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ユダヤ人にはなぜ国がなかったのか

 世界のユダヤ人の人口は現在約1,400万人とされており、そのうちの約630万人(44%)がイスラエル、570万人(39.5%)がアメリカで暮らしている。世界にいるユダヤ人の約8割がイスラエルとアメリカの2カ国で生活している。次いで、フランスに46万人、カナダに38.8万人、イギリスに29万人となっている。

 ユダヤ人とは「母親がユダヤ人で、かつ他宗教に改宗していない人」または「ユダヤ教に改宗した人」を指す。いわゆる「ユダヤ教」を継承する人々のことだ。

 ユダヤ教は、聖書に登場する唯一絶対の神に従い、戒律を実践する宗教であり、ユダヤ教はキリスト教とイスラム教のルーツにもなっている。しかし、ユダヤ教ではキリスト教と違い、神と人間の間に介在する者がいない。ユダヤ教ではキリスト教の旧約聖書に該当する部分を聖典としている。内容はキリスト教の旧約聖書とまったく同じだが、新約聖書は聖典として認めていない。実は、キリスト教の始祖であるイエス・キリストもユダヤ人なのだが…。

 イスラエルはユダヤの国として建国された。しかし、全員がユダヤ教徒とは限らず、イスラエルでは各宗教にコミュニティ設立の自由が認められていることになっている。2019年の統計では、ユダヤ教徒が約74%、イスラム教徒が約18%、キリスト教徒が約2%だ。

 イスラエルの地は、長きにわたってイスラムの支配下にあった。1920年からイスラエル建国まではイギリス委任統治領パレスチナとなっていたが、それ以前はオスマン帝国が4世紀にもわたって統治していた。
 ユダヤ人にイスラエルの市民権を与える「帰還法」の成立を機に移住が進み、ユダヤ人の人口が増えることとなる。

 ユダヤ人の歴史は紀元前18世紀頃、ユダヤ民族の祖と呼ばれる「アブラハム」という人物から始まる。旧約聖書にはそれ以前にもアダムとイブやノア(ノアの方舟)の記述がある。しかし、アブラハムこそが神に選ばれ、土地を与えられ、神と契約を結んだ人物として実質的なユダヤ信仰の始まりとされている。

 時を経て、古代イスラエルの民(現在のユダヤ人の祖先)は移住先のエジプトで奴隷となり、神に救いを求めた。そこで神が召命したのが「モーセ」だ。モーセは民を連れてエジプトを脱出し、荒野で神より十戒を授かる。これが有名な「モーセの十戒」だ。神は自らを唯一の神とすることや安息日など10の掟を提示し、これらを守れば祝福を与えるという契約を結ぶ。モーセが石板に刻んだ十戒こそがユダヤ教の始まりとされているため、モーセは「ユダヤ教の創始者」とされている。モーセはエジプトから民を率いて40年にもわたって荒野をさまよい、「約束の地」までたどり着く。しかし、カナンの土地を目前にしてこの世を去った。

 その後、民はモーセの後継者ヨシュアに率いられ、たどり着いたカナンの地に定住した。そして紀元前11世紀の終わりに「イスラエル王国」を樹立し、王制が導入される。初代の王には、預言者サムエルを介してベニヤミン族出身のサウルが選ばれました。しかし初代の王サウルは神の命令に背いたことから神に見放され、サウルに代わってユダ族出身のダビデが選ばれることとなる。なお、「イスラエル」とは、ユダヤの民の伝説的な始祖ヤコブが神に与えられた名前にちなんでおり、ヘブライ語で「神の支配」を意味する。

 紀元前997年頃にダビデが王位を継ぐと、エブス(現エルサレム)を攻略し、神がイスラエルの民に授けた「約束の地」であるカナン全土を押さえることに成功する。イスラエル統一国家の誕生だ。

 紀元前10世紀にダビデの子ソロモンが王位を継ぐと、十戒の石板を収めた「契約の箱」を安置する神殿をエルサレムに建設するなど、栄華をきわめる。しかしソロモンの死後、紀元前926年に古代イスラエル王国は分裂。全12部族のうち10部族が北の「イスラエル王国」、ダビデ家の血統が統治する残りの2部族が南の「ユダ王国」となったのだ。北のイスラエル王国はサマリアを首都に、南のユダ王国はエルサレムを首都にした。なお、ユダヤ人だったイエス・キリストは、実はイスラエル王国ダビデ王の血を引く者であったことも知られている。

 紀元前722年、北のイスラエル王国はアッシリア帝国によって滅ぼされ、10部族は歴史から姿を消してしまう。彼らは「イスラエルの失われた10支族」と呼ばれている。そして、紀元前587年には南のユダ王国も新バビロニアに滅ぼされ、神殿や町も破壊されてしまい、王族を中心に人々はバビロニアに連行されてしまう。しかしその過程で、国家の滅亡は軍事力の強弱ではなく、自らの信仰の問題ととらえたことから、ユダの民はいかなる試練にも耐えうる強固な信仰を身につける。

 やがて、新バビロニアを滅ぼしたペルシア王キュロスにより、ユダの民の帰還が許される。そして紀元前515年に神殿の再建を果たし、ユダの民による悔い改めが行なわれた。
 流れをまとめると、ユダヤ人にとっての先祖が「アブラハム」、ユダヤ教の創始者が「モーセ」となる。実は、アブラハムはノアの息子セムの子孫であり、モーセはアブラハムの子孫にあたる。

 紀元前4世紀以降、ギリシャの支配下において古代イスラエル人は自分たちの宗教や文化を「ユダイモス」と呼び、強く意識し始めたといわれている。西暦66年、カエサリアでのユダヤ人迫害を機にユダヤ戦争(対ローマ戦争)が勃発した。しかし、ユダヤ人は圧倒的な戦力を誇るローマ軍の前に敗北する。西暦70年にはローマ軍がエルサレムの神殿を破壊し、エルサレムは陥落した。

 2世紀になるとローマに対する不満から再びユダヤ人が反発を強め、西暦132年に第2次ユダヤ戦争が勃発。しかし、ローマ帝国によってエルサレムは再び破壊されたうえ、ユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを禁止されてしまう。そして追放されたユダヤ人の多くは、地中海各地に離散していくこととなった。ユダヤ人は再び国を持たない民族となり、以来1947年のイスラエル建国まで、国家を持たない「放浪の民」となったのだ。

 第2次世界大戦後の1947年、国連はパレスチナをユダヤ人とアラブ人の国家に分割する案を採択する。翌1948年にはユダヤ人国家「イスラエル」の建国が宣言され、ついにイスラエルの建国が実現した。ちなみに、日本は1952年にイスラエルとの国交を樹立しており、イスラエルがアジアで最初に国交を結んだ国となってる。

 ユダヤ人が迫害されてきた背景はさまざまだが、理由の1つとしてユダヤ人に対するキリスト教の神学的要因が挙げられる。救世主イエスを認めないユダヤ教徒は救われず、永遠にさまよえる者であるとされていた。さらに、キリスト処刑にかかわったことから「キリスト殺し」とみなされ、社会不安が高まるたびに民衆による迫害の対象とされていたのだ。


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