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人類救済学園 最終話 「平等院鳳凰丸」 ⅱ

前回

ⅱ.

「待て……」

 その呼びかけに、夢殿救世は足を止めた。

「待て……ッ!」

 救世は目をつむる。息を静かに吐きだす。意を決したように振りかえり、そして。

「……鳳凰丸」

 救世は見つめた。黒に染まった闇のなか、立ちあがっていく少年の姿を。その静かな覚悟を見つめた。

 平等院鳳凰丸。

「フン……」

 救世は諦めにも似た声音で言った。

「保健委員長が回復させたか」

 救世と鳳凰丸は向きあう。鳳凰丸の目は燃えるように輝き、鋭く救世を見つめている。

 救世はすでに抜刀を終えていた。振りかえり、刀を抜き放つ。その一連の所作に、一切の淀みはなかい。

 一方、鳳凰丸は虚空に向けて手をかざす。回廊の闇のなか、超自然の稲光が閃く。稲妻は鳳凰丸のかかげる手のなかに、戦鎚を生じさせていく。

 救世は目を細め、鳳凰丸に冷たく告げた。

「無駄だ、鳳凰丸。貴様だって理解しているはずだ……貴様の力では、どうあがいても俺には勝てんということを。何度やっても結果は変わらん……そして、」

 顔の横に、刀を水平に構えた。
 霞の構え。

「貴様は理解する必要がある。俺たちがこうやって争うことですら。高みの見物を決めこむ連中にとっては、思惑通りであろうということを……」

 鳳凰丸は戦鎚を下段に構える。じり、と足が床を擦る音。闇のなかで、鳳凰丸の戦鎚だけが輝きを放ち、ふたりの顔を照らしだしている。

 鳳凰丸は救世を見据えながら、冷徹に周囲を観察していた。生い茂る荊の残骸。伏せ、荒々しい呼吸を続ける南円堂阿修羅。そして……「それ」は床に落ちていた。

 救世は続ける。

「貴様は疑問に思わないのか? 鳳凰丸。なぜ、この学園では校内暴力が認められているのか……なぜ、学園から武器が貸与されているのか。なぜ、所属する委員ごとに色が定められ、無意識の断絶を煽っているのか……なぜ、役員たちは技を継承し、闘いの手段を発展させてきたのか」

 鳳凰丸は無言のまま救世を見つめている。じり、じり。ふたりの距離が少しずつ縮まっていく。救世は吐き捨てるように続けた。

「すべてはこの学園の意思だ! 学園は俺たちに闘うように仕向けている……そして、学園の真の狙いはその闘争の果てにある……」

 救世の刀から、闇が溢れていく。

「ここは地獄だ。仮に卒業したところで、その闘争から逃れることはできない。俺たちは繰り返す。記憶を奪われ、何も憶えていないまま、再び入学させられ、そして、闘争を続けることになる……」

 救世は歯を噛み締めるように、吐きだした。

「まさに、地獄だ……!」

 鳳凰丸は見つめていた。救世のその瞳を見つめていた。そして鳳凰丸は、静かに口を開く。

「君は、あの丘の上で」

 救世の眉根が、ぴくりと動いた。

 あの丘の上。

 ふたりのなかで、あの時の情景が鮮やかに浮かびあがっていく。出会ったあの日。ふたりで。丘の上で。風がそよいでいた。穏やかで、どこか悲しい時間が流れていた。そしてその時、鳳凰丸は、救世の背中を見つめていた──。

「あの時、卒業について尋ねたとき……君は、何もわからないって、そう言ったよね」

 ──我われは何ものなのか。なぜ人類救済学園にいるのか。そもそも人類救済学園とはなんなのか……俺には、なにもわからん

 あの時、救世はそう言ったのだ。
 悲しげに。

「あれは、嘘だったの?」

 救世は、苦悶の表情で顔を歪めた。

「……嘘ではない」

 そして吐きだすように続ける。
 絞り出すように。祈るように。
 理解してもらいたいと願いをこめて。

「嘘なわけがない……嘘であるものか……嘘であってたまるものかッ! 俺は知らない……いまだに、この学園について何も知らない。そう、何も知りはしない! 図書館の深奥から、あの本を奪った今でも……俺は、何もわかってはいない……」

 救世は自嘲気味に口の端をあげた。

「虚無だよ、鳳凰丸。この学園には、ただひたすらの虚無と闘争だけがある……幾度も繰り返される三年間。しかし、俺たちはそれに気づくことすらできない。忘れ、入学し、出会い、争い、別れ、そして卒業し……忘れ、また入学する! そこになんの意味があるというのか……そんな生に、いったいなんの価値があるというのかッ! 俺たちはまるで道化だ。ただわかるのは、ここに救いはないという、絶望だけなのだ……」

 それはまるで、慟哭だった。そこには悲しみがあった。身を裂かれるような、痛ましい悲しみが。しかし。それを見つめる鳳凰丸の心は、静かに凪いでいた。

「僕は……」

 鳳凰丸は。

「君の悲しみも、苦しみも、絶望も、今なら理解できる気がする。君も、そしてあの中宮も……君たちを狂わせたのは、この学園のシステムなんだと、今の僕にははっきりとわかる」

