Cheers to the dragonfly


カラオケに行きたい。

私は歌が上手い方ではない。かといって抜群に下手な訳でもない。大人数でカラオケに行くと私の歌をBGMに会話が盛り上がるくらいのクオリティである。褒める程でもなく、ネタにできる程でもない。ランクでいえば中の下の下の下。

しかしながら、カラオケ好きと公言すると「カラオケ好き=歌が上手」という謎の方程式が成り立つ。そんな方程式は義務教育の過程で習ってはいないですよね。学校では教わっていないですよね。何故なのでしょうか。そしてなぜ卒業式に大地讃頌歌うのですか。卒業、関係ないですよね。仰げば尊しとか旅立ちの日に歌わせてくださいよ。大地より父母や教員を讃えさせてくださいよ。ああー。

そんな義務教育の敗北者達は、こちらがカラオケ好きと知るや否や、飲み会などで隙あらば歌を歌わせてくる。

勘違いしないでほしい。カラオケ好きにだって様々な人種がいる。1人で歌いたい者。仲間と盛り上がりたい者。自分の歌を聴いてほしい者。静かに歌いたい者。広い世界にたった1人の私の好きなあなたへ歌を届ける者。聴いて、ほしい、歌が、ある者。今日だってあなたを思いながら歌う者。様々な人種がいる。誰もが自分の歌を聴いてほしいと思っていると考えないで欲しい。

私は強いて言うならば、ヒトカラはちょっと勇気無くて行けないけど2人や3人なら周りが知らない曲でもお構いなしに好きなだけ歌えるのだけれど4人以上になると私は聴いてるだけで十分ですよ全然歌えと言うなら歌いますけどねという姿勢で佇み大人数ならばドリンクオーダーは私に任せてください!歌ですか?いえ!私は大丈夫です!でも歌えと言うなら仕方ないから歌うけどね!どうしてもというならね!渋々だけどね!という者。

つまり、私は大人数の前では歌いたくはないのです。

何が嫌かってあの雰囲気。下手でもないし上手でもないし可もなく不可もなくでリアクション取りづらい感じで苦笑いするしかない感じの雰囲気。いっそカラオケ好きなのに微妙ですねくらい言って欲しい。いっそひとおもいにいってほしい。バッサリいってほしい。そしたらベンジー、あたしをグレッチで殴ってほしい。

それから私はカラオケ好きを公言しないこととしている。カラオケ好きと知られないように立ち振る舞っている。さながら隠れキリシタンばりに身を潜めている。泣く泣くデンモクも踏みつけている。

しかしながら、私はカラオケには行きたい。というか、歌を歌いたい。だが、大勢の前で歌いたくない。ヒトカラに行く勇気もない。

そんな私が編み出した方法が通勤中の車内熱唱である。

これがまたなかなか気持ちが良い。朝方は明るいので、すれ違う車両に見られたら恥ずかしい思いをするため、主に暗い時間の帰宅時をオススメさせていただく。そこはもうあなただけのオンステージなのだ。

先日、連日ストレス案件が立て続いた帰宅時に、熱唱帰宅ツアーを開催していた。アンコールと称してそこそこの距離を遠回りして帰路についていた。もはや喉が枯れかけていた。

すでに外は暗くなっていたが、大きな通りを走る際には結構明るかったりするため、私はホールディング歌唱法に切り替えた。

ちなみにホールディング歌唱法というのは、車のハンドルを抱えるようにして、腕で口元を隠す歌唱法である。対向車線の車両にこちらが歌っていることがバレない。これは数年前に私が編み出した歌唱法である。
そのほか、神妙な表情で唇を動かさず歌い、歌っていることを悟らせないIKKOKU歌唱法というものもある。

アンコールを終え、そろそろライブが終わりそうな頃、私は赤信号に捕まった。

ふと横を見ると可愛らしい軽自動車が停まっていた。

そのキュートな軽自動車の運転席を見ると、菅田将暉にKPOPアイドルを足してそこに長渕剛を混ぜて菅田将暉とKPOPアイドルを引いた見た目の殿方が私と全く同じホールディング歌唱法で口ずさんでいた。たぶん、とんぼを口ずさんでいるのだろう。もしくは乾杯。

私はその時、脳天に雷を打ち付けられたような衝撃を受けた。それは私が編み出したホールディング歌唱法がすでにこの世に広まっていたことではない。ホールディング歌唱法は横から見られると歌っていることがモロバレするという点にだ。全く盲点だった。

私が衝撃を受けている中、隣の長渕もこちらの視線に気付いたようで、照れくさそうにはにかみながら、青信号と共に颯爽と走り去っていった。






いや、長渕は熱唱しろよ。

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