見出し画像

明治時代に流行った「決闘」火付け役は犬養毅

Twitterではときおり、意見の違いを発端とする激しい口論が展開される。もしあなたがSNS上で誰かの言論や意見を批判したとして、その相手が思いのほか激高し、「お主の言い分はまかりならん、決着をつけてやるから私と戦え、正々堂々拳と拳を交えどちらが正しいかはっきりさせよう。〇月〇日に××まで来い、逃げるなよ」みたいな調子で“決闘”を申し込んできたら何を思うだろうか。きっと相手の正気を疑うに違いない。

そんな正気を疑う輩がいた。ただし現代ではなく明治時代の話になる。

明治22年(1888年)12月、「決闘処罰に関する法律」が公布された。決闘を禁止する法律である。こんな法律がつくられたということは、当時決闘騒ぎがあちこちで起こり、取り締まる必要があったことを意味する。

侍の血の気が残る明治時代、口を開けば決闘決闘と騒ぐ決闘ブームが巻き起こった。その火付け役となったのが、明治21年に起きた「松岡好一(こういち)・犬養毅決闘騒動」である。

「松岡好一・犬養毅決闘騒動」とは、書いた記事を事実無根と否定されたことに怒った松岡好一が、否定した犬養毅に決闘状を叩きつけた騒動。犬養毅が決闘申し込みの書状を新聞紙上に公開したことで騒ぎは大きくなり、決闘の是非をめぐる論争や「決闘ブーム」のきっかけをつくった。

松岡好一が書いた記事とは、明治21年6月雑誌『日本人』に掲載された「高島炭鉱坑夫虐待事件」である。松岡は坑夫を装い、三菱が管理する長崎県の高島炭鉱に潜入。そこではひどい虐待があり、死傷者も多数出ている炭鉱現場の過酷な実態を暴露した。

ところが、朝野新聞の犬養毅がこの記事を「事実無根」と否定。高島炭鉱の労働現場に多少の問題があるとしても、松岡の記事にはかなり誇張された部分が多く、事実とは程遠いという趣旨の記事を発表した。自ら坑夫になり体当たりで取材した松岡渾身の告発は全否定された。

烈火のごとく怒った松岡は、「貴殿の行為はいかにも天下の公道に背き、心外無念である。つつしんで決闘状を呈上する。なおその場所順序手続き等は介添人に一任する」などとしたためた書状を犬養の自宅に送り付けた。介添人というのは雑誌『日本人』主筆の志賀重昂(しげたか)と三宅雄二郎(雪嶺)のことで、決闘状には二人の署名もあった。

自分の書いた記事を否定する言論に対しては、ペンをもって反論記事を書くなど言論で反撃するのがジャーナリストのとるべき姿勢のはず。松岡はそれを放棄して拳で決着を付けると言っているのだ。この時代の言論人はそれほどまでに血の気が多かった。

犬養は松岡の挑発にはのらず、至極全うな正論でもって返信する。「決闘などというのは野蛮の遺風であり、なくさなければならないと確信しているので、貴殿の申し入れには応じられない。自分の記事に不同意があるのなら、遠慮なく事実を挙げて反論してほしい」返書の内容は紙上にも掲載された。犬養の“大人の対応”により、この問題は血を見せずして落着した。

だが、決闘騒ぎがこれで収束することはなかった。新聞で、雑誌で、大学の討論会で、決闘の是非をめぐる議論は言論界をおおいに賑わした。決闘は合法か違法か、裁くなら何罪に該当するのか、介添人は罪になるのかなど、侃々諤々の議論が活発に、大真面目に展開されたのである。松岡犬養決闘の介添人だった三宅雪嶺は、東京日日新聞に発表した「決闘の件に関し犬養毅氏ならびに新聞雑誌記者に質す」と題する意見書のなかで、浅はかな知識で決闘を論ずる新聞記者を冷笑気味に非難した。決闘は文明の進んだ西洋でも多数の例があるほど歴史を持つ文化であり、社会的な便益もそれなりに残してきた。広い視野で多角的かつ詳細に考察すべきであり、一概に野蛮だなんだと軽々に論じるものではない、と。決闘にも道理があるとの主張は全国紙で堂々と公開された。

議論だけではない。何か気に入らないことがあればすぐ決闘だと騒ぐ「松岡の二番煎じ」が全国各地に出没した。決闘ブームが到来したのである。

県会議員に侮辱されたから決闘、入閣した大臣が気に入らないから決闘、言論活動が無責任だと他党の党員に決闘、議場で頬を引っかくとはけしからんから決闘。果ては、俳句の解釈に間違いが多いといって決闘を申し込む者まで現れる。まさに決闘花盛りの時代。

当初は「問題とせず」と静観を決め込んでいた政府当局だったが、明治22年には法整備に動き出して取り締まりの対象とする姿勢を明確にする。冒頭で述べた通り同年12月に決闘処罰に関する法律が公布された。松岡好一が犬養毅に決闘状を送り付けてから約1年後のことである。これを機に決闘ブームは収束へ向かう。

もとをただせば、松岡が「高島炭鉱坑夫虐待問題」を誌上で取り上げ、それに対する反論記事を犬養が書いたことが発端だった。松岡の突飛な反応のせいで世間の関心の的はヘンな方向へ流れてしまい、本当のところ過酷な労働現場の問題はあったのかなかったのか、うやむやになってしまったのは大きな社会的損失ではなかったか。

犬養の記事に松岡が正面から言論でもって対抗していたら、炭鉱現場の労働問題に関する議論は深まり、世間の関心が集まって政治が動くような状況になっていたかもしれない。いや、決闘騒ぎがあったとしても、本質的な問題は高島炭鉱で働く人々の待遇や労働環境であり、議論の軸足をそこにしっかり打ち立てる言論が展開されていたならば、炭鉱現場で働く人々の労働環境はもっと早くに改善した可能性がある。

社会にとっての本質的な問題はどこにあるのか、冷静に真剣に考えればわかるはずなのに、人はそこへ向かおうとせず、ただ面白くてわかりやすくて刺激の強い低俗なものに引っ張られ流される。その結果、重要な課題はどんどん棚上げされる。決闘騒ぎは明治時代の話だが、「本質を無視して安易な方向に流れ続ける」状況は、現在進行形で普通に起きている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?