#075 スジの悪い仕事の断捨離 「クソ上司をどう扱うか問題」について 2/3

前回は「スジの悪い仕事の断捨離」という論点を置いた上で、そもそも「仕事のスジの良し悪しは何によって判断できるか?」というポイントについてご説明してきました。

今回は「そもそもなぜスジの悪い仕事が増加しているのか?」という点についてお話ししておきたいと思います。悪化要因について理解していないと、往々にして対処策もまたスジの悪いものになってしまうからです。

「スジの悪い仕事」が増加する要因1 停滞社会

残念なことに、今の日本企業ではどんどん「スジの悪い仕事」が増えています。これには次の三つの要因があると考えられます。

  1. 停滞社会における成長機会の減少

  2. クソ上司の蔓延

  3. 非主体的で従順な個人の増加

順に考察していきましょう。

1. 停滞社会における成長機会の減少

成長にも評価にも繋がらない「スジの悪い仕事」が増加している理由の一つとして、社会全体が低成長時代を迎えているという、環境的な要因が挙げられます。高度経済成長期のように社会全体が上り調子にある時には、企業にも多くの事業機会が発生します。そのような事業機会はその仕事に関わる人に成長と自信と周囲からの好評価をもたらす良い機会になったでしょう。ところが、現在ではそのような事業機会は多くの会社にとって非常に限定的なものとなっています。

では、それがどの程度に「限定的」になっているのか?高度経済成長期の60年代、日本の平均経済成長率は概ね9%でした。これはつまり、企業の売上高が8年で倍になる、ということを意味します。企業の規模が8年で倍になるということはつまり、企業の次々に新規事業を創成し、人員を養成する必要があったわけで、それだけ「成長できる仕事の機会」も豊富であったことが推察されます。しかもこれは、別に特定の成長企業においてそうだった、ということではありません。「国全体の平均値」がそうだったのです。

一方で、2010年代の日本の平均経済成長率は0.7%程度です。これはつまり、企業の売上高が倍になるのに100年以上かかる、ということを意味します。10年足らずで規模が倍になる時代から、同じ成長をするのに10倍以上の時間がかかるようになっているのです。これは「成長できる仕事の機会」の単位時間あたりの出現率が往時の1/10以下になっているということを意味します。当然ながら、そのような社会・組織においては「成長できる仕事の機会」も、往時に比べれば限定的にならざるを得ないでしょう。これはつまり、よほど意識的に「成長できる仕事」を自分から追いかけていかないと、なかなかそのような仕事には携われない社会がやってきた、ということを意味します。

「スジの悪い仕事」が増加する要因2 クソ上司

次に指摘したいのが、企業側の要因です。ぶっちゃけて言えば、経営者と管理職のレベルが非常に低いということです。

順に説明すれば、まず経営者に関して言えば、経営者本来の仕事である「人をワクワクさせるようなチャレンジングなビジョンや経営戦略を打ち出す」ことをせず、これまでの事業の延長線上に高い数字目標を課して信賞必罰で尻を叩く、というレベルの低いマネジメントしかできないために、成長につながるような大きな挑戦が社内に生み出されない、ということです。

ちなみ私は2015年10月に自分のブログで「これまでの事業の延長線上に高い数値目標を課して尻を叩くだけのマネジメントが行なわれている企業は、いずれ次々にコンプライアンス違反を起こすだろう」という予測をポストしていますが、残念なことにこの予言は的中し、ここ10年ほどのあいだに、かつては「日本を代表する」とまで謳われた名門企業の数々から、世間を仰天させるような粉飾やデータ偽装の不祥事が相次ぎ、社会問題化しています。このようなマネジメントを行っている経営者の下からは、なかなか「スジの良い仕事」が生まれにくいのは当然のことでしょう。

しかし、こう思う人もいるかもしれません。「経営者が人をワクワクさせるような経営ビジョンを打ち出せていない」という批判は確かにその通りだろうが、これは何も今に始まったことではない。考えてみれば、ごく少数の例外を除けば、日本の経営者は昔からそうだったわけで、今「スジの悪い仕事」が増加している要因として、「経営者のレベルが低いから」という理由を取り上げるのはおかしいのではないか?と。

全くその通りで、ここで問題になってくるのが、次の問題、つまり「中間管理職のレベルの低迷」なんです。

経営者が会社全体のビジョンや経営戦略を策定できなくても、中間管理職が実質的に上の役割を「食う」形でそれをやってくれれば問題はありません。過去の日本企業を振り返れば、経営者は神輿に乗った御神体で、実質的な経営計画の策定と執行は「分厚いミドル」によって支えされていたという側面があります。経営者個人に組織の力量を依存していない分、はやりの言葉で言えば非常にレジリエント=強靭なモデルだったということもできるでしょう。

しかし、ここに来て「何かがおかしい」と感じている人が多いのではないでしょうか?つまり、日本企業の強みであった「分厚いミドル」が、経営上の強みではなくなってきている・・・いやむしろ経営上の阻害要因にすらなってきているということです。残念ながら、その直感は正しいのです。わ

