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『マチネの終わりに』を読みました

「マチネ」って言葉、オシャレですよね。ヨーロッパ的な香りがして、ちょっと料理っぽくもある言葉。

タイトルの通り、ついに『マチネの終わりに』を読みました。自分が趣味でクラシックギターを弾いているのもあって前々から気になっていたものの、読まないうちに文庫化してしまっていた。今日読み終わったので勢いで感想文を書きます。画像は僕のギターです。写真が適当すぎる。

出版された当時にギタリストの福田進一さんが色々言及していたこともあって、クラシックギタリストの恋愛の話らしい、という前情報だけ持っていました。ここから感想を書いていきますがガッツリネタバレしちゃってるので、ネタバレNGの方はそっと離れてくださいね。

物語の最後の方で語られている通り、なるほど運命劇かつ性格劇であり、悲喜劇であるし、最後の洋子と父の会話はとてもじんときました。男女の愛の話かと思ったら最終的には親愛に昇華された愛の物語となるのは、途中の恋愛の話が少しモヤっとする分美しく思えます。途中は本当に綺麗で哲学的な昼ドラかよと思いました。そもそも昼ドラを見たことがないですけど。
その辺の章は苦しむ人も多い(というか登場人物だいたい苦しんでる)ので読んでいる側もしんどかったりしました。それでも進んでいく時間の中で愛を昇華させていき、それが芸術という形で実を結ぶのがすごくよかった。

かつて劇場は1つの世界の象徴であって、劇場に響く音楽はその世界に調和をもたらす性質を持っていました。(シェイクスピアの『テンペスト』がそんな感じの話で、僕は大好きです。小田島訳がおすすめです!)
そういう思想がまだ強かった時代には人間も小宇宙と考えられていました。作者さんが意図しているかどうかは存じ上げませんが、僕は『マチネの終わりに』の中にその思想が生きているなと思いました。
コンサートホールという「世界」に調和の音楽をもたらした薪野。その「世界の調和の音楽」が小宇宙、つまり1つの世界である人間(洋子)の中に共鳴することで洋子の心が救われる。そんな前時代的なアレゴリーが込められた物語なのかどうかは分かりませんが、僕はそういう風に読みました。たぶん最後の「劇」の話でシェイクスピアに言及されていたせいで引っ張られましたね。

自分が大学で文学をやっていたことや、趣味でクラシックギターを弾いているというのもあって、要所要所で挟まれる思索的な会話も楽しく読めました。こういう文章を楽しめると、文学を学んできてよかったな、音楽が好きでよかったなと思えますね。
そういう知識がなくても、人間ドラマとして引き込まれる物語です。やるせなさと愛情、芸術に打ち込む人のカッコよさ、そういうものが絡み合ういい小説でした。こんだけ結末に関わるネタバレをしておいて未読の方向けのコメントを書くのもアレですが、おすすめです。

プライムミュージックで福田進一さんのCD『マチネの終わりに』が聴けたので、それを聴きながら書きました。やっぱり福田さん上手い。ストリーミングで聴いているのにCDって書いてしまうのは何故なんでしょうね。終わり。

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