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やさしさが開ける心の扉

 作家の寮美千子さんは、2007年から2016年まで奈良少年刑務所の更生教育である「社会性涵養プログラム」で「童話と詩」を担当。「涵養」とは「水が自然にしみ込むように、少しずつ養い育てること」…やさしさに満ちた言葉だ。他者とうまく交わったり、自分を表現することができない子どもたち。その結果、強盗、覚せい剤、殺人などの犯罪に走ってしまったという受刑者の更生のためにできた教育プログラムで、寮美千子さんは詩を取り上げた。心を閉ざしていた受刑者が詩の授業を通して 感情豊かになっていく様子に感動した尞さんは、この教室から生まれた受刑者たちの作品を、詩集『空が青いから白をえらんだのです』と題して編集出版した。美しい煉瓦建築の奈良少年刑務所の中で、受刑者が魔法にかかったように変わって行く。彼らは、一度も耕されたことのない荒地だったと寮さんは語っている。

 「ぼくのすきな色は青色です。つぎにすきな色は赤色です」…ある受刑者Aくんが書いた『すきな色』という詩。何も書くことがなかったら、好きな色について書いていいよ、という課題に対して提出された作品。この詩を書いたAくんは、まったく表情がなく、目はいつも泳いでいて定まらない、まるで赤土の塊のように、どさっとそこにいるだけの子だった。あまりに直球過ぎて、褒めるところのない詩に、指導者の尞さん自身がどういう風に声かけたらいいか迷っていた時、受講生が二人「はいっ」と手を上げて、「ぼくは、Aくんの好きな色を、一つだけでなくて二つ聞けてよかったです」「ぼくも、Aくんの好きな色を二つも教えてもらってうれしかったです」と褒めたのだ。その瞬間、Aくんの顔がふわーっとほころび、笑顔の花が咲いた。

 「黒」という色について、次のような詩を書いた少年がいた。

 「黒」
ぼくは 黒が好きです
男っぽくて カッコイイ色だと思います
黒は ふしぎな色です
人に見つからない色
目に見えない 闇の色です
少し さみしい色だな と思いました
だけど
星空の黒はきれいで さみしくない色です

 この少年は育児放棄され、コンビニの廃棄弁当を盗んで食べるような生活をしていた。そういう子が、人に見つからない闇に紛れて、ほっとしているのだけど、同時に寂しく感じている。そして見上げた夜空はきれいだった―彼がどんな罪を犯したにせよ、彼の心の中にはこういう思いがあったのだ。

 誰一人として否定的なことを言わない、何とかして相手のいいところを見つけようと発言する、仲間のありのままを受け入れようとする姿勢に、寮さんの胸はいっぱいになった。そして思った。なんてやさしい子どもたちだろう。心の底にはこんな思いやりが眠っているのに、なぜ怖ろしい罪を犯してしまったのか。人を殺すような人の心にも思いがけないやさしさが眠り、状況さえ整えば、やさしさは泉のように溢れ出す。本当に悪いのは、この子たちをとことん追い詰めた大人なのではないか。弱者や少数派を切り捨てて人間扱いしない社会なのではないか。彼らの「人間をまるごと受け入れるやさしさ」。今までに一度でも、こんなやさしさに触れていたら、彼らの人生は変わっていたのではないか。

 この尞さんのエピソードは教えてくれる。言葉には人生を変える力がある。そして、自分が発表している時に、残りの全員が耳を傾け拍手をしてくれるという体験。「人は人の輪の中で育つ」と言う。このような「場の力」も人間のプラスの成長に大きな好循環をもたらす。自己表現をやさしさでもって受け止め、分かち合う…そして、聞いてもらえた、受け止めてもらえたという実感は、固く閉ざされた心の扉をも開けるのだ。

 残念なことに、耐震性の問題などにより、奈良少年刑務所は2016年度末で廃庁(閉鎖)された。閉鎖後は、建物を活用し星野リゾートが2026年春までの開業を目指しホテルや監獄史料館を運営する予定とのことだ。
 寮美千子さんは、旧奈良監獄が自ら歴史を語る絵本「奈良監獄物語―若かった明治日本が夢みたもの」を発表している。奈良少年刑務所の前身は、明治に全国5か所に造られた明治五大監獄の一つ奈良監獄で、明治41年に竣工され、昭和21年に奈良少年刑務所となった歴史的文化遺産でもある。

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