【心にしみた言葉】悩みをもつのは卑怯者のやること。問題は引きずったら悩みになる。

 こんにちは、show_ando です。


 前回の「認知資源を節約しよう」の続きです。

 今回のテーマは、「認知資源」を浪費している内面の存在をとらえるきっかけになった音源を紹介します。この音源は2014年12月に入手し、何十回聴いたことでしょう。音声は読むのとは違って、受動的、強制的に自分に送り込むことができました。

 今回のタイトルは、この音源でいちばん心にささったことばの一つです。


「靴下一筋。世界の靴下屋」

 インタビュー37分ごろのことばです。

「悩み」ちゅうのは病気やと思うんです。
人間として生まれてきてな、「悩み」を持つ、てのは卑怯者のやること。
「問題」をね、引きずったら、悩みになりますのや。
「問題」やと、単なる「問題」なんですわ。

 この一節の意味、わかるでしょうか?
 「問題」のうちなら、ことばでなんとか対処できる。
 でも「問題」を放置し、「悩み」(心の病)になってしまうと、もうことばが届かない世界に入ってしまうと。
 こんな「悩み」は、「認知資源」をブラックホールのごとく浪費し続けるようなもの。制御不能に陥ります。
 だから、この出現をできるだけ避けるため、手を打ち続けるように行動が変わりました。
 ちょうど「星の王子さま」がバオバブの木の芽を抜くように …

 いわば「問題」を放置すると利子が膨らみ、返済不能な「悩み」に転じるイメージでしょうか。

 それ以降、何か問題が起きたとき、「悩み」に転じる前に、自分に何ができるか、この「問題をさばくこと」に専念するようになりました。
 この行動変容は、いまもありがたく思っていることです。

 この問題をさばくときに、まず考えることとして、ニーヴァーの祈りが引用されています。(のちにこれが別ヒントを与えてくれるのですが)

言語と非言語

 この「問題」と「悩み」を抽象化したものが「言語」と「非言語」でした。

違和感を感じた自分からの学び

 もしこの音源を聴いて、自分の何かがざらついたとしたら、チャンスです。この非言語の何かをとらえる好機が到来したのですから。
 でも大半の人たちは、このざらつきを無価値な不快なものとして、不満とともに去りぬです。
 だからこそ、わたしは逆の発想で行動に変えてトライしたのです。

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