平成元年に一年生だった同期達へ、令和元年初日に思う

いよいよ2019年5月1日、令和元年が始まりました。世間はお祭りムードで、こうして新しい時代を迎えられることをとてもありがたく感じます。

先日、同い年生まれの友人達と飲む機会がありまして、もう36〜7歳になろうというのにいつまでも学生ノリが抜けないというか、気持ちが若いままきてるのはきっとまだ「平成」だからじゃないかという話になりました。

昭和57−58年に生まれた私たちが小学校一年生だったのは平成元年、初めて座った教室で「今年は平成一年だけれど元年って言うんですよ」と言われたのをうっすらと記憶しています。小学校から大学まで約16年、平成の半分以上が学生だった訳で、平成に育ててもらって今の自分があります。だからなのか、平成はなんとなく「与えられた」時代だと感じています。

当時の大人たちが一所懸命に作ってきた平成という時代。バブル崩壊の影て、家でも収入や生活パターンが変わって大変だった人も多かったのかもしれない。小学校6年生の時には阪神淡路大震災が発生。その後オウム真理教の事件が発生し、キレる17歳などと言われ、大学に入るとアメリカ同時多発テロ。成長する間近で大きな事件や災害を見続け、その度になんとなく乗り越えられてきたような気がするのは、その時々の大人が必死になって子どもには不自由させまい、子どもの生活だけは守ろうとしてくれた、誰かがなんとかしてくれたからこそ、今こうして生活ができているんだと、自分が社会に出て、家庭を持ってやっと感じるようになりました。

色々あったし、子どもの頃は言いたいことも山ほどあったけど、なんだかんだ言いながらここまで社会を続けてくれた先人たちを思うと、平成という戦争のないありがたい時代に子どもだったのは幸運だったということでしょう。

これから来る令和の時代は、確実に自分たちの世代が作り、後始末の道筋まで見せないといけない時代です。どの大きさまで見せるかは個々人が決めればいいことだと思いますが、国レベルから会社やチーム、ひと家族レベルまで、なんらかの単位で自分がリードして自分で決めて、後ろの世代を導いていかないといけません。そう考えると、身が引き締まるような、頼るものがなくなった怖さのようなものすら感じます。

とは言っても、目の前のことに一所懸命打ち込む姿勢を見せることしかできないのですが。あまり気負わずにやっていこうと思います。同期のみなさん、体力的にはこれからあと10〜15年くらいしかガッツリ働けないそうです。後悔のないよう頑張っていきましょう。

余談ですが、辛坊治郎さんもメルマガで言っていましたが元号を時代として捉えるのは人間の生きる時間と合っていてしっくりくるというのは一理あります。西暦の方が便利なことも多いですが、せっかく日本に生まれたのでこの元号という文化を楽しんでいければいいですね。

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