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銘仙の歴史概説

銘仙について、ファッション面からの記述はおおいのですが、その由来などの解説がすくないので、総論を書いてみました。


1 銘仙の由来


 銘仙は、絹を素材とした先染の平織物の総称であるが、同じ絹織物でも丹前地、黄八丈とは区別して呼称された。語源は天明時代(17 8 1~1 7 8 8)に、経糸の数が多く、その織地の目の細かさから「目千」「目専」と言われたのが訛化して、「めいせん」になったという説がある。そのふるさとは関東地方に位置する伊勢崎、秩父、桐生、足利、飯能などで、これらは古くからの養蚕と織物の産地であった。
伊勢佐木では、古くから農家の人々が農閑期を利用して自家用として織物が始まったと伝えられるが、伊勢崎織物の名が広まったのは、約250年前の亨保・文政年間といわれている。もともとは太織り(ふとり)と呼ばれており、人々は手製の熨斗糸(屑絹糸)、玉糸(節のある太い生糸)を作り、それを草根木皮で染め製織した。

この頃には太織りの市が立ち、利根川の舟便で江戸へ出荷されていた。太織りは、手織りのざっくりとした風合いと渋味のある縞柄の配色が洒落ていて、その上地質が丈夫であったため、当時着尺物として庶民の間で流行した。

2 自家用から商品へ


こうして人気が高まったことで、これらの織物は商品用として盛んに生産されるようになり、江戸をはじめ大阪や京都にまで広まっていった。そんな中で糸屋・染屋・機屋などさまざまな専・門業者もあらわれ、明治以降は伊勢崎銘仙(あるいは銘撰)となって、地質や織り方に様々な工夫が加わり、太織りとは風合いも外観も異なる絹織物を織り出したのである。これが庶民の好評を博し、桐生、足利、八王子でも銘仙を織るようになったが、最盛期の伊勢崎銘仙は年産130万反(約70億円)を記録し、日本一の銘仙生産量を誇った。



 明治時代に太織りから銘仙に移り変わっていったのと同じように、それまでは縞柄が主流であったが、染色や織の技術がさらに進歩するにつれて、大正以降は締切絣・緯総絣・捺染絣・珍絣・解し絣など、現在の伊勢崎絣へ継承されているさまざまな絣の技法が産み出され、それらが複雑化し、模様物が考案されるようになった。織機がいざり機から高機に移っていったのもこの時期で、明治末期には力織機も導入されるが、まだ高機での手織りが圧倒的に多かった。また、絣技法の発達と呼応するように、使われる糸も手紡
ぎ糸から撚糸(紡績絹糸・人絹糸・綿糸・ナイロン糸など)に変わってゆくと、非常に繊細で、染め物と間違われる程精緻なものも生まれ、洗練された絣模様が銘仙の持つ魅力となり、明治から昭和にかけて一世を風靡した。

3 銘仙の衰退


 第二次世界大戦頃まで、主に女性の普段着に多く用いられたほか、裏地・夜具地・丹前地・座ぶとん地などの需要が多かったが、昭和30年代からウール・化学繊維の普及により急速に市場から姿を消していった。また戦後の衣服革命は、織物業界に大きな衝撃を与え、足利、秩父など、他の銘仙産地がいち早く衰退し、他の製品に転換していった。その中で、伊勢崎は銘仙にとっての最後の牙城を守ってきた。それだけに根の深い技術を持っていた産地である。


 昭和40年代前半には手機も二万台ほどあったが、現在では力織機が増え、ウール着尺、シルクウール着尺に王座を譲ってしまう。しかし、現在では、動力機を用いるウール着物の全盛期をすぎ、伝統の絣技法を生かした伊勢崎絣として、生糸、玉糸、真綿紬、絹紡糸(併用絣のみに用いる)を原料とする織物が見直されている。(昭和50年には、伝統工芸品として国の指定を受ける)また、ここ数年アンティーク着物がブームになりつつあり、銘仙の着物のモダンでユニークなデザインに再び注目が集まっている。銘仙は海外にもコレクターが多い。

4 銘仙の種類

◆解し絣、併用絣(経緯絣)
 織り幅と密度に合わせた経糸を機にかけ、綿ガス糸でザックリと粗く仮織りして、経糸の乱れを押えておき、布地のように長板に張って、型紙捺染によって数色の模様を染め重ねる。染め上がった経糸は、仮織りのまま千切りに巻き込み、仮織りの緯糸を抜きながら製織するので、ほぐし絣とか解き絣と呼ばれる。解し絣は、経糸の染色模様を生かして用いることが多く、無色の緯糸を用いると、ベールをかけたように、緯の色目で捺染模様が沈む。
 経緯ともに捺染糸を用いる併用絣(経緯絣)は、織り幅と同じ幅の板に、織る時と同じ密度に緯糸を巻き、同じ型紙で捺染する。次に板を裏返して染めるが、この際型紙をよく洗い、型紙も裏返して捺染する。緯糸は1本につながっており、織るときに右から左へ、左から右へと往復するからである。

◆緯総緋
併用緋と違うところは、経糸に柄加工をしないところ。
経糸は無地に染めただけで整経する。したがって仮織りはしない。
緯糸の染め方は併用緋と同じで、型紙を使った捺染で仕上げる。緯糸だけで柄を作る苟で比較的柄が柔らかい、深みのある感じに仕上がる。緯糸はやや太めのものを使った方が柄がよく引き立つ。

◆珍絣
縛りと板締の2通りがある。
1.縛り(括り絣)縛りは糸の束を長く張り、意匠図に従い糸のころどころを捺染し、次に捺染した部分を紙で覆って糸でかたく
縛り、染液のはいった釜に入れて地色を染める。
2.板締…板締は糸の束を溝を彫った二枚の板で挟み、締め付けて
染色をする。溝の部分だけに染料が浸透して染まり、それ以外の部
分は白く染め残って緋糸となる。

【参考文献】
 『伊勢崎織物史』伊勢崎織物協同組合 伊勢崎銘仙会館
 『原色染織大辞典』淡交社
 『実用織物の研究』西村益者著 東京織物研究会
 『図解染織技術事典』柚木沙弥郎監修 田中清香・土肥悦子共著 理工学社
 『染織事典一日本の伝統染織のすべてー』中江克己編 泰流社
 『日本の伝統織物』富山弘基 大野力著 徳間書店
 『日本のふるさとシリーズ 織物の旅<東日本編>』奥村芳太郎編 毎日新聞社
 『機織唄の女たち:聞き書き秩父銘仙史』井上光三郎 東京書籍


似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
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