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なぜペルー料理はおいしいのか:クリオージャ料理の味覚の構造

(修正しました。詳細はコメントにて)

はじめに

 ペルーは美食の国だ。例えば2019年現在、World Travel Awardsという観光についての世界的なランキングにおいて、8年連続で「World’s Leading Culinary Destination(世界最優秀グルメ観光地賞)」を受賞している。世界ベストレストラン50というレストランランキングの2019年版で、上位10店にペルーのレストランが2軒もランクインしていることからも、ペルー料理の評価は伺われよう。すなわち、ペルー料理はおいしい。そこに異論を挟む余地はない。

 他方で、和食もまたおいしい。では、ペルー料理と和食は同じ意味でおいしいと言えるだろうか?
 ペルー醤油で香ばしく炒めた玉ねぎやトマトのおいしさ、牛ロースのジューシーさが特徴的な炒めもの、ロモ・サルタードと、繊細に切られた魚の食感と生魚の穏やかな風味、米のほのかな甘さなどを楽しむ寿司は、同じひとつの「おいしい」という言葉でくくってしまえるものなのだろうか。そうではない。ペルー料理にはペルー料理のおいしさが、和食には和食のおいしさがあるはずだ。

 文化人類学者である筆者は、これまで合計1年半以上、リマとクスコを中心に、ペルーで過ごしてきた。ホームステイした家の家庭料理、ガストロノミーレストランの料理、ガストロノミーレストランのまかないの料理、ペルー料理レストランの料理、ペルー料理レストランのまかない、街場の食堂のペルー料理といった様々な場所でペルー料理を食べてきた。

 本記事では、その経験に基づき、「ペルー料理」という言葉で広くイメージされる「クリオージャ料理」がなぜおいしいのかを明らかにする(注)。ここで特に注目するのは、クリオージャ料理に共通する料理の構造である。すなわちクリオージャ料理を代表するような料理、牛肉のコリアンダー煮込み「セコ・デ・カルネ」(以下にレシピを載せます)、鶏肉の黄色唐辛子クリーム煮込み「アヒ・デ・ガジーナ」、豆が入った焼きおにぎり「タクタク」は、どのような点で類似した仕組みになっているのか検討することを通して、クリオージャ料理がおいしい理由を明らかにする。

 以下ではペルー料理は四層に構造化されていることを示し、それぞれの層の特徴を見る。そして、層状に構造化されることの帰結を追っていく。また、ペルー料理の特色を示す事例として、ニッケイ料理も簡単に分析する。


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セコ・デ・カルネSeco de Carneのレシピの一例
Peru.com "Seco de Carne: Un plato contundente que debes saber preparar"より)

<材料>
牛肉塊 3/4
玉ねぎのみじん切り 1個分
トマト 小1個 (あまり典型的な材料ではない)
こしょう 小さじ1
クミン 小さじ1
にんにく 小さじ1のみじん切り
ウコン 小さじ1 (あまり典型的な材料ではない)
コリアンダー 刻んだものを1/2カップ
グリーンピース 茹でたものを1/4カップ
アヒ・ミラソルのペースト 大さじ3 (アヒ・ミラソルとは、アヒ・アマリージョという黄色唐辛子を乾燥させたもの。水で戻した後よく茹でてある程度辛味を取り、ミキサーにかけてペーストにして使う。)
チチャ・デ・ホラ 1/8カップ (発芽させたとうもろこしから作られる微発泡酒。時にビールで代用される。)
じゃがいも 切ったものを4つ

<調理>
 鍋に油を入れて温める。玉ねぎとにんにく、こしょう、クミン、ウコン、アヒ・ミラソル、コリアンダーを入れて炒める。
 十分に火が通ったら、このアデレソ(本文にて説明する)に肉を加えて混ぜる。混ぜたらチチャ・デ・ホラを加え、チチャ・デ・ホラが肉に染み込むように混ぜる。
 その後、肉とじゃがいもがかぶるくらいの水を加える。塩を加える。肉とじゃがいもに火が通るまで待つ。その後、白米とともにお皿に盛り、最後にグリーンピースを添える。(レシピには記載されていないが、写真のように、たいてい豆のクリーム煮込みも一緒に盛られる。)


