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私の推論が妥当であることを、どうやって検証するのか

以下は、私が行っている、私自身の推論が、果たして妥当に行われているか否かを、どうやって検証するか、その方法について、検討したものです。

(1)私が考えたこと
私の推論が妥当であることを、私自身が検証する場合を考える。その際、私自身が、正気であるのか、それとも、そうでないのかを、あらかじめ確定できない。仮に、私が正気でないとして、その私が行った判断が、適当であると言える保証はない。私が行った判断の結果が、私が正気であるから行ったのか、それとも、私が正気を失っているから行ったのかを、判断の結果から、明示的に、判別することができない。
それゆえ、私の推論が妥当であるか否かを、私自身が判断することは、不可能である。

それでは、私以外の、他人が、私の推論の妥当性を検証する場合を考える。この場合も、この他人が正気であることを、保証する方法がない。このため、他人によって、私の推論が妥当であることを検証することは、不可能である。

さらに、多数の他人を呼んできて、その他人たちの多数決で、私の推論が妥当であるか否かを、検証する場合を考えてみる。この場合も、これらの複数の他人の多数が、正気であると保証することができない。そのため、多数決の結果が、私の推論の妥当性を保証するとは言えない。このことから、多数の他人を準備しても、私の推論の妥当性を検証することは、不可能である。

(2)ネットから調べてきたこと
「規則のパラドックス」でweb検索して、以下のサイトを見つけた。
『規則と意味のパラドックス』が超絶的に面白い: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる (cocolog-nifty.com)

このサイトの説明によれば、(アリストテレスの)三段論法の妥当性を証明しようとすると、無限後退に陥ることになる。つまり、証明できない。

これは、(1)の場合で、たとえ私が正気であると仮定しても、私の推論(この場合は、三段論法)の妥当性を証明できないことになる。


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