哀しさが表れるシーンだと思うだけれど、バーでスコットランド民謡『ナナカマドの木』を歌う場面が本当に綺麗だった。クライマックスでも歌われるのだけれど、自分はこちらのシーンの方が好きだった。歌声の穏やかさやウィリアムズの表情がすごく良かったです。
作品全体がそうなんだけれど、映像をわざと古い感じ(解像度や彩度を下げていたり、映像に横線––なんて言うんでしょうね、昔の映画のフィルムの切れ目見たいな揺らぎ––があったり)にしてあり、それが映像の温かさにや静かさに繋がっているんだと思います。音楽だけでなく音、例えば書類をめくる音や足音も少し古めかしく、それが映画館の音響で心地よかったです。歌の場面でもこの静かさや温かさがじんわりと沁みてくるようでした。

海辺から戻って部下のマーガレットに出会うと、実は裏で「ゾンビ」とあだ名されていたことを打ち明けられる。死んでいるようだけれど動いている、死んでいないけれど死んでいるような存在だと。ウィリアムズはそれに対して、図星であると認めた上で子供の頃は「紳士」になりたかったのだと語る。特別な存在ではない、列車に乗ってスーツを着て、ハットを被って仕事に向かう紳士の姿に憧れていたと。ウィリアムズは表面上は紳士になれているが、その実はゾンビのような生き方になってしまった。そしてそんな生き方をやめようと決意する。「ゾンビ」のような生き方は現代でも共感できるテーマというか、無為に日々を生きる人は現代の方が多いのかもしれないなあ、なんて思ったり。映画に教訓めいたものは特に求めていないのだけれど、耳が痛くなるテーマだ。仮に何かしらの問題意識を持ってこの映画が作られたのであれば、きっとこのテーマに対してなんだろうなと思う。
毎日同じような日々を生きていれば心は気づかぬ間に削れて鈍麻する。そうしていつの間にかゾンビになる。子供のように世界に敏感なままでは生きるのがしんどいけれど、望んでゾンビになる人はいないだろう。

それからウィリアムズは余生で仕事に打ち込んで結果を出し、周りの人から慕われつつ亡くなる。ことなかれ主義のお役所仕事をやめたことで成果を出し、人から慕われることになった彼は最期に紳士になったのだろう。成し遂げた仕事に達成感を覚えながらも、ウィリアムズ自身が「自分の成し遂げたことは小さな仕事で、いつか誰からも忘れられてしまうかもしれない仕事だ」と自覚していたことが好きだった。実際、もう一人の主人公であるピーター(熱い新入社員)以外は、「ウィリアムズのような誠実な仕事をしよう」という誓いをあっさり忘れてしまう。人間そんなものだろうと思う。そう自覚した上で、全力で仕事に打ち込んで達成感を得るウィリアムズは、かっこいい仕事人間だった。

そんな余生を送りつつも最期まで息子夫婦には病のことを打ち明けられなかったことが切ない。息子夫婦に打ち明けて余生は家族仲良く過ごし、彼の仕事ぶりは永遠に語り継がれました、というような大袈裟なドラマはなく、彼の生き方が変わっても周りは少ししか(この少しが大切だけれど)変わらない。それは寂しいことだけれど、人が数ヶ月で成し遂げられることなんてそういう範囲だよな、と思う。そしてそれを静かに肯定してくれるような温かさが、この映画を見た後の充実感に繋がっているのかなと思う。

あらすじに乗っかって感想をつらつら書いただけになったけれど、好きな映画がまた一つできた記録として。
余談だけれど、映画館の隣の席に座っていたのが少し足腰の悪そうなおばあさんだった。その方は歩くのも大変そうだったけれど、一人で映画館に来て観たい映画を観る、という老後がすごく素敵だなと思った。自分が老いる頃にどんな趣味を持っているか分からないけれど、そうやって楽しい場所に自分から向かえるような老後だといいなあ、なんて思った。


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