ペルー料理の四層構造とその制約

四層構造20200209

 ペルー料理は四層に構造化されている。
 まず第一層、ペルー料理の基層となるのは、たっぷりの油で炒めた玉ねぎとにんにくである。すなわち、玉ねぎの甘み、玉ねぎとにんにくの元々のうま味と、メイラード反応が起こるまでじっくり炒めたことによるうま味、玉ねぎのとにんにくの硫黄化合物、その調理に使われるたっぷり油がペルー料理の基礎となっている。
 第二層をなすのは、料理の主な味つけを担う、うま味の豊富な食材である。第二層の食材はさらに、主要な味付けと補助的な味付けに分けられる。主要な味付けは、必ずそのうちの一つまたは二つが料理に含まれることになる。主要な味付けの役割を果たすのは、最も典型的には、アヒ・アマリージョ(黄色唐辛子の一種)またはアヒ・パンカ(乾燥させた赤唐辛子の一種)である。それらよりやや頻度は下がるが、アヒミラソル(乾燥させた黄色唐辛子の一種)またはトマトも主要な味付けとなる。これら主要な味付けにさらに風味を付け加えるのが、バターナッツかぼちゃ、チチャ・デ・ホラ、ペルー風中国醤油、煮込んだコリアンダー、無糖練乳などである。これらはアデレソとともに時間をかけて煮込まれ、煮汁の味の方向性を決める。
 第三層をなすのは料理の主役をなすタンパク質である。豚肉や魚や豆もタンパク質であるが、ペルーの人々に好まれるのは何よりもまず牛肉や鶏肉である。
 第四層をなすのは料理に清涼感を加える食材であり、料理の上や横に添えられている。それは例えば、酢、レモン、生のクルアントロ、生の玉ねぎ、生のトマト、パセリ、アヒ・リモ(赤唐辛子の一種)である。


 この中でも何より重要なのは、第一層の炒めた玉ねぎとにんにく、狭義のアデレソAderezoである。(ときに唐辛子などを含めてAderezoと呼ぶことがあるが、本記事ではこれをアデレソと呼ぶことにする。)
 「玉ねぎがない料理はペルー料理ではない」と言われることも多い。ある友人は何を作るか考える前に、玉ねぎとにんにくを炒め始めるという。ペルー料理は、うま味の爆弾のようなアデレソをベースに、同様にうま味に豊富な味付けを担う食材を重ね、さらに肉や魚、豆のうま味を重ねることで成立している
 それを支えるのは、アデレソを作るときや、特に好まれる調理法としての揚げ物や炒め物において大量に加えられる油だ。アデレソを作るときの油の量の多さは日本のレストラン・家庭の経験から際立っている。また、料理にはコメ、パスタ、じゃがいも、パンなどの炭水化物が(少なくとも現代の日本人にとっては)大量に添えられる。
 人間であればおいしいと思わざるを得ないような、絶対的なおいしさを実現する組み合わせだ。


 ペルー料理の確実なおいしさを生み出す層状の想像力は、層の重なりとして美味しいことを優先しているように思われる。
 まず総体のおいしさが重要であり、ペルー料理において、それぞれの食材の味を引き出すことは相対的に重要ではない。例えば、アデレソの強い風味や、肉に与えられる強い焼き目、食材の水分を奪ってもかりかりになるまで揚げることは、一般に素材の味を隠してしまうものであるが、全体のおいしさに貢献するものとして、むしろ追求されているように思われる。
 また野菜は、細かく刻むこと、ペーストにすること、強く煮込むことによって、一皿全体の渾然一体感が追求されていることが多い。

 かたや、ペルー料理に見られにくい特徴も、ペルー料理を以上のようなものとして捉えることで理解されるようにも思われる。炒めた玉ねぎとにんにくのくすんだ風味、強烈な甘味とうま味、多くの油脂をほぼ不可避な要素として含むことによって、澄んだ味は現れにくくなる。
 また料理の中心は常にタンパク質であり、豆以外の野菜が主役となることは稀である。先にレシピを紹介した「セコ」の牛肉をたとえばカリフラワーに置き換えた「セコ・デ・コリフロール」は存在し得ない。第四層の、清涼感を与えるハーブとしても苦い野菜は好かれていないようで、野菜のレパートリーを見ても苦味を持った野菜が少ない。そして、ハーブ類やほうれん草類はペーストにされる際はかなりしっかり煮込まれて苦味が取られてから加えられる。
 また肉と魚以外の食材を大きな欠片として切り、ヘテロ感を出す、ということは見られにくく、主役となるタンパク質とチップスを除けば食感の振れ幅は小さい。

他の料理の構造を取り込むペルー料理

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(代表的なマキ、セビーチェ風) 

