野田地図『Q』 A Night At The Kabukiを見てきた話(ネタバレあり)

NODA・MAPの『Q』を昨日観に行ってきて、もうとても面白くて何か書きたくなって筆(キーボード)を執った次第。すでに世間でいろいろな方が感想を書いているけれど、なにくそ俺の感想は俺だけのものだ! ってことで感想を書きます。まだ感情を整理できていないので、書いている内に文章が散らかってしまったけれど……。

劇の内容としては、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を源平合戦の2勢力に置き換え、ロミジュリをデフォルメしてその滑稽さを茶化しながらも、いわゆる名台詞を伏線に第2部の戦争批判(と一言で言っていいかは微妙なテーマだけど)のシナリオにつなげていく感じ。そのBGMにQUEENが使われている。手法がメタ的でそれも面白い。

『Q』の詳しい内容は、『新潮』12月号に戯曲が掲載されているらしいのでそちらに譲り、面白かったなあと思った点に絞って書いていきます。めちゃくちゃ笑えたので大体の場面が面白かったけれどそれはそれとして。ネタバレ含みます。

ロミジュリには名場面や名台詞がいくつもあるけれど、やっぱり一番有名なのはバルコニーのシーンで、

「ロミオ、あなたはどうしてロミオなの。(中略)薔薇は薔薇という名前でなくても、その美しい香りは変わらない。あなたが本当に私(ジュリエット)を愛しているのなら、そのモンタギュー(『Q』では平家)の名前を捨ててください」

的なことをジュリエットが話すシーンだと思う。『Q』でもこのシーンは長い時間をかけて演じられていて、その他のロミジュリのシーンはほとんど茶化しているのにこのシーンは「ロミジュリまっしぐらだなあ」と思えた。このセリフが第2幕のキーになる。広瀬すず(ジュリエット)と志尊淳(ロミオ)、めっちゃ顔が良かった。美男美女なだけでなく、演技している姿もカッコ良かった。

第2幕では紆余曲折あってロミオは本当に名前を捨て、一兵卒として戦争に出る。日本史を勉強する中ではあまり意識しないけれど、日本統一前の戦は当時においては戦争なんだなあと気付かされる。ここで戦争が源平合戦とシベリア抑留がクロスしたようなものに入れ替わっている。そこでロミオは無名の戦争奴隷になり、ジュリエットには幻想でしか出会えないまま死んでしまう。
死の間際、都に帰るとある戦争奴隷に手紙を託すのだけれど、その時に手紙を託される奴隷のセリフがとても良かった。一言一句覚えていないけれど、大意は「手紙は検閲されてしまうけれど、頭の中は検閲できない。君の言葉を記憶して、それを手紙として届けよう」。もしかしたら表現規制の是非が叫ばれている世の中を反映したセリフなのかなと思ったけれど、そういう背景を抜きにしてもいい言葉。

シェイクスピアの原作で描かれる『美しい死』と反対に、名も無い戦死者の1人としてロミオは死ぬ。ジュリエットの手紙として、奴隷として働く中で人を愛する力を失ってしまったことが語られ、名前を捨てた者としてではなくロミオという一個人がいたことを忘れないでほしいと締めくくられる。泣けた。
戦争は人から愛する力を奪ってしまうし、数字として語られてしまう戦死者もそれぞれ名前を持つ個人だった。戦争と匿名への批判。数字として死んでいこうとする個人の叫びを目の前で聞くと本当に泣けてきて、劇場で観ることができてよかった。

何もまとまらないまま書いてしまったので何も締まらない文章になってしまったけれど、とにかく観に行ってよかった。また観劇したくなりました。

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