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8月が永遠に続きますように

理想の夏がある。
小学生の頃みたいな、朝起きてちょっとだけ宿題をやって、午後からはプールで、夕方帰宅すると疲れ果てて眠ってしまい、家族がタオルケットをかけに来てくれる。そんな夏。

夏が好きだ。
夏休みって、なんでもできる気になれる。本当に。世界の中心が自分だと思えた。セミの鳴き声も青空も、日焼けのあとが痛いのも、自分が主人公だから起こるんだ。
小学生時代はこんな感じで、とにかく夏、というか夏休みを愛していた。
夏休みになると途端に早起きになって、毎朝おはスタやら再放送のアニメやら、録画したもののけ姫やらを見ていた。楽しかった。

ところが中学生になると「いやぁ、夏とか暑くて敵いませんわ、はやく夏終わらないかな」とスカし始める。突然斜に構え始める理由など1つで、つまり深刻な中二病だった。聞かれてもいないのに「いやぁ夏とか笑、ナイナイ笑」を会う人会う人に言っていたので本当に、誰か当時の私を止めてくれ、なぁ……。

高校生になると多少この「夏嫌い」アピールが治まるのだが、中高生の夏、というか高校生の夏は結構辛かった。課題、課題、課題、そして課題に加え、部活、部活、部活、そして部活、補習補習無限補習で生命力の全てを奪われた。
精神が小学生時代で止まっているので、今すぐにでも「夏休みだ! 遊びに行こ!」と駆け出したいのに、環境がそれを許してくれないのはきつかった。私の頭が悪かったのが原因なのだけれど……。 

そういうわけで、高校生の夏休みといえば大抵精神を病んだ。無闇矢鱈プライドばかりは高いので、何事も平均以上の場所にいたいのだが勉強も努力もできない自分、なんかすごい頑張ってる周囲、比較、鬱、自己嫌悪、自己嫌悪、自己嫌悪……。
受験期は特にこれが酷く、当然といえば当然、受験の天王山である夏休み、周りの人間はめちゃくちゃ勉強を頑張っていた。私は特になにか行動を起こすわけでもなく、基本呑気に、時々ヒステリーを起こし、比較、鬱、自己嫌悪、自己嫌悪、自己嫌悪を繰り返していた。

しかし転機はあった。補習を受ける毎日の中である日突然天啓が訪れる。私の言う天啓とは、状態異常「もー知らん、もーどうでもいい、ちくしょう、自殺だ自殺、死んでるからなばーか!!!!!」時に発生する「どうせ死ぬなら最後になんかやっとこ」のことである。
「どうせ死ぬなら最後に」と私は突如補習を抜け出し、そこそこ大きい神社に行った。現地に向かう電車の中、私は私が自殺した後の世界を思い、再び鬱になっていた。死ぬのはいいけど死んだ後「あいつ死んだの? へぇ〜」程度の関心で済まされる予感がしたからである。家族はきっと悲しんでくれるだろうと思い、一人で家族が好きになり、些か気分が良くなる。
その後「ろくに喋ったこともないクラスの人間が演劇じみた動作で私の死を嘆く」ところを想像し、やっぱり気分は最底辺にまで落ち込んだ。
神社に到着し境内を一通り見たあと、疲れたので抹茶を飲んだ。特に見るものもなかったので近くの商店街に寄り、古本屋に立ち寄り、焼きたてのメロンパンを食べた。当時の私は前述の通り状態「家族最高じゃん」になっていた為、家族のぶんのメロンパンも買った。
手に入れた本が読みたかったのと、メロンパンが美味しかったから、その後私は自殺せず帰宅した。夕食、温かいお風呂、清潔なシーツに包まれて、現金に「生きるの案外悪くないかもな」と思いながら寝た。
今から一年前の、辛い夏の思い出である。

なんだかんだ無事大学生になった今年の夏は、「理想の夏」を思いつく限りなんでもやる、をテーマにした。結果めちゃくちゃ楽しい。あんなに「夏なんてはやく終われば良い」と呪っていたのが嘘みたいに、小学生みたいな純粋な気持ちで夏を楽しんでいる。久々の感覚だった。8月が永遠に続けば良い! だって楽しいし! そんな感覚。

話は戻る。補習バックレ後、私はあらゆる嫌なことから逃げた。主に勉強、失敗した人間関係、ありとあらゆる「もう死んでやる!」要素から身を遠ざけた。元々成績が最悪だったのにますます成績が最最最悪になったのは言うまでもない。夏休み明けの模試後、担任に呼び出されて「一体この夏に何をしていたのか、こんなことではどの大学にも受からない、怠けるな」と厳しい正論を叩きつけられた。
私はと言うとその言葉を受けてめちゃくちゃ泣いた。割と人通りの激しい廊下だったけれど、気にしてる場合じゃなかった。過呼吸気味になりながら泣いて反省、ではなく、過呼吸気味になりながら担任に逆ギレした。最悪な生徒だったと思う。私はもう生きるので精一杯だから放っておいてくれ、というようなことを言った気がする。

敗走続きだけど、なんだかんだまだ人生からは逃げていない。それだけで私は十分にえらいのだ、そうだ、と唱えながら日々の鬱をやり過ごしている。あの時死ななかったから今年の夏は最高だった。それだけで良い。また生きるのが嫌になったら、どこか遠くに逃げ出そうと思う。その時は南極から手紙を送るのだ。内容は南極の寒さと、ペンギンの可愛さについて。

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