 でも、だからこそ。

 戦鎚を握りしめる。強く。強く。

「でもだからこそ僕は、君を止めなければならない」

 鳳凰丸の凪ぎのような心の奥で、想いが渦巻いていた。波ひとつない海面の下、大いなる海流が滔々とながれていくように。それは、鳳凰丸の根源に根ざす想いだった。

 だからこそ。
 ならばこそ。

 僕は、君に言わなければならない。

「……逃げるんじゃない」

「なんだと……?」

 救世は顔をしかめた。鳳凰丸は……カッと目を見開く。口を大きく開き、想いをこめて、叫ぶ。

「逃げるんじゃない、夢殿救世ッ!」

 鳳凰丸は、救世へと向かって足を踏み出す。

「絶望に逃げるな。そして、僕から逃げるな」

 近寄る鳳凰丸を見つめながら、救世は不愉快げに顔をしかめた。

「俺が、逃げているだと……?」

 鳳凰丸は歩み、

「ああ、そうだよ。君は逃げている、夢殿救世。絶望に逃げ、独りよがりな思いに逃げ、」

 やがて駆け、

「他の生徒たちの想いからも目を背けて、そして、」

 跳躍。救世へと、戦鎚を振りおろす!

「この僕と、向きあうことからも逃げたッ!」

「な……」

 戸惑う救世の眼前に、戦鎚が振りおろされていく。救世はそれを刀で受ける。ギィン、と闇を貫く閃光。着地。救世の眼前でギリギリと鍔迫りあいがはじまった。戦鎚に力をこめ、鳳凰丸は続ける。

「君のとなりには僕がいたんだ。僕は君のとなりにいたんだ。僕は、君とともに歩んでいこうとしていたんだ! でも君は、君の想いを僕に明かすことすらしなかった……」

「鳳凰丸……俺は」

「黙れッ!」

 鳳凰丸の戦鎚が、救世の刀を押しこむ。
 
「君は、君の宿願とやらを、僕に話そうとはしなかったな。君は僕を信用しなかったんだ。君は、僕と向きあうことを恐れたんだッ!」

「違う……違う! 俺は、貴様を守りたかった。極楽真如からも、この、学園からも……」

「何も違わないさ。結局君は、僕も退学させるつもりだったのだから」

「違う……ッ」

「違いやしない! 君がやったことは……そしてやろうとしていることは、救いでもなんでもない。ただの、身勝手な……」

 鳳凰丸は鋭く、言いきった。

「バカげた心中だ」

「貴様……ッ」

 救世の顔が怒りに染まった。

「貴様はこの期に及んで……まだわかろうとしていないのか! この学園の恐ろしさを、この学園でどれだけの闘争が繰り返されてきたのかを、それを知った、この、俺の苦しみを! 貴様こそ目を背けているのだ。理解しようとしていないのだ。無知ゆえに、俺の為すことを貶めようとしているのだ。だから俺は……ッ」

 それに対し、鳳凰丸はッ!

「何を言いつのろうと無駄だ、夢殿救世。僕は、今から君を制裁する。君の性根を叩き潰し、君が間違っているとわからせる……そしてそのうえで!」

 鳳凰丸はッ!

「決して諦めてなどいない」

 そう、鳳凰丸は。

「君も、誰もかも。鹿苑も、盧舎那くんも、神峯さんも、疎水南禅も、あの中宮だって……退学したみんなを含めて、すべての生徒が! 一緒になって卒業することを、僕は諦めてなんかいない。僕は君とは違う。決して絶望に逃げたりするものか……僕は諦めないぞ。希望に満ちた卒業を迎えることを……」

 鳳凰丸はッ!

「僕は、決して諦めなどしないッ!」

 救世はその時──
 微笑みを浮かべていた。

「やはり、貴様は眩しいな、鳳凰丸」

 しかし直後、その瞳は冷たく閃いていた。

「だが遅すぎた。なにもかも、すべてが」

 刀の闇が、戦鎚を押し返す。救世は闇をまとい、流れるように動く。そして。

「……暗夜凶路」

 鋭い金属音。再び戦鎚の頭が宙を舞った。

 しかし……鳳凰丸には、そうなることがわかっていた。そして、冷静に見ていた。床に落ちる「それ」を、鳳凰丸は、冷静に見ていた。

 だから。

 戦鎚の頭が宙を舞うのと同時。鳳凰丸は、救世の横をすり抜けるように前転していた。

「鳳凰丸ッ!」

 救世は鳳凰丸を追うように、残影をともない反転。刀を振りおろす。鳳凰丸は床に落ちる「それ」を拾いあげる。そして身を捻り、

「救世ッ!」

 最大の気迫とともに刺突を繰りだす。

 救世は……

「無駄だ」

 暗夜凶路。

 再び闇が閃いた。冷たい金属音が鳴り響くなか、救世は、目を見開いていた。折れ、飛んでいるのは……救世の和刀だ。救世はその刹那の間で、鳳凰丸の手にした武器を見た。そして、理解した。

 それは竹刀だった。
 南円堂阿修羅の、竹刀。

 次の瞬間──

「救世……夢殿、救世ッ!」

 竹刀は、救世の脳天を貫いていた。

 弾けとぶ、血と、脳漿。

ⅲに続く

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