フォトエッセイ「写真が嫌い…だった。父と写真と私と…」
秋も本格的に深まり、先日私は無事に36歳を迎えることができました。
メッセージをくれた友人・知人には本当に感謝してもしきれないですが中でも私の両親には本当に感謝しています。
最近の我が家は写真の話で、朝からあーだのこうだの新聞配達終わりの父と(しかも朝5時過ぎから、私が淹れた一杯50円のコーヒーを楽しみながら)話をしているのですが(もちろん母は寝ています)今、写真を私が本格的に父に習い始めて約一年が経ちます。
母が言うには父は昔から写真に対してすごくまじめにメモを撮ったり、最近になって何枚もの表彰状がタンスの中で眠っている事を知りました。
公園で猫がいれば、地面に腹ばいになり猫の親子とファインダー越しでた対峙してシャッターチャンスをものにする…そんな父を思春期の頃からずっと見ていました。恥ずかしい気持ちもありましたが、なぜここまで写真、カメラに熱中するのか、解らず…今背中をくっついて父と似た道を歩いているのかもしれません。
やりたいことばかりやっているような父ですが、娘の私が自負するのも変ですがやりたくないことも好きな写真以外の10倍こなしていると思います。家事は母より得意で、睡眠時間を削って家事を終わらせて、写真撮影の弾丸ツアーを1人で行い帰宅して、また仕事に行き、写真をとって。最近は友人知人に頼まれて、撮影の仕方も教えているようですが、父の教え方は本人のやる気を引き出すような褒めるポイントをかいつまんで教えるといったスタイルで、「教える」というより「意欲を引き出す」ことに趣を置いている様に感じます。
最近、写真を撮り始めて景色の微妙な移ろいや、建物などが変わっていく変容していく姿をいやでもか、というほど見る様になりました。通学路だったあの道にあった、建物が取り壊される…。そんなすこし悲しいけれど、新しい時代がやってくる束の間のこのひと時に家族みんな健康なのは幸せですね。
小学生の時に通った懐かしいあの坂道の通学路の先には、すごく沢山の出逢いや、挫折や恋やいろんな経験をしてきた私がいて…。
でも…家に帰ると心配性だけど頑固だけど料理が上手な母と、「私には時間がない」が口癖で今の時間も働いている父と、写真とチョコレートが好きな父がいて…。何より、ケンカの仲裁役のペットの纏君(18歳)が居る。
写真が嫌い…だった私だけど、カメラを持って歩いていると少しだけシャッターチャンスという贅沢な時間をカメラの神様から貰えると思っています。
その贅沢な時間の為に、今日もやりたくない仕事や煩雑な事柄にああだこうだ言いながらもけじめをつけながら、明日のシャッターチャンスを感じながら眠りにつこう…。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?