 本記事はペルー料理の構造について議論している。すなわち、これは料理の料理の普遍的な構造と考えることはできない。少なくとも、会席料理の系譜を汲み、伝統的とされるような和食はアデレソを含まれない。和食で玉ねぎが使われることがあったとしても、それは肉やほうれん草と同じような意味で、一つの具材としてである。玉ねぎが料理の基盤として重要視されているヨーロッパの料理においても、上に述べたような意味で層状の関係になっているとは限らないはずだ。
 しかし、料理の構造の多様性に相対する中でこそ、ペルー料理の構造はその真価を発揮する。ペルー料理はその論理に沿って変換することで、異なる構造を持つ他の料理を簡単にペルー料理化することができるのである。
 その一例はニッケイ料理に見ることができる。ニッケイ料理とはペルーに移民した日本人が持ち込んだ食文化の影響を受けて、ペルーで発展した料理のことである。その代表例はMakiだ。例えば揚げたエビとアボカドを一緒に海苔と米で巻き、その上にサーモンまたはマグロを乗せ、玉ねぎや唐辛子を含んだマヨネーズをかけたものが典型例である。米と魚だけからなる、日本で流通する単純な寿司と比べた場合、まず、油、清涼感を与える酸、そして玉ねぎや唐辛子などうま味のある食材からなるエミュルジョンが付け加えられる。魚の選択にも特徴があり、白身魚ではなく、サーモン、マグロ、エビフライといった肉に近い脂を持つような魚介が選ばれる。そこにさらに、アボカドが付加される。
 マキにはアデレソこそ見られない場合もあるものの(見られない場合にもソースに生の玉ねぎ・にんにくが入っていることは多い)、日本料理にペルー料理的を代表する要素を加えると、ニッケイ料理になる、と考えられる。ペルー料理はあらゆる料理をペルー料理の意味においておいしくすることができるのである。そしてペルー料理の美味しさは人間の生理的な欲求に訴えかけるような絶対的なものであり、変形された料理は他国の料理は間違いなくおいしいものとなる。

まとめ(にならない)
 本稿はペルー料理の四層構造と、その味における帰結、他の料理との関係について分析することを通して、ペルー料理のおいしさについて考えてきた。
 とはいえ、この議論の確かさはおぼつかない。
 例えば、「ペルーに一年半いただけの日本人に何がわかる」というのが一番簡単な批判である。また、本稿のように文化のモデルを作ろうとする試みは、大抵は、多くのモデルが当てはまらない例の指摘によって批判されてきた。セビーチェはペルー料理の代表的なものであるが、セビーチェはアデレソを持たない。
 だが、ペルー料理の代表であるセビーチェがアデレソを持たないからと言って、アデレソがないペルー料理はないという主張は単なる間違いなのであろうか?単純な間違いでないのであれば、この主張はどのような意味や効果を持つのだろうか?あるいは、セビーチェは炒めた玉ねぎとにんにくという意味でのアデレソを持たないにせよ、大抵は生の玉ねぎとにんにくを含んでいるのであれば、バリエーションと見るべきなのではないか?
 このように突っ込み始めてもきりがないし、突っ込みの正当性に対する突っ込みにもきりがない。

 では、本当はペルー料理をどのように理解すればいいのだろうか?私にはここで書いた以上のことはわからない。何かわかったことがあったらぜひ教えてください。


注)ペルーには、少なくとも、首都リマを含む海岸部の「クリオージャ料理」、インカ帝国の首都クスコを含む山岳部の「アンデス料理」、ペルー西部に広がる広大な熱帯雨林の「アマゾン料理」と言った異なる料理の体系が存在する。そしてそれぞれの料理にはさらに地方差があるとされ、特にクリオージャ料理について語られる際は、トゥルヒージョとチクラヨを中心とする北部の料理、リマの料理の差異が言及されることも多い。
 しかし世界的に「ペルー料理」という言葉で理解される料理は、そしてペルー人自身が時にその語によって示す料理は(おそらくはリマの)クリオージャ料理が主である。ここにはリマを中心とした植民地支配の歴史と、現在も続く首都一極集中の社会構造が反映されている。その所作を反復し、そのあり方に加担するようで心苦しいが、と言い訳した上で、本記事はクリオージャ料理について主に述べる。

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これから書きたいと思っているのは「家でできる日本酒の作り方」「ペルー料理を理解するための料理・レストランガイド」「セビーチェのすべて」「ペルー料理を日本料理化する:日秘料理の構想」「砂漠への虚無旅」です!乞うご期待!