#042 読書メモ 広井 良典「ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来 」

これからの社会のあり方を考える上での大きなヒントをいただきました。読書メモを共有します。例によって見出しは僕のコメント、本文が抜粋になります。

エネルギーの利用形態によって人類史のステージは整理できる

  • ところで、ここで少し考えてみたいのは、こうした人間の歴史における「拡大・成長」と「定常化」のサイクルは、そもそもいかなる背景ないし原因から生じるのか、という点だ。  結論から言えば、それは人間の「エネルギー」の利用形態、あるいは若干強い表現を使うならば「人間による 自然の搾取 の度合い」から来ると考えられるだろ

転換期に思想や価値観が生まれる

  • 以上のように、人間の歴史には(エネルギーの利用形態ないし自然の搾取の度合いに由来する)「拡大・成長」と「定常化」のサイクルがあるが、ここで特に注目したいのは、人間の歴史における 拡大・成長から定常への移行期において、それまでには存在しなかったような何らかの新たな観念ないし思想、あるいは価値が生まれた という点

  • いま「奇妙なことに」こうした思想が 同時多発的 に生じたと述べたが、その背景ないし原因は何だったのだろうか。興味深いことに最近の環境史(environmental history) と呼ばれる分野において、この時代、中国やギリシャ、インド等の各地域において、農耕と人口増加が進んだ結果として、森林の枯渇や土壌の浸食等が深刻な形で進み、農耕文明がある種の(最初の)資源・環境制約に直面しつつあったということが明らかにされてきている(石他(二〇〇一)、ポンティング(一九九四)、広井(二〇一一)参照)。  

  • このように考えると、これはなお私の仮説にすぎないが、枢軸時代ないし精神革命に生成した普遍思想(普遍宗教)の群は、そうした資源・環境的制約の中で、いわば「 物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という方向を導くような思想として、あるいは生産の外的拡大に代わる新たな内的価値を提起するものとして、生じたと考えられないだろうか。  一方、紀元前五世紀前後における枢軸時代の諸思想の生成が、農耕文明のこうした環境的限界状況に生じたと

定常期は文化的成熟の時代

  • つまり狩猟採集段階の前半において、狩猟採集という生産活動(とその拡大)に伴ってもっぱら 外 に向かっていた意識が、何らかの形での資源・環境制約にぶつかる中で、いわば 内 へと反転し、そこに「心」あるいは(物質的な有用性を超えた)装飾や広義の芸術への志向、ひいては(宗教の原型としての、死の観念を伴う)「自然信仰」が生まれたのではないか。  

  • さらに、このように「心のビッグバン」や枢軸時代/精神革命と定常期との関わりを考えることは、「定常」というコンセプトの再考にもつながるだろう。すなわち、「定常」という表現からはともすれば 変化の止まった退屈で窮屈な社会 というイメージが伴うかもしれないが、それは物質的な量的成長の概念にとらわれた理解であり、定常期とはむしろ豊かな文化的創造の時代なのである。  

  • 以上をまとめると、狩猟採集段階における定常への移行期に「心のビッグバン」が生じ、農耕社会における同様の時期に枢軸時代/精神革命期の諸思想(普遍思想ないし普遍宗教)が生成し、両者はいずれも「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していたと考えられるのではないか(詳しくは広井(二〇一一)

次のステージのキーワード=人工光合成、宇宙開発・地球脱出、ポストヒューマン

  • ところで、こうした歴史の巨視的把握を行うと、その延長に自ずと浮かび上がるものとして、次のような(逆の方向の)議論がありうるだろう。  それは、「人間はこれまでも常に次なる「 拡大・成長」 へと突破してきたのだから、むしろこれからの二一世紀は「 第四の拡大・成長」 の時代となるはずだ」という議論である。「はじめに」の内容ともつながるが、社会的な次元では「超(スーパー)資本主義」のビジョンとも呼べるものだ。

  • 私はそのような技術的な突破の可能性があるとしたら、以下の三つが主要な候補として考えられると思う。  すなわち 第一に「人工光合成」、第二に宇宙開発ないし地球脱出、そして第三が「ポスト・ヒューマン」 で

緑の福祉国家という社会ビジョン

  • また社会構想という次元にそくして言えば、本書の中でこれから考えていくように、それは私たちが今後実現していくべき社会が、現在のアメリカのような、甚大な格差や「力」への依存とともに限りない資源消費と拡大・成長を追求し続けるような社会ではなく、ヨーロッパの一部で実現されつつあるような、「緑の福祉国家」ないし「持続可能な福祉社会」とも呼ぶべき、個人の生活保障と環境保全が経済とも両立しながら実現されていくような社会像であるという認識とも重なって

