海獣の子供

アニメーション映画「海獣の子供」を観てきた。米津玄師が主題歌とあって、そこそこ話題になっている映画かと思う。
感想を書きたかったのだけれど、どんな映画だと言えば良いのかわからないし、考えれば考えるほど、私が論じるには私は映像作品に対して造詣がないな、と感じたのでやめた。愛が足りない。
ということで、五十嵐大介原作のマンガ「海獣の子供」について、書くことにした。

出会いは中学生か高校生のとき。私立の中高一貫の進学校で、勉強漬けのかなりストレスフルな学生生活の中で、唯一の救いが小説やマンガを読んでいるときだった。このころに読んだ本が、私の考え方に多大な影響を与えたことは間違いない。その中のひとつが、「海獣の子供」だった。
それまで漠然と感じていた、感覚や気持ちがないがしろにされていることへの違和感に明確な言葉を与えてくれた。科学だけでは解明できないことはこの世にはたくさんあって、違う視点からも世界をとらえれるということ。むしろ、神話や伝承のような事実から遠いと思われているような物語が真実により近づけるんだということ。新しい考え方に触れて、晴れやかな気持ちになったのを憶えている。

海を舞台にすることで、命とはなにかをみんなが考えながら物語は進む(なぜ海が舞台なのかは、読めば自明)。命という壮大なテーマなので、表現も難解な部分もあるが、そんなことはどうでもよくなるほど、ストーリー展開が面白い。内容は難しい部分もあるのに、ページをめくる手は止まらない。
そして、なにより五十嵐大介の世界のとらえ方が私には斬新かつ知的でかっこよかった。「海獣の子供」は五十嵐大介の思想をマンガという媒体をかりて表現しているもので、五十嵐大介はマンガ家であり、思想家であると私は思っている。
海に関する証言も読み進めるほどに集まっていき、事実と物語が交錯して、五十嵐大介の作った物語のはずが、本当に私たちが生きている世界の物語なのだという感覚になるのも、五十嵐大介のマンガ技術の高さゆえだ。おかげで私たちは、自然と登場人物たちと一緒に考える。

私たちは、どこからきて、どこへ行くのか。
いのちとはなにか。

答えは私たちひとりひとりの中にある。
きっと考え続けて生きた人にだけ、見える答えがある。
だから私は考え続ける。
「海獣の子供」は、考え続けることを選んだ人には、きっと響く物語。

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