フォトエッセイ「それはまるで青い炎のように」
こんばんは。祝日の夕べ、いかがお過ごしでしょうか。
先週の土日を使い、ここ最近ネットで知った静岡県の今と私をテーマにした写真展に足を運んだ後に交流会に参加させて頂きました。
結果からお話します。
めちゃくちゃ良かったし、運営さんの努力や交流会でのこぼれ話や、写真談義からそして静岡県の魅力を今度は(カメラや詩やその他の表現で)発信できるような人になりたいと。そしてまず身近にいて、快く一泊二日ではあるもののたまの贅沢と快く送り出してくれた両親にまず感謝です。
発信というとWEB媒体やなにやら写真集を作るという事もそうなのですが、愛国心なんて言葉を使ったら国会議員でも袋叩きに合うような今ですからね、今はそういう大それた事ではなく、ここまで私が生きてきて袖振り合うも他生の縁と、以前の記事でもお話したように
「出逢いと別れの間にある小さな奇跡」
をそっと誰かの心に、そして自分自身の心に落とし込めるような愛のある人になりたい。それが私の本名の愛であるゆえんに自らがしていく事ができるなら、たとえいばらの道でもいざいかん!
優しさ、といわれたらそうなのかもしれません。
でも優しさは本当に卑怯で、ずるくて、心を蝕んでしまう時がありますね。
ふと、去年の夏前に何気なくとった一枚を放り投げてみる。
今ではこんな時間に起きていることも少なくなりました。朝は朝、昼は昼夜は夜そんな毎日の追いかけあいっこのなかでとったまだ写真の理屈も解らないけれどとにかくワクワクするから撮った一枚なのでしょう。
そんなワクワクが、眠れない夜誰かに明け方を伝え、外に出ようなんて気でも起こしてくれたら大したもんだ(笑)
まるで青い炎のように、この胸に燃えているのは私にしか今は解らないけれど、一日をどうとらえてどう切り取るかそんなものの見方、解釈の仕方が、写真を始めてから随分と変化したものです。
静岡市の「おまち」は荷物と土地勘のなさで撮影が出来ず残念でしたが、次回絶対リベンジしてやるーー。
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