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大東亜戦争劈頭に活躍した情報戦士②国武輝人

大東亜戦争の口火を切った真珠湾作戦とマレー作戦。
両作戦の成功の背景には、情報将校たちの血の滲むような努力の末のインテリジェンス活動があった。

マレー作戦は、イギリス東洋支配の象徴であるシンガポール攻略を目指して断行された、陸軍数個師団による南方攻略作戦である。この「東洋の電撃作戦」を陰で支えたのは、マレーの情勢調査を目的に現地派遣された陸軍情報将校国武輝人少佐であった。

マレー電撃作戦を成功させた国武情報

昭和15年の夏、陸軍参謀本部は南方班を設置し、タイおよびマレー半島の兵要地誌や地図の作成、情勢の把握や情報収集を目的に数名の将校を現地へ派遣した。

数名の将校とは、マレー作戦を担当する第二十五軍参謀に親補された辻正信中佐、国武輝人少佐、朝枝繁春少佐など諜報活動や作戦計画を担当する将校たちである。このうち、マレー入国を許可されたのは外務書記官の肩書で入国した国武少佐だけであった。

同少佐は、昭和16年の1月から3月にかけ、マレー半島の地理や気象条件を詳細に調査。地上・上空問わない現地調査でマレーの実地を丸裸にし、兵要地誌の作成に必要不可欠な資料をもたらした。

東洋イギリス軍の根拠地・シンガポールを攻略するには、マレー半島を進軍するしか方法はなく、雨季に入るまでの数カ月の間に1000km以上を走破しなければならない。

マレー半島は難所多き地勢で、鉄道路線が伸びる東岸以外は山脈とジャングルが入り乱れていた。山脈からは無数の河川が東西に走り、進撃の大きな障害であった。

特に上陸軍が進撃目標とするペラク川にかかるクワラカンサル橋は、川面から17mを超す崖の上にかかり、付近の川幅は300mを超え、この橋が破壊されれば進軍は極めて困難となる。

この窮地を救ったのが、事前にもたらされた国武情報である。この情報によると、橋梁修理に必要な資材はワイヤーとカスガイ、五寸釘など最低限のものを携行していればよく、架橋に必要な木材は周辺の樹木を伐採すれば事足りることが判明した。

また、マレー半島の幹線道路はジャングルに囲まれ乾季でもスコールに見舞われる悪条件だったが、自転車を使えば進軍は難しくない。この情報も国武少佐の調査活動によってもたらされた。

上陸軍にはあらかじめ「宮田の自転車」など良質な日本製自転車が配備され、マレー半島の縦断に活用された。自転車に乗り疾風迅雷の勢いで難路を突破したこの部隊は“銀輪部隊”と呼ばれた。

ジャングルを迂回する歩兵部隊には、河川移動を容易にする機動用舟艇があてがわれ、奇襲上陸や橋梁確保に大いに生かされた。かくして、世界を驚嘆させた東洋の電撃作戦は成功裡に終わったのである。

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