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不可逆なものって呪いや呪縛になり得るんだろうな

こんな投稿を見かけた。

確かに、そうだと思う。
教えられた人にとってその音楽は呪いになり得る。
心に残る出来事と結びついたり、歌詞の意味に感銘を受けたり、トリガーは様々だとは思うが、一度深く刻まれた音楽は生涯頭から離れないものだと思う。

そもそも「呪い」というものは任意の相手に災いや不幸が訪れるように願う行為ではあるが、ここでは「良かれ悪かれ心の奥底にこびりついて剥がせないもの」という意味合いという前提で話を進めたい。
なので呪いという言葉から悍ましさや良くないイメージが伝わりそうだが、決して悪いものという意味ではない。
ひょっとしたら正確には「呪縛」と表現した方が正しいのかもな。

一度覚えてしまうと以前の自分には二度と戻れない、みたいなものはきっと音楽以外にも沢山あるんだろう。

というかそもそも「知る」という行為自体、呪いと同じようなものだと思う。
余程強い衝撃などで記憶が消されたりしない限り、一度覚えてしまうとそれを知らない頃の自分には戻ることができない。

例えばよく「記憶を消してもう一度観たい映画」みたいな話題を人と話したりネットで見たりするが、これはその映画が強く感情や記憶と結びついてしまったが故に忘れることが出来ないからこそ発生するものだと思う。

簡単に忘れる事が出来れば苦労はないが、そんな事は99%無理だと思う。
私だってインターステラーをもう一度真っさらな状態で観たいが、その願いが叶う事はないのだ。

他のものでいうと「名前」もそうだと思っている。
戸籍に登録されている自分の姓名は、自分が生まれた時に必ず誰かが与えていえる筈だ。ひょっとしたら産声と同時に自分で決めた名前を宣言するスーパーベイビーもいるかもしれんが。

格好つけた言い回しだが、生まれて初めて与えられる呪いとしか思えない。お前は一生その名前で生きていけと言われているのと等しいのだ。
だけど自身の名前を好いていたり誇りに思っている人も多くいる筈で、それはそれで素敵なことだと思う。

素敵なことというと、冒頭に貼り付けた投稿とは別にこんな投稿も見かけた。

このとても素敵な感情も、一種の呪いなんじゃないかと思う。
一度知ってしまったからこそ生まれた祈りってなんて素晴らしいものなんだろうか。多分この方は「あの人」に出会う前の自分には戻れないんだろう。

主語がデカくなってしまうが「不可逆なもの」全てが呪いになり得るんじゃなかろうか。そしてそれが自分の心にとって大きいものであればあるほどその力が増していく気がする。

良いものであれば問題ないんだが、悪いものであればそれと一生付き合って向き合っていかなければならない。なんて厄介なんだ。

呪いって与える側は簡単なんだけど与えられる側はたまったもんじゃないんだよな。当たりとハズレの振れ幅がデカすぎる。
自分の中に与えられたハズレの呪いが、いつか気にならないものに昇華できたら嬉しいな。

おわり。

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