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なぜ、このビーズバッグが日本にあるのか?

なぜ、これが、ここにあるのか?
は、大阪みんぱくの「世界のビーズ展」に、所蔵のビーズバッグを貸し出した際、池谷和信教授からご指摘のあったことです。すぐに回答ができないまま、ビーズバッグの蒐集と調査を続けて参りました。

「和のビーズと鑑賞知識」刊行の際、知り合った職人さんは2名のみでしたが、大久保先生のご尽力もあり、「日本刺繍工房紅会」(くれないかい)でビーズ制作にかかわった職人さんの調査もできました。 調査にあたり気づいたことは、やはり「昭和」という時代がビーズバッグを生み出す原動力になっているということです。


カトレア柄のバッグ

昭和の復興期と女性たち

戦後の復興期、それに続く経済成長を背景に、「女性が外出する」「女性が職業につく」「女性が自らの経済力で身の回りの品物を購入する」という流れが生まれてきました。 ファッションも和装から洋装へ、それでも昭和30年代の婦人雑誌などを見ると、和装と洋装は半々くらいの配分で紹介されています。
この時代に、どちらでも持てるアイテムとして求められたのがビーズバッグです。その需要に応えるべく、外国製品を見本に、日本でもビーズバッグの製造が始まりました。 いくつかの製造者がバッグ制作を手掛けましたが、組織的にそれを行ったのが「日本刺繍工房紅会」という刺繍を教授し、制作を行う団体です。 特に刺繍の指導にあたった方々は、内職にかかわる女性たちを指導し、バッグの量産に貢献しました。当時は外では働けないが、内職ならできるという女性が地方に多かったのも幸いしたようです。


2022年の展示の模様

「なぜ、ビーズバッグが、日本に」

こうした背景をもとに、
「なぜ、ビーズバッグが、日本に」という疑問を分析すると

1 戦後の経済成長期における女性の経済力の伸長

2 和装から洋装への過渡期に、どちらでも使用できるバッグとして重宝がられたこと

3 製造にあたり、内職発注の仕組みと、それを支える指導者、内職を希望する女性たちという流れができていたこと。

4 日本刺繍という高度な技術が、バッグ製造の基礎となって、上質な製品の製造を可能にしたこと

が挙げられるでしょう。加えて、着物のデザインを基礎とした、美しい和の意匠が利用されたことも、大きな要因であると思われます。
和のビーズバッグは、偶然に生まれたものではなく、昭和という時代を滋養として、生まれるべく生まれたものなのです。
和のビーズバッグは、偶然に生まれたものではなく、昭和という時代を滋養として、生まれるべく生まれたものなのです。


似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
(この原稿の著作権は昭和きもの愛好会に属します。無断転載を禁じます)


2023年も展示を行います。

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