なんだかちょっと寂しくなった? 釜ヶ崎散歩④

なんだかちょっと寂しくなった? 釜ヶ崎散歩③からの続き

「あいりん労働福祉センター」は「大阪社会医療センター付属病院」と一体化しており、

あいりん地区の日雇い労働者のための巨大福祉施設、兼、洗濯物干場のようである。「あいりん労働福祉センター」の文字の下でハンガーが微動だにせず並んでいた。この日は風が無くてとても暑かったのだ。

 第46回釜ヶ崎夏祭の看板によれば、今日は前夜祭だそうだ。

 ところで釜ヶ崎夏祭といえばある人物が頭に浮かぶ。

 反差別を盾にして暴力的・脅迫的な言動をすることで知られるしばき隊界隈の内部で起きた通称「大阪しばき隊リンチ事件」という事件がある。刑事裁判では被害者男性が加害者男性2人に暴行・傷害されたことが認定され、その後、被害者は民事裁判でその2名を含む5名を相手に民事訴訟を起こし、現時点でも裁判は続いている。
 その事件発生後、被害者や加害者以外の様々な人々が、様々な興味深い言動を見せており、その中の一人として「趙博」という人物が登場する。

 趙博、「浪花の唄う巨人・パギやん」である。たしか第44回や第45回の釜ヶ崎夏まつりに趙博(パギやん)氏は出演して歌っていたはずなので、検索してみると、今回の第46回も出演スケジュールに名前あり。

参考:第46回釜ヶ崎夏まつり ステージスケジュールPDF http://cwoweb2.bai.ne.jp/kamakouza/osirase-20170805_4.pdf

 パギやん氏は14日の出演。私のスケジュールが既に埋まってるので見に行けない、残念。

 そんなことを検索したり考えながらセンターの周囲を歩いていると、建物の一階で思い思いに休んでいる人々がいた。生活用品などを積んでいると思われる台車や自転車も複数台。

 センターの向いには、塀の上に金網ががっつり張られた建物が。

 「すいません。ここなんですの?」と通りがかったおじさんに尋ねると「住宅」とのこと。

※参考:市営住宅一覧(西成区)(PDF形式, 5.14KB)より

 調べたところ、この物々しい金網の建物は市営住宅だそうだ。先ほどの市営萩野茶屋第二住宅の金属製の塀といい、いったい何対策なんだこれは。

 ぐるっと周囲を回ってからセンターの一階へ。みなさん涼んでらっしゃる。

 めっちゃ涼しいので、そろそろバテかけてた私も休憩。ローソンで補給したお茶を飲んでたら、一人のおっちゃんがにこやかに近づいてきた。

おっちゃん 「どうしたん?」
(´・ω・`) 「お茶飲んでるん」
おっちゃん 「おっぱいでかいなあ」

 乳をほうりだして歩いているわけではないが、私はたしかに胸元が強調されるワンピースを着ている。「ありがとう」と返すと良い笑顔でどこかに行ってしまった。 

 軽妙なトークとお茶で体力を回復し、第三の目的地である星野リゾート建設予定地へ。道を渡って…

新今宮駅の裏手へ向かう。

 玉出の看板を見て、西成警察署への道順を教えてくれたおじさんおばさん三人組が食べていた“なんだかよくわからない麺類”、あれはスーパー玉出のものに違いないと決めつけながら…

トンネルを抜けて、

少し歩いたら、星のリゾート建設予定地に到着。この広い土地は昔、中山太陽堂という会社の本社工場だったそうだ。中山太陽堂は、化粧品業界に詳しい人なら知っているであろう現在の株式会社クラブコスメチックスの前身である。

 さて、ここで散歩はゴール。この後はスパワールドへ。

 ところで、私はあえてどの地点で会話したか伏せるため、いくつかの見知らぬ人とたちとの会話についてまだ書いていない。

 あるおじさんに不躾ながら「ここらへん、シャブあんまり道端で売らんようになったん?」と聞いてみたのだ。すると「最近は配達のが多いんちがうか」とのことで、どうやらデリバリーが主流になってきているそうだ。配達人がタクシーを使って待ち合わせ場所をコンビニにして、またタクシーに乗って次に向かう、などということもあるらしい。本当かどうかはわからない。

 別のおじさんには日雇いの仕事について聞いてみた。「私ら、年寄りになってしもてるからなあ。中国とかのアレ、若いのにいってしまってるんちゃうかな…」とのこと。釜ヶ崎の労働者の高齢化によって需要が少なくなってきているということなのだろうか。

 さて、今回、約6年ぶりに釜ヶ崎を歩いてみたわけだが…全体的にこざっぱりしたという印象を持った。私の夫が9年前に西成警察署に仕事で行ったときは、門の所に長い棒を持った門番が立っていたそうだが、この日私が見た西成警察署は平和そうだった。

 友人曰く「特にここ5~6年ほどで西成はめっきり平和になった。どれぐらい平和になったかというと、女子供が夜に出歩ける程度には」。

 安全でこざっぱりしたのはいいことだろう。というのも、イメージされてきた「釜ヶ崎らしさ」はきっと危険・怖い・汚いだったろうから。

 でもね。前に歩いたときだって私は怖い目にあわなかったし、見知らぬおじさんおばさんたちは前回も今回も親切だったのだ。

「私ら、年寄りになってしもてるからなあ」

 なんだかちょっと寂しくなったんじゃないか釜ヶ崎…と、めったにこない部外者は、しかしながら楽しかった散歩をこうしてnoteに記録するのであった。