歯の痛みよりも、痛いこと

憂うつである。

今年もか、という思いである。

同時に、後ろめたい気持ちもある。

あの人に、約束を守れなかった事実を打ち明けなければならない。

***

先日、会社の新年会でごはんを口にしているさなかに、銀歯が取れてしまった。

そのときはどうも、口をモグモグさせながら左下奥の歯に違和感があった。あきらかに、銀製の詰め物が食べ物との摩擦でジタバタしているような感覚だった。「これは取れるな」と思い、口のなかに含ませる量を抑えながらごまかそうとしたけど、無駄な悪あがきだった。

新年早々、歯医者のお世話になることになった。覚悟を決めた瞬間、まっさきに頭に浮かんだのは、前回ぼくの担当だった歯科衛生士さんとのやり取りである。

実は去年も、年明けから歯医者に通い詰める日々だった。

虫歯の治療やら詰め物の調整やら歯のクリーニングやらで、仕事が終われば歯医者へ直行という日が延々と続いた。最初に通い始めたところの歯医者さんに不審を覚えたりして、いくつかクリニックを鞍替えするような珍事もあった。何だかんだあったおかげで、正月明けからはじまった苦行は、初夏の香りがする頃まで続いたのである。

歯医者では、すべての虫歯治療を終えたあと、全体のクリーニングに取りかかる。歯石取りというやつで、歯と歯の間、歯と歯ぐきの間にたまったゴミや汚れ、着色を取り除く作業だ。いわば歯の大掃除である。

白米を愛し、毎日コーヒーを飲むのが日課のぼくの口腔は、歯石の巣窟となっていた。担当した歯科衛生士のお姉さんもあきれるくらいだった。すべて退治するのに、何回も通うはめになった。

何とか処置を終え、ようやく解放されることになったとき、歯科衛生士さんがぼくにあるものをプレゼントしてくれた。糸ようじである。

歯のすき間にはびこる食べかすや汚れは、歯磨きでは落ちない。間に滑り込ませ、ピン、ピンとこそいでいく細い糸の力が必要なのだが、彼女がこれをひとつサービスしてくれたのだ。

「タナカさんは、習慣的にも体質的にも歯石がつきやすいみたいなので、毎日これを使って歯をきれいにお掃除してくださいね」

その親切と心配りに、ぼくは感動を覚えた。いきおいで取り換え用をひと箱買ってしまうほどだった。

けれど、お姉さんの好意にこたえることはできなかった。ぼくはその糸ようじを一度使っただけで、あっさり放棄してしまったのである。

この糸ようじを使うには要領が必要で、コツを得ていないとなかなかうまくできない。歯磨きのたびにこのストレスを味わうのかと思ったら、いやになった。手先が人一倍不器用だから、というのはもちろん言い訳にならない。不徳の致すところ、汗顔の至り、まったくもって情けない気持ちだ。

そんな感じで、もとの怠惰な歯磨き習慣に甘んじることになり、おかげで用意周到にそろえたバックアップも日の目を見ず、小物入れの奥に鎮座したままである。人間は、習慣にあっさり飲み込まれる弱い生きものだと痛感した。

今日の夕方、ぼくは歯医者へ向かう。例のごとく、あちこちに虫歯がみつかって、また長いロードとなるのだろう。歯石も、わが物顔で歯列一帯にはびこっているに違いない。あのやさしい歯科衛生士のお姉さんは、今日いるだろうか。そこでぼくはどんな顔して彼女との再会を迎えればいいのだろう? 別のお姉さんが担当になってくれたらいい、と心のどこかで思っている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?