廣松渉の「共同主観性」

  • 人間の意識あるいは「世界」というものが、個体あるいは個人によって独立に成り立つものではなく、他者との相互作用を基盤としてはじめて生成する、本来的に「共同」的なものであるという理解は、哲学の分野においては以前からよく議論されてきた。個人的な述懐を含めて記せば、学生時代に私が大きな影響を受けた哲学者である廣松渉が「共同主観性」という言葉で論じていたのもこのテーマであり、それは個人や個体を独立自存のものとしてとらえる近代的なパラダイムへの批判という性格をもつものでもあった(たとえば廣松(一九七二))。  

  • 実はこうした議論は、最近脳研究の分野で話題になっている「ソーシャル・ブレイン(社会脳)」のテーマと実質的に共通する性格のものである(藤井(二〇〇九)等参照)。ソーシャル・ブレインの議論とは、人間の脳が現在のようなかたちで高度に発達した過程において、他者あるいは他個体との(情緒面を含む)相互作用が決定的に重要な役割を果たしたと理解するものである。これは「人間の意識は、それ自体の成立において他者との相互作用が不可欠の基盤であり、その意味において本来的に「 共同的」 なものである」とする先の共同主観性論と共鳴することに

資本主義の定義・・・資本主義と市場原理は相反する考え方

  • 「資本主義 capitalism」 という言葉は、それが自明な意味を持っているように使われることが多いけれども、よく考えてみると必ずしもその内実や定義は明らかではない。実際、歴史家フェルナン・ブローデルも、「資本主義」という言葉について、「多くの歴史学者たちがこれまで繰り返し、正しく指摘してきたように、この論争の的となっている言葉は曖昧であり、現代的な意味から、さらには時代錯誤的と言われるような意味まで背負い込まされてしまっていることは、私も十分承知している」と述べている(ブローデル(二〇〇九))。  

  • また彼は、資本主義という言葉が使われるようになった経緯に関して、「資本主義という言葉が広い意味で使われはじめたのは、二〇世紀初頭になってからのことである」とし、「いささか恣意的ではあれ、そうした使い方は、一九〇二年に出版された、ヴェルナー・ゾンバルトの有名な『近代資本主義』にはじまると、私は見做している。この言葉は、マルクスでさえ知らなかったはずだ」と論じている(

  • ブローデルの主張でもっとも特徴的な点の一つは、彼が「資本主義」と「市場経済」を明確に区別 したという点で

  • この両者は実質的にほぼ同義で使われることが多い。たとえば、日本でもよく 市場(原理)主義批判 といった議論がなされるが、こうした場合、「市場経済=苛烈な競争や格差=資本主義(=望ましくないもの)」といった理解が暗黙の前提になっていると言ってよいだろう。  しかし、そもそも市場経済とは何かということを考えてみると、その原義にそくした場合、一概に 市場経済=悪 とは言えないのではないか。  

  • たとえば市場というものの一つの原型に近いのは、魚市場(まさに「市場」!)での せり のような営みだが、ある意味でそれは良き意味での 公正で透明性の高い競争 であり、一律に否定的に考えられるべきものではないだろう(むしろ一部の関係者のみが暗黙裡に密室で物事を決める 談合 より望ましいとも

  • ている(前掲書)。  あるいは、そもそも「市場」というものは、歴史的には共同体(コミュニティ)と共同体との間における交換として生成したと考えられるわけだが、これもまた必ずしも否定的に考えられるべきものではなく、それは共同体を外に対して 開く という意味ももったのである。

  • ちなみに『資本論』でのマルクスの次の言明は比較的よく知られたものだろう。「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる」(マルクス(一九七二〔原著一八六

  • ここでのポイントは、まず資本主義とは単なる市場経済(ないし市場経済が社会全体を広く覆ったシステム)とは異なるという点であり、これはブローデルの主張と重なる。言い換えれば、市場経済それ自体は、古代から存在しているものであり、あるいは先ほど紹介したマルクスの言にもあるように、およそ共同体と共同体が接触する場所で生成してきたものである。  

  • では資本主義と市場経済が異なる点は何かというと、それは最終的に「拡大・成長」という要素に行きつくのではないか。つまり、単なる市場経済あるいは商品・貨幣の交換ではなく、あくまでそうした市場取引を通じて自らの保有する貨幣(そのまとまった形態としての資本)が量的に増大することを追求するシステム(あるいはそうした経済活動を広く社会的に肯定するシステム)、これが資本主義についてのもっとも純化した把握になると思えるので

