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グライムスの読書感想文 ー「中盆」板井圭介著ー

現在はAmazon等でもプレミア価格で取引されているというほどに、貴重な書籍資料であるという本作を、自身はある方法で読むことができたので、今回はその感想をまとめていこうと思う。作品の概要については、以下のリンクを参照して頂ければ幸いである。

この著書に興味を持つきっかけとなったのは、実は最近「貴闘力部屋」というYouTubeチャンネルを頻繁に見るようになり、その中で本書が紹介されていたからである。自身はそこまで相撲に詳しいわけでも、あるいは熱心なファンというわけでもないのだが、なんとなく動画内での元関脇・貴闘力関の「相撲業界の裏話的な何か」に、自身の「ジャーナリズム的なものへの関心故に」惹かれてしまうのだろうし、実際は「どこぞのあまり背景知識のない国の情勢」への興味のような…

要するに、完全に他人事というわけではないが、干渉するには自身の置かれた背景や文脈が違うと感じる故に、自国の問題であれば感情の高ぶりも含めて抑制のきかないような話でも、どこか他所の世界の出来事として冷静に眺めながら時事問題に触れる感覚に近いのかもしれない。個人的に、「安芸乃島関」や「大乃国関」といった、往年の名力士を初めて知ることになったのも、このチャンネルの視聴がきっかけである。

前置きが長くなってしまったが、そういうYouTubeでの視聴ルーティンの流れから、何気なく「中盆」という本著に関心を抱くようになった。この著書の本質は「暴露本」であり、その核となるテーマは「八百長」である。感覚的には、プロ野球選手で薬物事案の際にインタビューに答えていた、野村貴仁氏の「再生」に近いものはあるかもしれない。

率直に感想を端的に述べれば、確かにこの著書から放たれるインパクトは非常にすさまじいものがあるものの、一方では鵜呑みにするにはリスクも大きいという印象が強い、といったところだろう。関与者への実名を伴う告発は確かに衝撃的であるが、一方で自身を結果的に追放した相撲協会、あるいは当時の理事等に対しての個人的怨恨の可能性も考慮すると、話半分で読み進めるくらいが穏当であるとも感じている。2000年代では、恐らく出版という形でしか告発の手段もなかったのだろうが、それでこそ貴闘力関が「隣に座って話してほしかった」と氏を偲ぶコメントを寄せられているように、令和の時代なら告発系YouTuberとして画面に映る姿も想像してしまう。

個人的に一番強烈だったのが、著者がスポーツ新聞の記事を用いて密かに作成していた「八百長チャート」が、間接的ではあれど裏社会の相撲賭博に転用される下りで、その錬金術たるスキームを結果的に粉砕してしまったのが、ガチンコ相撲として各界を震え上がらせた若貴ブームだったという、中々小説として筋書きを考えるにも、奇想天外すぎる物語が現実のものとして語られていた箇所である。若貴の両力士のガチンコ姿勢を賞賛する一方で、著書で特に批判の対象となっている昭和の大横綱「千代の富士」と比較しても、若貴の両横綱が「(千代の富士関より)強いとは思わなかった」という辛辣な意見も添えていて、プレイヤーとしての冷静な視点が時折しれっと垣間見れるのも興味深かった。

八百長のシステムについては、マクロの認識では単純な「勝ち負けの取引」に聞こえる程度に感じられるものの、複雑に利権や思惑があらゆる方向から絡みあう形で生まれるミクロのレベルの話では、非常にややこしい「星の貸し借り」の柵になってしまう印象で、要するに表に出せない話で混乱に巻き込まれてしまうことの面倒くささが、暗に露わになっているのも興味深かった。

どの力士が関与し、どの力士が関与しないといった話はあくまで御本人談ではあるのだが、そうした力士に対する個人的な怨恨を含めた糾弾というより、それだけ蔓延しているにも拘らず放置し続け、しかも偽りの漂白を重ねているという「協会」への爆弾投下の側面のほうが強いのだろう。

著者の板井氏が長年対立関係にあったという「親方」とのエピソードも、サラリーマン生活からの脱却を図るつもりが、結果的にサラリーマン生活以上に雁字搦めになる生活を余儀なくされる力士の運命が悲哀を伴い描かれている。あるいは、最終的には「探り」を入れられるような微妙な間柄になったものの、いわゆる「Bromance」にも似た間柄であったという故人の某力士との逸話も興味深い。勿論、先に触れた貴闘力関も登場するが、お墨付きの「ガチンコ力士」として、著者に紹介されているのは言うまでもない。

何より、当初はガチンコを信条としていたにもかかわらず、「ボタンの掛け違い」を強いられたが故にズルズル「冷笑的かつ虚無的に」八百長に巻き込まれていく力士の悲哀こそ、この著書の最大の読みどころでもある。結果的に著者自身は、2018年に孤独死を遂げてしまったとのことで、そうした最期も含めて悲哀を感じずにはいられないのだ。彼自身もまた、八百長の被害者であり犠牲者であったのだろう。





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