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”なんとなく”を言葉にすると、自分に気づく。~読書しない読書会Vo.2~

■本来の自分に戻すための場所。

今年の5月ぐらいから参加させてもらっている読書会がある。


その名も「読書しない読書会」。

本の内容ではなく、本を選んだ理由をシェアする会。
参加者と一緒に本屋にへ行き実際に本を購入、その購入した理由をそのあとに一緒に食事をしながら、発表します。

多くの読書会は、自分の読んだおススメ本を持ってきて、おすすめする理由をシェアする会が多いです。

その中でこの、読書しない読書会は、読んでいない本で、かつ読んでいない本を選んだ理由をシェアする会です。おもしろいなあと思い参加させていただき、はまりました。

月1の開催で、ほぼ毎月の参加です。
今ではこの会に参加することが習慣になっています。

※読書しない読書会Vol.1。↓↓

なぜ主催者でもない僕が、毎月参加しているのか。

■”なんとなく”を言葉すると、自分本来の感性を思い出す。

選んだ理由を言葉にして話すことで、自分の中で求めていたもの、気づいていたけど言葉にできなかった自分本来の感性を思い出すなあと。

普段からなんとなく無意識にしてしまう【選ぶ】という行為。

選んだ理由を考え、言葉にする、発表するって、ほとんどなかったんですよね。


まず棚を選ぶ。
選んだ棚の中にある本が目に止まる。
本を手に取る。

「自分はなぜ、この本が気になったのか?」
立ち読みする前に、自分に問い、言葉にしようと考える。日常生活でしたことがない。

あっても「なんとなく。」で、終わり。

そんな「なんとなく」を言葉で表現する場所が、読書しない読書会。

■読書しない読書会の素晴らしいシステム。

この読書会の素晴らしいなあと思うシステムが2つあります。

1つは、自分が普段行かないコーナーの中から、本を選ばなくていけないこと。普段行かない場所は、経験と知識が役に立ちません。言語のわからない海外を一人で放浪するようなものです。

まさに「勘(感)」で選ぶしかない時間があります。この普段行かないコーナーは、自分を丸裸にします。この丸裸体験が、自分の感度を研ぎ澄ませます。

そして2つ。その自分の勘によって選ばれし購入本。その本を選んだ理由を絞り出し、あとで言葉にして伝えるという、強制された時間があるところです。

いい意味で、”なんとなく”選んだ本を、なんとか自分の感性に問いかける、「おい、自分はなぜこの本が気になったのだ?”なんとなく”を言語化せよ。」と。その感性を言葉で絞り出し、シェアしなければいけないんです。

この2つが、この読書会の肝ではないのかと思います。

勘(なんとなく)を言葉にする。

この『勘の言語化』が、自分の感性を磨く、

いや、

自分本来の感性を”思い出す”作業
なのだと僕は思うのです。

この世に生まれたときに持ってきた、自然由来の感性。

感性の言語化が、自己紹介です。

■経験がジャマをする、本選びのワナ。

本選びは、経験がじゃまをします。本選びのクセが、成長を止めている場合もあります。とくに成長していきたいたくさんの本を読んでいる人(月5冊~10冊ぐらい)が、あてはまるんじゃないかと思います。

経験と意識がじゃましない場所、それこそが、自分が普段行かないコーナー(棚)なんです。経験も知識もない場所は、脳が無防備になります。無意識が発動します。理性のフタが外れるのです。

その理性のフタが外れた奥深くに眠っているのが、自分の本当の感性。本当の感性のままに生きると、人生はうまくいくようにできています。その本当の自分の本来の感性と再会するキッカケを与えてくれるのが、本屋の中にあるんです。それが知らないコーナーに眠っている。

参加者さんの感想発表中、何気ない一言が刺さった。

「子供の頃は興味のある本を図書館で借りて楽しく読んでいたのに、今では周りのことばかり意識して本を選んでいる自分に気づきました。」

普段本を選ぶときに、役に立つかも、人からどう見られるだろう、どんな得があるだろうと無意識に考えて、選んでいる自分がたしかにいたんですよね。そりゃ本当の自分に出会えないわけだと。


