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成長しない私はだめですか?

秋だから?
身近な人たちの成長に自分だけ取り残されているようで、切ない気持ちになることがあります。

事業開発をお手伝いしている企業で、毎日のように打合せをして一緒にサービスをつくっていった方。チームが大きくなって仕事の範囲が広がり、だんだんと会える機会が減っています。
自分の携わった事業が拡大して、一緒に働いた人が評価されてるなんて、むしろ誇らしい話だし、べつに遠くへ行ったわけでもない。それなのに、なんとなく寂しい気持ちになってしまうのはどうしてだろう。


心地良い状態で、現状維持したい

振り返ると、今年は関わる人の変化が何度かありました。

ずっと弊社の事業を支えてくれた会計事務所の方が転職、一緒にいい仕事をした取引先の方が異動、仕事の質が上がってきた学生スタッフが卒業・就職…どれもポジティブな話なのに、なんだか寂しくて、大切な人たちの今後の活躍を心から応援できていない自分にもモヤモヤします。

以前は、自分自身もどんどん成長したいと思っていたから、関わる人が代わるときには成長を感じてどきどきしたし、お別れする人のことももっと素直に送り出せていました。

でも最近は、環境を変えて成長し続けることよりも、心地良い状態を維持することを大事にしている気がします。心地良い人との心地良い仕事を、ずっと続けていたい。どうしてずっと今のままでいられないのか。
独立して失敗のリスクに敏感になっているのか、それとも、ただ歳をとって安定志向になっただけかもしれません。

それでも、成長する>成長しない、だと考えているから、成長している人を見て、していない自分にモヤモヤしてしまうんだろうなあ、と思いました。


無関心?な上司に救われた話

新しい環境に挑戦して、成長していく人が偉いのはその通りです。じゃあ、成長しない人はだめなのか。誰だって、成長したいときと、今のままじっくりやりたいときがあるはずです。

むかし、会社員をしていたとき、ちょっと仕事に疲れていたことを上司に相談したら「ふーん、しばらく休んだら?」と当たり前のように言われたことがありました。新しいアイデアを提案して「ふーん、やってみたら?」と言われるのと同じノリで。あまりにも日常の感じで言われたので、あっ、これ、大したことない話だった?と思いつつ、とても気持ちが楽になったのを覚えています。

この対応が僕への信頼だったのか、それともただの無関心だったのかは不明ですが、たぶんこの時、深刻に心配される感じで「休んでもいいんだよ…」と言われていたら、僕はかたくなに休まなかった気がします。


ニュートラルな感じがいいのかも

ずーっと成長し続けられる特別な人は別として、成長したい時も、しばらく現状維持したいときもある我々には、どんなときも同じように接してもらえる環境があると嬉しいんじゃないかな、と考えました。

頑張っていることをめちゃめちゃに褒められたら「成長=偉い」になってしまうし、「休んでもいい」というのは、本当は良くないけどまあいいよ、という感じがします。だから、自分に対してはいつもニュートラルな感じで接してみる。「やってみたら?」「休んだら?」。
こうすると、成長しないことに対していちいち悩まない気がするし、人にも必要以上に期待をかけたり応援したりしないことで、相手の感じるプレッシャーを減らすことができるかもしれません。
まあ、そのまま言うとただの無関心な人っぽいから、キャラづくりが難しそうだ。


今日もぐるぐると最近の仕事と昔のことを振り返りながら、自分自身にも、周りの人に対しても、心地良い気持ちを提供できる人になりたいな、と思いました。


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