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#60 スペキュラティヴ・デザイン

大切な人のDNAをリンゴの木に移して植えられるとしたら
その実をあなたはどうしますか?
そもそもそんな木を植えますか?

世界が変化して、いろいろなことが起こっていく中で
求められるものは、導いてくれる誰かではなく、
「個人がきちんと立ち向かう覚悟とその準備」だと思います。

買ってから、だいぶ寝かしていた本でしたが
今まで読まなかったことを後悔しました。
いやでも、今読んだから面白かったのかもしれないですね。

1.デザインって

デザインを検索すると下記のように出てきます。

何らかの目的や機能を持つものを作り出すための計画や構想

Weblio辞書

一般的には、商業的デザイナー(服とかロゴとか)を
想像する方が多いと思いますが、
本書においては、その範囲に収まらない、構想を考えることだと理解しています。

この本を読んだ上で、私の言葉で説明すると、デザインとは
「目に見えない何かを、目に見える形にすること」です。

2.「起こりそう」「起こってもおかしくない」未来

PPPP図というもので、未来について説明をしています。
PPPPとは
Present(現在)、Possible(起こりうる)、Plausible(起こってもおかしくない)、Probable(起こりそう)の四つとPreferable(望ましい)で構成される
私たちと今と想像する未来を示す図です。


PPPP図

例えば空飛ぶ車とかは、何十年か前までは、Plausible(起こってもおかしくない)だったものが、Possible(起こりうる)とかProbable(起こりそう)にまで近づいているというのが現状かと思います。

この、起こりうる未来と起こりそうな未来のちょうどいい狭間を突く
そんなデザインが必要です。

また、もう一点大事なのが
Preferable(望ましい)の立ち位置です。
普遍的な望ましいものはなく、あくまでその時代や状態、社会状況に応じて変化するとも言っています。

私たちにとって必要なのは、テクノロジーの進歩に合わせて常に変わる
Possible(起こりうる)Probable(起こりそう)Plausible(起こってもおかしくない)の境界を知覚した上で
「私たちにとってのPreferable(望ましい)未来をどう捉えるか」だと
私は感じています。

3.クリティカル・デザイン

大学院で最初にやる授業が
「クリティカル・シンキング」でした。

クリティカルシンキングとは、直訳すると批判的思考とかになっちゃいますが
私の理解では、どちらかというと「客観的思考」の方が近いです。
目の前のファクトを疑い、事実を確かめ、
足元を踏み固めるようにしながら、ロジックを立てて思考をしていく
そんな考え方に近いです。

同様な考え方で「クリティカル・デザイン」という概念があります。
アイデアに関するデザインの「コンセプチュアル・デザイン」の一部です。

「当たり前を疑うデザイン」とも本書では表現されています。

例えば、パソコンって持ち歩けないんだろうか、とか
個人が家や自動車を持たず生活する、とか
何年か前の当たり前を疑いながら、批評的に世界を切り取り
デザインし、発信する。

そのもう一歩先が「スペキュラティヴ・デザイン」だと私は理解しています。
世の中を批評的に切り取るだけでなく、
そこに思考の余白を作るものだと。

当たり前を疑い、それを知覚した人たちに問いを立てる
それが私の理解した「スペキュラティヴ・デザイン」です。

4.映像と文学とデザイン

スペキュラティヴ・デザインの表現にも色々あります。
「映像」「文学」「写真」「物体」などなど。

文学世界のスペキュラティヴ・デザインは想像に容易いかと思います。
〇〇年ごの日本がこうなってて、みたいな本を読んだことがある人は
いるんではないかと思います。
そして、それに合わせて、
自分や自分の子孫の生活を想像した方も少なくないのでは。

同様に映像でも、同様な経験をしたことがある人はいるのではないでしょうか。

少し、その映画か何かを思い出してみてください。
その世界は、どんな広告が流れていましたか?
どんな車に乗って、どんなものを食べていましたか?

映像作成にあたり、どうしても詳細を描かないといけない場面が多いです。
何かを表現するために、必要な周辺情報が他のコンテンツに比べても多いです。
そして、それは受信者を受け身にします。
食べ物をハンバーガーにしてしまうし、車の延長線上の乗り物にしてしまいます。
ほんとはもっと自由なはずなのに。

一方文学は、必要なことしか書かないです。
おそらく今書いている感想のように、みんな受け取ったものは違うと思います。
それこそが、スペキュラティヴ・デザインにとって重要なことだと理解しました。

「完璧なものはこれ以上削るものがなくなったもの」なんて言いますが
余白があって、そこを想像したり議論できる。
そんな表現がきっと相性がいいのでしょうね。

5.科学とデザイン

科学とデザインの関係についても、言及しています。

・科学のためのデザイン(design for science)
・科学と手を取るデザイン(design for with science)
・科学を通じたデザイン(design through science)
・科学に関するデザイン(design about science)

スペキュラティヴ・デザイン

上記が、科学とデザインの関係性の例です。
今や、世界と科学は切って切り離せないです。
技術革新や、研究開発から見つかる新たな発見で、日々進化しています。

一方でそれに合わせて
技術やテクノロジーとどうコラボレーションするかも問われています。

科学はある意味、考え方のOSになってきているとも私は感じています。
その科学とどう向き合い付き合うのか、
そのOSにバグがあること、アップデートが必要なことをどう気づくのか、
それがこの世界のスピードでは難しいと思います。

波に流されて、ついたところはどこになるんでしょうか。

科学技術のスピードと進化があるからこそ、
どう主体的にデザインするか、
またその役割をどうみんなで担うかが重要だとおもいます。

6.最後に

改めて、非常に面白かったです。
書籍の中にも、実際のデザイナーの方の作品がたくさん掲載されており
それを見るたびに、
私自身も世界を違う角度で切り取り、未来を想像することができました。

今足元の社会課題はたくさんあると思います。
自分の周りにも気づいていない世界もあるし、
意図せずしてだれかを傷つけていることもありうると思っています。
そんな世界だからこそ、
必要なのは方針とその方針をみんなで考えていくプロセスだと信じています。

私自身は、経済発展だけでなく
みんなが自分を大切に生活できるような社会があるべきだと思っており
多様な地域が誰それにとってのセーフティネットにになりうると信じています。

でもそれさえも、本書を読んで考えさせられました。
本書の後半に「国家をデザインする思考実験」の詳細があります。
それを読んでいて、私のユートピアはもっと具体化するとどうなるんだろう
一見すると、この思考実験で私が「ウッ」となった要素が生まれないか。
そんなことを考えました。

これからの正解のない世界で
どうやって社会を構築していくのか、輪郭をなぞっていくのか
「感じ、考えるのを辞めないでいよう」と改めて強く思いました。


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