1215年のラテラノ公会議で金利が認められたことが資本主義成立のきっかけ(金利は昔からあったけど)

  • 当時の時代状況を考えると、資本主義という言葉は、むしろ社会主義(ないし共産主義)という対抗的な社会システムの台頭を受けるかたちで、その反対概念として自覚されるようになったと言えるかもしれない(ちなみに政治哲学上の用語法では社会主義の対立概念は〔資本主義ではなく〕むしろ自由主義 liberalism や保守主義 conservatism となる)。 (*)資本主義の起源をめぐって  資本主義という言葉を用いるかどうかとは別の次元で、実質的に資本主義と呼びうるシステムはいつ、どの時代に生まれたかという議論がある。

  • 水野和夫は、それを①一二~一三世紀、②一五~一六世紀、③一八世紀とする三つの説があるとする山下範久の指摘を引きながら、一二一五年の第四回ラテラノ公会議でローマ教会が金利(利子)をつけることを認めたことをもって実質的な資本主義の成立としている(併せて所有権が認められ合資会社、銀行ができ

  • メモ異端と正統と同じ。オルタナティブが登場したことで名付けの要請が生まれる。ここにもソシュールの指摘が通じる。名付けることによって存在することになり、名付けることによって所有できる。

貨幣の自己増殖が資本主義のテーゼ G-W-G'

  • さて、慧眼の読者は気づかれたかもしれないが、以上の議論は結局のところ、マルクスが『資本論』第一巻で定式化した「G(貨幣)─W(商品)─ G(貨幣)」という、資本についてのシンプルな定式化に行きあたる。  つまり、もともと市場において存在するのは「W(商品)─G(貨幣)─W(商品)」という形態で、これは 商品を売り、そこで得たお金で別の商品を買う というものだ。たとえば「住宅を売って、そのお金で別の住宅に買い替える」という例を考えてみればわかるように、ここでは住宅という具体的なモノの獲得が目的になっていて、さしあたりその購入でこのサイクルは完結する。ところが「G(貨幣)─W(商品)─ G(貨幣)」の場合は、最初にもっているのも後で得られるのも貨幣であることには変わりないので、後で得られた貨幣が最初の貨幣よりも数的に大きいことによってこそ意味がある経済行為と

  • こうした認識を踏まえてマルクスは次のように述べる。「単純な商品流通 買いのための売り は、流通の外にある最終目的、使用価値の取得、欲望の充足のための手段として役だつ。これに反して、資本としての貨幣の流通は自己目的である。というのは、価値の増殖は、ただこの絶えず更新される運動のなかだけに存在するのだからである。それだから、 資本の運動には限度がない のである。 この運動の意識ある担い手として、 貨幣所持者は資本家になる」(マルクス(一九七二)、傍点引用者)。  

  • なおマルクスは、この「G─W─ G」という定式化は商人資本、産業資本、利子生み資本(金融資本)のいずれにも共通する一般的なものとしており、金融資本の場合は、商品を介することなく資本を金融市場で運用してより大きなお金に変えるので「G─ G」と

  • 先ほど資本主義について そうした(量的増大を志向する)経済活動を広く社会的に肯定するシステム という表現を使ったが、この点は次のような意味で重要なポイントを含んでいる。  

  • すなわち歴史的には、そのような個人の利益追求の活動は、せいぜい消極的に許容されるか、場合によっては否定的にとらえられることも多かった。というのも、ある社会における「富の総量」が一定の有限の範囲にとどまるとすれば、ある個人の利益ないし 取り分 が拡大することは、さしあたり他の人の取り分の減少を意味するからである。そこではむしろ「倹約や節約」こそが肯定され、私利の追求や拡大はネガティブにとらえられるのが一般的であった。  

  • だとすれば、上記のような資本主義システムが社会に浸透していくためには、そこにかなり根本的な価値観ないし倫理の転換が伴うはずであり、同時にそれは、社会全体の富の総量自体が「拡大・成長」するという(当時としては)新しい状況を不可分に伴うものだったはずで

過去の経済学者の多くは「定常状態」をゴールとして設定した

  • 論」の源流ともいえるジョン・ステュワート・ミルの「定常状態」論が出されていることに注目したい。  すなわち、ミルは著書『経済学原理』(一八四八年) この著作は古典派経済学を集大成した書物とされている の中で、人間の経済はやがて成長を終え定常状態(stationary state) に達すると論じた。現代の私たちにとって興味深いのは、人々はむしろそこ(定常状態に達した社会)において真の豊かさや幸福を得るという、ポジティブなイメージをミルが提起していた点である。