私が以前、勤務していた米国のコンサルティング会社では、エグゼクティブを含めた管理職のアセスメントを年間数万人、全世界で実施していました。その結果からわかるのは「日本企業の管理職のレベルは世界最低だ」ということです。調査を実施している国はおよそ60か国になりますが、その中で最下位だということです。なぜこんなことになるのか、その理由については後ほど説明します。とにかく、今の日本企業の管理職のレベルは、他国と比較して著しく低いということです。この管理職レベルの著しい停滞が「スジの悪い仕事」が大量に生み出される要因になっています。

スジの悪い仕事の元凶=クソ上司

管理職の仕事とは、組織のゴールを設定し、ゴールに至る道筋を明らかにして、その道程でメンバーが果たすべき役割を与え、その活動を動機付けたり指導したりしながらサポートすることです。ところが、こういったことを全くせずに、部下を単なる便利使いとして利用するだけの管理職が少なくありません。本書では、こういう管理職を以下、クソ上司と総称します。

クソ上司はビジネスセンスがない上に、自社の課題の優先順位付けがメチャクチャなので、そもそも「あれをやろう」「これをやろう」と言い出す仕事の多くが無意味であることが少なくありません。こう言った仕事は典型的な「スジの悪い仕事」であって、どんなに一生懸命に取り組んだところで、組織内の評価は高まりませんし、成長につながる良い経験もできません。

おそらく、社会人経験を十年もしている人であれば、こういう上司について一人や二人は思いつくのではないでしょうか?

個人的に思い出すのは電通時代のある上司です。電通は、IQが200くらいあるんじゃないかと思える非常に優秀な人から、どう考えても世の中の役に1ミリも立っていないという人まで、ものすごく分散の大きい組織なのですが、私はその両側の極端な上司の下で働いたことがあり、このエピソードはもちろん「後者の上司」に関するものです。

入社して配属されたマーケティングプランニングのセクションの局長が、ある日、配属された新入社員を個室に集めて、やおらこういったのです。「最近は、企業も地域社会とのつながりを重視しないといけないと思う。そこで君たちに考えてもらいたいのだが、電通が地域社会にできること、例えば社員全員で秋に落ち葉を掃くとか、街のゴミを捨てるとか、そういう企画を考えてくれないかな」と・・・・・絶句するしかありません。

前提となっている問題意識は悪くないのですが、集めた企画を役員に持ち込んでアピールしたいという下心が見え見えでシラける上、それを新入社員に考えさせるというアプローチも悪い。これは典型的な「組織内での評価につながらない」上に「自分の成長につながらない」、つまり「スジの悪い仕事」です。

実を言えば、当時の私はウブだったので、局長に頼まれた以上はなんとかしなくてはと思ってそれなりに焦り(いまだったら100%無視します)、忙しい中に地元の公民館などに行って、館長と「どんなことやったら喜ばれますかね?」などとトンチンカンな議論をしていたのですが、やはり仕事としては「スジが悪い」と言わざるを得ません。

思い出させられるのはクールな同期の醒めたコメントです。今では広告業界で大活躍しているその友人は、「いいアイデアがない」と焦る私に対して「お前、まだあんな仕事に関わってんのか!?ヤメトケよ。放っておけばそのうち立ち消えになるって。あんな企画、どうせ評価されないし、あの人どうせあのポジションで終わりだよ」とサラリと言ってのけたのです。

組織の中でサクサクと楽しい仕事をやって成果を出し、のし上がっていくのはこの同期のようなタイプで、アクセクと一生懸命やっているのに成果が出ない、評価されないと愚痴をこぼしているのが、当時の私のようなタイプだと考えると、非常にわかりやすいと思います。

石を投げればクソ上司に当たる

組織論の建前からは、従業員に仕事の割り振るのは管理職の仕事ですから、自分の時間ポートフォリオから「スジの悪い仕事」を断捨離していくためには、管理職の問題が大きいということに気づきます。つまり、クソ上司からの「スジの悪い仕事」から、いかにして自分の時間を守るかというのが大きな問題となる。先述した通り、日本の管理職のレベルは世界最低であることがわかっていますから、この点をよくよく考える必要があります。

では具体的にどの程度の悪さなのか。管理職のレベルを上・中・下で分けて比率でいえば、ざっくり言って上=素晴らしい上司が1割前後、中=まあまあの上司が4割程度、下=クソ上司が5割程度で、このクソ上司の比率の高さが全体の足を引っ張って平均値が下がり、世界最低レベルのスコアになっています。統計の結果からは、こう言ったクソ上司に率いられているチームの士気は低く、業績は低迷し、メンバーの成長は停滞し、精神的にフラストレーションを貯めることがわかっています。こんな人が、日本全体の管理職の5割もいるのです。

