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新興国アメリカって不思議!②

 アラスカは、安い買い物だったと言われている。アメリカ49番目の州、アラスカ。面積は日本の4倍、アメリカの国土の15%を占める全米最大の州である。このアラスカは、いわゆる「飛び地」である。世界地図をながめると、アメリカの上にカナダがあって、カナダの左横がアラスカになっている。アメリカ本土と、アラスカは陸の部分ではまったく接していない。陸路から行こうとすれば、カナダを通らなくてはならないのだ。

 なぜこんな巨大な飛び地ができたのか。これには19世紀のロシアの事情が関係してくるのである。アラスカを最初に領有したのは、帝政ロシアである。1799年、ヨーロッパ諸国の中でいちはやくアラスカに進出していた帝政ロシアが、領有を宣言したのだ。しかしロシアは、アラスカを植民地として経営するようなことはなく、イヌイットからアザラシやセイウチの毛皮を買い付けるだけだった。そして、乱獲がたたり毛皮の供給は落ち込み、アラスカ領有のうまみはなくなってきた。19世紀のロシアは、オスマン・トルコとのクリミア戦争などで財政は火の車になった。クリミア戦争により、経済的に大打撃を受けたロシアは、アラスカを手放し、アメリカへと売却することを選択した。売却価格は720万ドルで、4047平方メートルあたり2セントという破格の値段。当初、アラスカは年中氷づけの使いみちのない土地と考えられており、この取引はアメリカ国民の大きな反感を買った。しかし、のちにアラスカで金鉱の発見がされたことや、冷戦中に東アジアとアメリカを結ぶ空路の中継地として貢献したことを考えれば、非常に得な取引だったといえるだろう。そこで1867年、1平方キロあたり5ドル、計720万ドルで、アメリカに売ってしまったのだ。720万ドルというのは当時のアメリカ全体の税収の1割程度である。1867年当時の720万ドルは、現在の貨幣価値にして9000万ドルくらいとされている。現在の日本円にして100億円程度、つまり今の日本の国家予算の8000分の1程度である。これで、アラスカを売ってくれるとなれば、おそらく今の日本なら喜んで買うだろう。

 この値段が高いかどうかは、当時から議論されてきた。当時のアラスカは、毛皮は取り尽くされ、極寒の地なので農業もあまりできない。だから、当時は馬鹿げた取引とみる向きも少なくなかった。アラスカ買収をすすめていた当時の国務長官スーアードにちなんで、「スーアードの愚行」などと言われたこともあった。しかし、アメリカが購入して間もなく金脈が発見される。ゴールドラッシュが起こり、3万人のアメリカ人がアラスカに移住した。また1950年代には油田が発見されるなど、現在はアメリカになくてはならない天然資源の宝庫となっている。

 今となっては、アラスカは超お買い得だったということになるだろう。アメリカは、このようにして、経済大国になっていったのである。

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