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歴史から災害を学ばない人間さま

 名古屋大学に防災教育や教育の拠点となる減災館という施設がある。自宅から近いこともあり、時折訪れては資料を読んだり、講演会に参加したりしている。防災や減災を専門とする福和名誉教授は次のように語っている。

 薪を使って煮炊きをしていた昔と違い、現代は、電気がないと生活できない。原発は揺れを探知した瞬間にシャットダウン。頼るべき火力発電所は、埋め立て地にあって、液状化現象で壊滅的打撃を受け、復旧まで2年を要するのが現状である。行政のメイン機能である官公庁や多くの住宅が海抜ゼロメートル地帯にあり、現代を生きる人々は、過去の災害を教訓とせず、今さえ良ければよいという考え方でいる。現代の価値観によると、安全性は二の次…法律をギリギリ満たせば良いというバリューエンジニアリングが主流である。目先のことに捉われて、電気料金のアップや税金のアップに反対することは、防災という意味では、確実に子どもの世代にツケを残すことになるのではないだろうか。

 歴史を紐解くと、1611年の慶長地震で仙台の街が壊滅した際、伊達政宗は支倉常長を欧州に派遣し、西洋から復興を学び、地震や津波に強い街づくりに役立てた。1854年から頻発した安政の大地震では、江戸城下の大名屋敷が大きな被害に遭った。その場所は、現在の大手町、丸の内、日比谷、新橋…首都の中枢機能が集中する場所である。小石川の水戸藩江戸屋敷の倒壊により、尊王攘夷派の藤田東湖が死亡…これにより尊王攘夷派の勢いが弱まり、安政の大獄、桜田門外の変へとつながり、地震の被害のなかった薩長など開国派が台頭した。また、関東大震災の大きな被害が都市機能、行政機能を奪ったため、それが後の昭和金融恐慌を引き起こし、その打開策を求めて中国や朝鮮半島への軍隊進出につながり、戦争への道を歩むことになった。東日本大震災の際、九段会館の天井が崩落して犠牲者が出たが、ここは、太田道灌が江戸を作った折には入り江だったところで、当然建物を建ててはいけない場所だった。日本の歴史は災害の歴史と密接な関係があるが、文系理系に分ける教育では大事な歴史観が欠落すると福和氏は興味深い持論を展開された。

 日本の首都東京には、過去の災害の歴史からの学びが全くない。日本が誇るデジタルタワー:東京スカイツリーは墨田区に建ち、2021年の東京オリンピックは江東区、中央区、千代田区に競技会場が建設された。いずれも元禄関東地震、安政江戸地震、関東大震災のいずれにおいて、最も被害の大きかった場所であり、次の南海トラフ巨大地震においても相当な被害が予想される場所で、東京オリンピックは開催されたことになる。

 災害の教訓を未来に語り継ぐことがいかに難しいのか。いかに防災教育が大切で有用かは、岩手の「津波てんでんこ」、そして子どもの犠牲者が一人も出なかった「釜石の奇跡」が証明している。 

 しかしながら、人間は正常性バイアスに支配され、過去の教訓から学ばない生き物なのだ。

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