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日本との戦争を望んだのはアメリカではなくルーズベルトだった

アメリカはなぜあれほどまで中国に甘かったのだろうか。

一方で、なぜあれほどまでに日本を嫌悪したのだろうか。

日米開戦前のアメリカにおける極東外交の方針は、徹頭徹尾、「中国偏重・日本軽視」に凝り固まっていた。

いや、そんな表現は生ぬるく、「中国溺愛・日本憎悪」だったと言っていい。

支那事変(日中戦争)が勃発したときも、アメリカは一方的に中国に肩入れした。銃器火器や弾薬などの武器援助のほか、航空機や熟練のパイロットまで送り込んで後方支援に回ったのである。おかげで日本軍は大陸での戦争に大いに手を焼いた。

支那事変におけるアメリカの暗躍をみれば、この時すでに日米戦争は始まっていたとの見方もできなくはない。さらにアメリカは日本に経済戦争も仕掛けていた。日本軍の仏印(フランス領インドシナ。現在のラオス・ベトナム・カンボジア)進駐をきっかけに在米資産の全面凍結・対日石油の禁輸を決定したのである。

日本軍による仏印進駐は、米英仏などの連合国に天然ゴムや錫などの資源供給を妨害されたために誘発された部分が大きい。しかし、そんな日本の言い分もむなしく、アメリカによる締め付けはどんどん強くなっていった。

天然資源を止められ石油も供給されないとなれば、日本の商船や艦船は無力化し、ただ海に浮かぶだけの鉄くずと化す。資源のない島国日本にとってこれは致命的であった。国家にとっての経済は人間にとっての血液に等しく、そこに大きな打撃を加えてくるわけだから、アメリカのやっていることはほとんど戦争行為に匹敵すると言っていい。日本は窒息死する前に、無謀とわかりながらも大国アメリカに戦いを挑むかもしれない。日米開戦の可能性をアメリカは考えなかったのだろうか。

確かに日本は中国国民党と戦争状態になり、大陸に軍を進めていった。これはウイルソンが提唱した民族自決に反するかもしれない。また、中国の門戸開放と領土不干渉を大国間で決定した九か国条約に抵触するかもしれない。日本に非があるから、懲罰の目的で経済制裁を発動したのだという理屈は筋が通っているように見える。が、そうであれば、ソ連に対しても同じ行動がとられるはずだ。欧州で戦火が拡大したどさくさに紛れ、ソ連はポーランド、バルト三国、フィンランドに侵攻した。これによりソ連は国際連盟を除名されるも、独ソ戦が起こると武器と資金の援助をアメリカから受けるようになる。このアメリカの態度はどう理解すればいいのか。中国の侵略は許せないが東ヨーロッパの侵略は問題ないとするのがアメリカの「正義」なのか。

アメリカの対日経済制裁といい、対日交渉における一切妥協しない強硬姿勢といい、いろいろ勘ぐれば日本との戦争を望んでいたのではないかと思えてしまうのである。

日本との戦争を望んでいたというのは言い過ぎでも、そうなっても一向に差し支えないと考えていたフシは大いにあり得る。

果たしてアメリカは日本との戦争を望んでいたのだろうか?

少なくとも、アメリカ国民は、日本軍にハワイを攻撃されるまでどの国との戦争も望んでいなかった。

「自国の戦争介入に反対する国民は全体の85%」という当時の世論調査からもそれがわかる。

にもかかわらず、時の政権が展開した外交を見ていくと、アメリカが戦争に巻き込まれてもいいような政策がやたら際立っていた。

強硬な外交姿勢だったのは日本に対してだけでなく、ドイツにもそうであった。

アメリカはドイツと戦うイギリスを軍事・財政の面で支援し、1941年3月に制定した武器貸与法によりその動きは加速した。それだけじゃなく、ルーズベルトは自国の海軍に「ドイツ海軍のUボートを発見次第撃沈せよ」との命令を下すこともしている。

ドイツと戦争を始める気満々ではないか。

とても、戦争を望まないと考える国民が多数派の国の指導者がやることとは思えない。

そうなると、戦争に前向きだったのは、アメリカ国家というより時の政府、もっといえば当時の大統領ルーズベルトとするのが適切かもしれない。

この文章ではアメリカという主語を使ってきたが、すべてルーズベルトに置き換えて考えてもいい。そのほうがこの問題の本質がくっきりと現れるような気がする。

20世紀前半のアメリカ政治(外交)は、他国の戦争や紛争に積極的に関与することを是とする「干渉主義」と、他国の争いには関与せず中立を堅持するべきだとする「孤立主義(モンロー主義)」のふたつの勢力が争う構図だった。

ルーズベルトは代表的な干渉主義の政治家だった。ヨーロッパや極東で展開した外交政策にもその考えが一貫して現れている。

ヘンリー・ウォーレス(副大統領)、ヘンリー・スチムソン(陸軍長官)、フランク・ノックス(海軍長官)、ハリー・ホプキンス(大統領顧問)、ヘンリー・モーゲンソー(財務長官)といった、ゴリゴリの干渉主義者を政府高官として登用したのをみても、その立場と目指す方向ははっきりしている

同時に彼らは、「ドイツ・日本に厳しく、中国・ソ連(共産主義)にやたら甘い」という思想的特徴や外交的スタンスも持ち合わせていた。

ルーズベルト政権が対日・対独戦争を画策したかどうかはともかく、和平には極めて消極的だった。そしてアメリカ参戦を実現する政策・外交に積極的だった。これはアメリカ国家の意思というより、ルーズベルトと彼を取り巻く政府高官らの方針と考えるのが正しい。当時のアメリカには非戦論者が議会に大勢いたし、国民にいたっては圧倒的多数派だったのだ。

日本は、満州事変後も支那事変中もずっと、ルーズベルト政権と戦っていた。それが真珠湾を攻撃してからアメリカ全土を敵に回すことになった。非戦論者だったアメリカ国民までも、である。ルーズベルト政権の外交にやられ、その術中にまんまとはまってしまったと言っていい。日本人に必要なのは、なぜそのような展開になったのかの分析と、どうすれば日米戦争を回避できたのか、その教訓を見つけることではないだろうか。






















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