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共感は善なのか?〜反共感論

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どれくらい読めたのかは甚だ自信はないですが、「共感=善」という一方的な思い込みから解き放たれた経験は大きかったです。

認知的共感情動的共感の違い、それらの特徴とリスクをスポットライト効果も含めて知るだけでも「共感=善」とはいえない(道徳、理性的にはむしろ逆に働くことが多い)こと。

共感を盲目的に(理性的に思考することなく)「善きもの」としがちな、その危険性については少なくとも理解できるかと思います。

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ただ、この本で言われる(反)共感の定義を間違うといけないので、そこは注意が必要で、そのためにも訳者あとがきも読むのがいいと思いました。(読後の振り返り含め、助かりました)

本書のテーマ、書いてある内容とは別なのですが、訳者あとがきで印象に残った部分を引用します。

私はつねにツイッターはインターネットの扁桃体(情動反応に関与する脳の組織)であると考えてきた。
メッセージのスピード、短さ、拡散力など、その役割を果たすには格好の要素を備えているからだ。
ツイッターが持つこれら直感的な側面は、必要なフィルターをバイパスして、情動システムを繰り返し呼び出す。

認知神経科学者のターリ・シャーロット
(『The Influential Mind』より)

もっと何かを感じようと、もっと自分を感じようとして、私たちはオンライン接続しようとする。
しかしその実態は、性急にオンライン接続しようとすることで、孤独から逃げているのだ。こうして一人で自己に集中する能力が退化していく。
一人でいるときに自己のアイデンティティに確信を持てなければ、自己の感覚を維持するために他人の力をあてにせざるを得ない。すると今度は、他者を他者として認識できなくなる。
自分に必要なものを、他者からこまぎれかに受け取ることしかできなくなるのだ。これは脆弱な自己を支えるために他者を交換可能な部品として扱っているに等しい。

シェリー・タークル
(『一緒にいてもスマホ-SNSとFTF』より)

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シェリー・タークルの

こうして一人で自己に集中する能力が退化していく

は、内省する自己、内省力の退化ともいえるのではないでしょうか。

それを補うのにも瞑想の実践はいいと思います。

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