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ワラビスタンのクルド人①

 埼玉県蕨市にトルコから来日した多くの難民申請者たちが暮らすクルド人コミュニティーがある。日本の難民認定率は極めて低い上に、トルコ国内に政治的迫害があることを認める「難民」としての認定は、両国の関係性を損ねるとされ、これまでトルコ国籍のクルド人は一人も難民認定されていない。

 今や数千人規模になったコミュニティーは1990年代初頭、単身の男性たちがクルド人として生きるためにトルコから査証免除で入国できる日本へと逃れてきたことから始まった。「国を持たない世界最大の民族」であるクルド人の存在はトルコ国内では認められず、クルド語を話すだけでも差別や迫害に遭ってきたのだ。

 埼玉県南東部に位置する蕨市。人口7万5000人程のこの街は、戦前から小さな町工場が点在していたこともあり、古くから外国人労働者が大勢暮らしている。市が公開する統計によると、外国人の人口は7千人を超え、およそ10人に1人が外国人という計算になる。そんな外国人比率の高い街に集住しているのがクルド人である。

 トルコやシリアを中心とした中東地域に暮らす彼らがこの地に定住し始めたのは1990年代のこと。トルコ政府などによる迫害から逃れるため、一部が観光ビザなどで来日。その後仲間を頼りにクルド人難民が次々と同地周辺に押し寄せた。市の名前にペルシャ語の「スタン」(国や地方を意味する)を合わせ、蕨市周辺が「ワラビスタン」と呼ばれ始めたのも同時期と言われる。その後、クルド人は年々増え続け、現在では蕨市や隣市・川口市を含めた埼玉県南部だけで2千人以上が暮らしているとされる。
 彼らは日本で働き口を探し、徐々に生活基盤が築けるようになると故郷から家族や親戚を呼び寄せ、学齢期前後の子どもが多数来日した。移住の意味も、異国の言葉も分からぬまま日本の学校に通い、日本語と文化に順応しながら「在日クルド1・5世」として成長した彼らの進路は、来日の時期や家庭環境によってばらつきがある。

 小学生以下の年齢だった子どもは、日本の生活に慣れやすく順調に進学していくが、移住のタイミングや保護者の事情で中学校に通えなかった若者もいる。男性の場合には、10代のうちから解体業に従事する者も少なくない。現在、彼らの在留資格にも微妙な違いはあるが、一様に不安定な身分のまま、埼玉の地に根を張り暮らしている。

 クルド人…私自身もいままでクルド人の苦境を知らずに過ごしてきた。だからこそ読んでいただけるとありがたい。

 このテーマは「ワラビスタンのクルド人②」というテーマで明日も投稿する。

つづく

 

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