選んだ理由をシェアするとは、自分の感性に気づく(=自分を知る)方法だと気づかされます。

■本来もっている感性は、アウェイの中で見つかる。

誰でも『選んで』生きています。選ぶことは、感性を思い出すこと。誰でも自分だけの感性を持って生まれてくる。じゃあその『本来の自分の感性』ってどうやって見つければいいんでしょう。

僕は、感じたことを言葉にすることで気づいていくものなのだと思います。

ただし、その本来の自分の感性は、見慣れた場所(ホーム)ではない、見慣れない場所(アウェイ)で、発動しやすい。

気づくとは、言葉にできるということ。言葉になっていない感性は、気づくことも、知ることもできません。感性は言葉になってはじめて、気づき、知ることで、活かすことができる。

感性とは、言葉を絞り出すことで見つかります。「なんかいいよね」の「なんか」が感性です。その「なんか」を、言葉として絞り出すことが大事。言葉になっていない感性は、穴だらけのコップに水を注ぎ続けているようなもの。

感性は誰にでもあるけど、ダダ漏れになっている。感性とは、この水のようなもの。自分から湧き出ている水をそそぐコップがだだもれ。感性のムダ使いとは、言葉になっていないということ。

感性を磨くとは、いい美術品を観ることや、美しい風景を観ることで磨かれるものではありません。自分が感じたことを言葉にすることで磨かれます。感性=言葉です。感性を磨くとは、言葉を磨くことです。言葉を磨くとは、言葉を見つけること、言葉にして伝えることです。


■感性を話し始めると、感性のフタが開く。本来ほんとうに必要だった”自分だけの本”に出会える。

選ぶ感性を、読書会で話しはじめてから、気づいたことがあります。

それは、自分の生きるテーマが明確になっていくんです。

本当はどうしたいのか、本当は何を表現したいのか、本当は何がしたいのか。理性や知識によって塞がれてしまっていた、自分本来の感性のフタが開きはじめる。そうすると、自分の選ぶ本が”当たる”確率もあがっていきています。本来必要だった本に出会うことができるんだと。

選んだ理由を、”話す”という場所があってできた、発見と成長です。 参加者の方々の選んだ理由を聞いているだけでも、自分の考えていることも見つけることもあります。

  選んだ理由を、ぼんやり自分の中だけで完結させることと、実際に”言葉にして”伝えて考えることは、人生、雲泥の差だなと改めて感じます。


言ってしまえば、

「選ぶを言葉にする」ことは、究極の自己啓発
です。

「選ぶ」を意識する大切さをこの読書会で思い出させてもらっています。

■腹筋は鍛えなくても、元々割れている。感性も同じ。元々持っているから、鍛えなくていい。感性は気づくもの。

割れた腹筋はトレーニングして獲得するものではありません。もともと腹筋は、割れています。ただ脂肪で見えなくなっているだけです。腹筋はすでに割れています。腹筋は筋トレでつくものではありません。腹筋は元々あります。腹筋がないように見えるのは、ただ脂肪で隠れているだけです。脂肪を燃焼させることで、腹筋は見えてきます。

感性も同じです。選び筋というものがあって、生まれつき元々持っています。ムダな情報(脂肪)が積み重なり、選び筋が見えなくなっているだけです。感性メタボになっているんです

ムダな脂肪を燃やすだけで本来の感性は見えてきます。じゃあ感性についている脂肪はどうやって燃やせばいいのか。

僕はこう考えています。言葉にすることが燃やすということだと。

ここでずっと語ってきた、”選ぶ”を言葉にしていくことが、脂肪をどんどん燃やします。そして、もともとあった選ぶ筋肉、選び筋が、自分本来の感性が見えてくる。見えてくるとは、気づいていくということです。この読書しない読書会は、もともと持っていた選ぶ感性を、言葉にしながら、気づいていく会なんだなあと感じています。

長くなっちゃいましたね。以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

Vol.1も読んでくれるとうれしいです。

しょーいち

サポートしていただいたお金で、本を読みます。 https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/GJ7E5BERD0X3?ref_=wl_share