なぜ、こういうことが起こるのか。
二つの要因があります。

一つ目は日本特有の年功序列制度のせいです。年功序列制度というのは、一定の年齢に達したら誰でも彼でも管理職に昇格させてしまうという制度ですが、この制度のために、本来は管理職としての自覚も能力もない人を管理職に据えてしまっているのです。こんな乱暴なことを社会的なマジョリティとして実施している国は日本以外にはありません。

年功序列制度については礼賛する人も少なくなく、例えば数学者の藤原正彦先生はベストセラーとなった「国家の品格」で、年功序列制度を礼賛していますが、この制度のせいで我が国に大量のクソ上司が生み出され、結果として成長につながらない「スジの悪い仕事」に多くの若い労働力が無為に消費されていることをどう考えているのか、聞いてみたいものです。年功序列制度による安易な管理職への登用、これが、世界的に類を見ないほどにクソ上司が大量に生み出される一つ目の理由です。

クソ上司が大量に存在することの二つ目の理由もまた、人事運用に関する問題です。欧米ではチームのパフォーマンスを引き出せないクソ上司は、即座に降格かクビになります。どうしてかというと、クソ上司にあたると部下がどんどん辞めていくからです。欧米では労働力の流動性が高いために、クソ上司に当たると「運が悪かった」とすぐに発想を変えて転職します。ところが日本人は、こういうクソ上司にあたっても「運が悪かった」とは思わずに、なんとか頑張ろうとする、まさに「スジの悪い努力」をして耐えようとするわけです。

その結果、クソ上司は自分の「クソさ加減」を理解しないままに「部下が使えねえ」などとほざきながら組織にのさばることになるのです。さらに悪いことに、日本では一度管理職に上げた人を降格させることを、異常に嫌います。本人への温情ということで気持ちはわからないではないのですが、そう言った温情のせいで、貴重な若い労働力を無為に消耗させているということについて、経営者や人事部はもっと自覚的にならなければなりません。

つまり、クソ上司が生み出される要因は、日本流の人事運用にあり、これが短期的に是正されるとはなかなか考えにくいのです。自分の時間のポートフォリオを修正するためには、まず「スジの悪い仕事」の構成比を下げていくことが重要なのですが、「スジの悪い仕事」を生み出す最大要因であるクソ上司は、これからも中長期的に生み出されるはずなので、何らかの自衛手段を講じなければならないと考えるべきでしょう。

クソ上司は社会問題

先述した通り、日本の管理職の5割はクソ上司です。しかし、あらためて考えてみればこれは恐ろしいことです。というのも、日本の管理職の5割がクソ上司だということは、日本のホワイトカラー若年僧の5割は、そのようなクソ上司の下で、成長につながらないスジの悪い仕事に従事していることになるからです。これは国家的な損失だと言っていいでしょう。

天然資源に恵まれない日本が、国際的な競争力を維持していくためには、一にも二にも「人の活用」が重要になってきます。人の潜在的な能力を存分に発揮せしめるような教育や配置、仕事の割り当てが重要になるわけですが、この「仕事の割り振り」を直接的に担う管理職の5割は、グローバル水準に照らして、明らかにその資格や能力を有していないわけです。これは既に個人の問題を通り越して一つの社会問題と言っていいと思います。

クソ上司の下では人材が不良資産化します。クソ上司は経営課題の優先順位付けが全くできていないので、「そんなこと今やって意味あるの?」と思えるような仕事にやたらと熱を上げる一方で、「この局面で最も重要だろう」と思われる課題をほっぽらかしにしたりします。管理職の重要な仕事は、課題の優先順位を明確にして、その解決を指示することですが、それが全くできていないのです。こんなことでは、いくら努力したところで「評価される仕事」などできるわけがありません。

さらに悪いことに、クソ上司はコーチングの能力も低いのが通例です。職場における学習については様々な理論が提唱されていますが、基本的に共通しているのは「体験を内省し、抽象化することで人は成長する」ということです。この時、内省を支援するのが管理職の重要な役割だということがいろんな研究からはわかっているのですが、クソ上司はこの「内省支援」が全くできません。自分の思い込みや好き嫌いで部下を叱責したり褒めたりするだけで、育成が全くできないのです。

職場における成長については、上司の存在など関係なく、一生懸命取り組めば自ずと成長できる、と考える人が日本には多いのですが、大変申し訳ない指摘をすれば、こういうことを言う人自身がすでにクソ上司、あるいはクソ上司予備軍になっている可能性が高い。こういう意見、つまり「上司に関係なく、伸びるヤツは伸びるし、伸びないヤツは伸びない」といった意見をさもしたり顔に呑み屋で語るような御仁は、当のご自分がデキる上司に恵まれなかったために、上司による内省支援がどれほど自分の成長につながるかを実感する機会をキャリアの中で持てなかったというだけでしょう。このような考えを持ったまま管理職になるのはとても危険なことで、人を育てられない管理職によって、やはり人を育てられない管理職が作られるという連環の構図で、言うなれば「クソ上司によるクソ上司の拡大再生産」が起きているということです。

世にはびこる大量のクソ上司は、まさに社会問題なのです。

「スジの良い仕事」は希少な経営資源

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