衝動記

衝動のホルマリン漬け。

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最近の記事

印象派レンズが映し出す日本人の夢幻

現在11:27分。 Musée d’Orsayより。 館内のカフェでcafé crémeを飲んでいるところだ。ここ数日パリは曇天と小雨が続いている。パリの雨そのものが、観光客の多いこの年越しに室内へ促し、消費を促進しようとさせるマーケティングにさえ感じてしまう。 今回のパリの滞在では、19世紀の西洋美術に絞って色々回ったのだが(主に印象派とRodin)、何故日本人がこれほどまでに印象派を愛でるのか、その糸口を見つけられたような気がする。 つまるところ、日本人は明確な線引き

    • 村上春樹もまた文化的雪かきから逃れられないのか。

      現在9時15分。 丁度、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、巡礼の年」を読み終えたところだ。丸一晩寝ずに読み進めたのも、目の前の語学試験から逃げるためであろう。村上春樹は現実逃避の場として、いつも大事な時に目の前に現れる。 読み返すのは実に6年ぶりほどであろうか。(当時はまだ高校生だった。) 以前、自分をハルキストではないが、彼の作品を読破するほどには熱心に追っかけていると話した。特に、「風の歌を聴け」、「ダンス・ダンス・ダンス」「アフターダーク」は気に入っている作品た

      • 曲線(Curve)と宮崎駿の間に在るモノ

        現在13時32分。 私はこれをパリ行きの飛行機で書いている。韓国に一泊し、イギリスで知り合った友人と会った。今朝、ソウルではいくらか雪が降り、積雪している。その影響でこのフライトは既に3時間遅れている。パリで待っていてくれている恋人に申し訳ない。 私は曲線か直線かで言えば、曲線が好きである。これは自己の中で完結するものではない。例えば、自分の恋人が直線の方が好きな人であるとして、私はそれに耐えられるであろうか。これは一見、些細でくだらなく、器の小さい問題のようにも見える。

        • 武装から生活へ。私を包む服の変容。

          現在、18時13分。 時の流れに歯向かうような一日を過ごしていたが、時の流れという絶対性に逆らえるはずもなく、人はこれを怠惰と呼ぶのだろう。 ロンドンとパリを行き来する生活を終え、帰国してから早くも2ヶ月が経とうとしている。今年、東京は非常に暖冬だ。ひんやりとした朝目を覚ました際の自分の脳は外気に適応できず、厚着してしまったことを昼時ひたすら後悔するも、仕事終わりには納得し直す。そうは言ったものの、次第に気温も下がり始めようとするところで日本人は「衣替え」をするわけだが、1

        印象派レンズが映し出す日本人の夢幻

          コラボから考えるブランドを構成するもの

          現在、10時13分。 法事のため、なぜか米子行きの急行の中でコレを書く。イヤホンからはThe Economistの Cryptocalypseが FTX Japan破綻について報じている。 ブランドを構成するものはなにか———ここ数年これについて考えることが多くなった。コレは果たしてクリエイティブデザイナーによるコレクションの成果だけなのか。それともコレはもっと多くの部分まで波及しているのか——— 11月18日は渋谷パルコの3周年記念だった。なんとも渋谷パルコは大変な成功

          コラボから考えるブランドを構成するもの

          無重力空間ですらない村上春樹の世界

          現在、8時15分。 4Kのチューインガムくらい薄いテレヴィジョンのモニターは、初めて夜を交わすワタナベと直子が映し出されている。 私はハルキストというわけではないが、それでも村上春樹は、私が今まで読破した数少ない作家の一人だ。大衆性の観点からすると、或いは、日本人からすると、或いは、読書家からすると、村上春樹が好きというのは月並みであろうか。 彼の作品を読む時、これは決して大袈裟な表現ではなく、自分が地上から離れる感覚を覚える。だから例えば、現実から目を背けたい時だったり

          無重力空間ですらない村上春樹の世界