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健やかなる時も① 114

クウェートからバンコク、バンコクから成田へ。
そこから、軽井沢に辿り着いた時。
すでに、日は落ちていた。
優が予約してくれたホテルは、白樺並木のただ中にあり。
清涼な高原の空気に満たされていた。


学生時代の同級生や、気のおけない同僚達と共に。
広々としたスイートルームを独占して、散々飲んだあと。
僕等はそれぞれの部屋に戻った。
翌日は、彼の結婚式だから。
一応、気を遣ったつもりだったのだ。


明日で、何もかもが終わる。
そう思いながら、シャワーを浴びたあと。
素っ裸のまま、ベッドの上に仰向けになる。
煙草を吸う気力も、酒を飲む気力も尽きたまま。
僕はひたすら、優のことを考え続けていた。
生まれた産院も同じ、小学校も同じ。
中学では、クラスも同じだった。
僕の親友であり、唯一の味方であり。
医大の同期であり、一生敵わない相手のことを。




例の事件のあと。
僕はしばらく、優の家に身を寄せていた。
彼の父親は空曹で、戦闘機の整備を担当し。
母親は、市立病院に勤務する看護師だったから。
両親がどちらも仕事で不在の時。
1人っ子の優は、僕の家に泊まりに来たものだ。

犯人逮捕をきっかけに、事件はよりセンセーショナルに報道され。
連日のように、マスコミが詰め掛けるようになった。
そのために。
父は、店のシャッターを開けることすら出来なくなり。
人々の好奇の目に晒されるくらいならと。
意を決して、優の両親に僕を託したのだ。


学校にも行けず、家にも帰れないまま。
人気ひとけのない官舎の中で、僕は1人きりだった。
どうしてこんなことになるのだろう。
何故あの時、あの場所を通ってしまったのだろう。
そんな風に、毎日自分を責めながら。
意味もなく溢れる涙を拭うことも出来ず、優のベッドに潜り込んで。
ただひたすら、彼の帰りを待っていた。
そんな僕を、優は本当に大事にしてくれて。
夜は当たり前のように、1つのベッドで眠った。
僕に腕枕して、きつく抱き締めては。
心配要らない、大丈夫だからと、何度も囁いては。
僕のために憤り、僕のために涙してくれた。
そんな相手を。
僕は明日、永久に失うことになる。
実際に失われないとしても。
彼が結婚し、家庭を築いていく以上。
僕はもう関わるべきではないと思った。
彼のためにも。
そして、自分のためにも ────




そんなことを考えながら、天井を仰いでいる最中。
突然、携帯が鳴った。
相手は優。
時間は、0100を過ぎている。

サイドテーブルに手を伸ばし、それを取り上げると。
彼は、やや遠慮がちにこう切り出した。

「 ──── ごめん。もう寝てたかな?」

「まさか。何かあったか?」

「さっきも電話したんだけど、出なかったから」

「あ、シャワーしてたからな」

「そっか。なら良かった」

「そっちこそ、早く寝ないと。明日は主役なんだし、忙しくなるんだぞ?」

「うん。判ってる。けど…」

一瞬の沈黙ののち。
優は、意外な提案を口にする。

「 ──── 今から、こっち来ない?」

「え?」

「絵梨も、友達と一緒にいたいって言うから」

「何言ってんだ。独身最後の夜だろう?」

「そう。だから ──── 仁と2人で過ごしたいんだ」

その言葉に。
僕は思わず、耳を疑ったけれど。
今更優に逆らえる筈もなく。
2分後に行くと告げて、携帯を切った。








瀟洒なスイートは、綺麗に片付けられていて。
優は、窓際のソファーに座って僕を待っていた。

「悪いね。我儘言って」

「慣れてるよ」と、僕は笑う。「でも、ほんとにいいのか?」

「いいんだ。最初から、そのつもりだったから」

「……」

「彼女にももう、話はつけてある」

でも、と言い掛けて。
僕は再び口をつぐむ。
これはきっと、優なりの誠意の表し方で。
彼なりの気遣いなのだろうと思ったからだ。
彼の婚約者は、将補の愛娘。
上官から直々に持ち込まれた話だけに。
逆らいようのない縁談だった。



それから僕等は、1つのベッドに潜り込んで。
灯りを消してからも、ずっと話をしていた。
子供の頃のこと、そのあとのことを。
話しているうちに。
優は、さり気なく距離を寄せてきて。
僕に腕枕してくれる。
昔と同じように。

嬉しかった。
優の気持ちが、その存在が。
何よりもありがたかった。
だからこそ。
僕は彼を諦めなければと思った。
気持ちを見透かされる前に。
でも。
優には、何もかもお見通しだったに違いない。
何故なら。
僕を抱き締めたまま。
彼は、こんな言葉を口にしたからだ。


「 ──── 仁」

「うん?」

「ずっと一緒にいよう。これから先、お互い、何があっても」

「……」

「例え君が日本へ帰って来なくても。誰かと何処かで結婚したとしても…」

「……」

「俺はずっと傍にいる。これまでと変わりなく」

「……」

「だから ──── 何の心配も要らないよ」

「……」


まるで自分に言い聞かせているように。
優は、そんな言葉を繰り返す。
けれど。
僕にはそれが、却って辛かった。
彼の決意に、心を打たれるのと同時に。
何故か、酷く傷付いている自分がいる。
今思えば。
この時点で、僕はすでに理解していたのだ。
こんな風に話せる日は、これで最後だということを。
そして。
優と2人きりで過ごす夜が、二度とないことを。


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