  • ちなみに本書の後段であらためて取り上げるが、ドイツの生物学者ヘッケルが「エコロジー」という言葉を作ったのも概ね同時代(一八六六年) で

農業から工業へと経済の主軸がシフトしたことで「有限性」からの解放が可能になった

  • では、現代にも通じるようなこうした論が、なぜこの時代に現れたのだろうか。基本的な背景として、産業化ないし工業化が始動しつつあったとはいえ、当時はなお農業の比重が大きく、ミルの議論も(一国内の)「 土地の有限性」を意識したものだった。つまり経済は成長しても、やがて土地「自然」と言い換えてもよい の有限性にぶつかり、定常化に至るという発想ないし論理である。  

  • しかしながら、やがて工業化がさらに加速し、農業から工業へと経済構造がシフトするとともに、植民地拡大を通じた自然資源の収奪が本格化する中で、ミルの定常状態論は経済学の主流から忘れられていくことになる。言い換えれば、経済あるいは資本主義が「土地」ないし「自然」の制約から 離陸 していったのである(農業から、及び一国経済の空間から)。  

  • これと並行して、人間の経済は(あたかも「無限」の空間の中で)需要と供給の関係を通じて均衡するという新古典派経済学が台頭し(一八七〇年代)、その意味でもミルの議論は古典派の遺物となった。この意味では、ミルの定常状態論は、先の「近代科学をめぐる三つのステップ」における(1) から(2) への移行期の 踊り場 に生じたものとも言える。  

  • いずれにしても、ミルの議論やヘッケルの「エコロジー」を外的・空間的に超える形で「拡大・成長」していったのが当時の資本主義であり科学であった。後の議論とつながるが、それから一〇〇年以上をへて、ミルの定常状態論に人類が地球規模で直面していることを指摘したのがローマ・クラブの『成長の限界』(一九七二年) だったと言えるだ

経済成長が最重要の目的になったのは最近のこと

  • いま「経済成長」という言葉を簡単に使ったが、意外なことに、国家あるいは政府の政策目標として「経済成長」が語られるようになったのは、実は比較的最近のことであり、ここで述べている第二次大戦後のケインズ政策の時代がまさにそれに重なっているのである。  

  • この点に関し、ハーバード大学の元学長で法学者のデレック・ボックは、最近の著書『幸福の研究』で次のように述べている。「歴史家のジョン・R・マクニールが述べているように、 世界のどこでも、「 経済成長」 を最優先することが、 二〇世紀における最重要の思想であったのは疑いない。 しかしながら、 その突出ぶりにもかかわらず、 経済成長が政府の目標として最重要となったのは比較的最近のこと である。アメリカでは第二次世界大戦後になってはじめて、景気循環の抑制や大量失業の回避といった長年の優先事項に代わって、成長が経済政策の主要目標となった」(ボック(二〇一一)、傍点引用

  • 先ほどふれた世界大恐慌(一九二九年) を受けて、アメリカ商務省が経済学者サイモン・クズネッツ 経済成長と格差の関係に関する「クズネッツの逆U字カーブ仮説」でも知られノーベル経済学賞も受賞 に経済成長に関する統計の開発を依頼し、そこでできたのがGNP統計(「国民経済計算」)だった。クズネッツは戦後、世界各国でのGNP統計の開発を指導し、世界はこうして「GNPの時代」に入っていく。言い換えれば二〇世紀後半、「GNP」(ないしGDP)という指標を得たことで、資本主義はその「拡大・成長」という中心軸に関する(あるいは資本主義というシステムそのものに関する)重要な後ろ盾を得たとも

恐慌がGDPを産んだ

  • 加えて、以上のような経緯を踏まえれば、いわば「 GNPの起源 としての世界恐慌」という把握が可能であるだろう(福島(二〇一一))。つまり人々の認識や行動を方向づけるような影響力をもつ「指標」というものは、 真空 の中で生まれるのではなく、ある時代の経済社会的あるいは政治的な文脈の中で生成するのである。  

  • 思えば近年、ブータンの「GNH(Gross National Happiness)」 をはじめ様々な幸福度指標をめぐる展開があり、あるいはフランスのサルコジ大統領(当時) の委託を受けてノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツやセンといった経済学者が「GDPに代わる指標」に関する報告書を刊行するなど(Stiglitz et al.(2010))、「豊かさ」の指標に関する動きが活発化して

銀行の救済は資本主義の自己矛盾

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