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地球の輪郭を垣間みることができるK席に座って、ぼんやりと外を眺めていた。

同行者のいない気楽な機内で何料理なのかわからない食事をして、ひと足先に封切りされる映画を、安っぽい優越感をもってひととおり鑑賞してしまったあとのことだった。

飛行機の座席記号はなぜかAから順番につけられていない。
何らかの効率を上げるためとか、発音による誤認を防ぐためだとか、それにはきっと意味があるのだろう。

その気になれば、機内のWi-Fiサービスにスマホを接続し、ネットで検索すればすぐに答えは出るのだろうが、なぜかそうする気は起きなかった。

財布からこぼれ落ち、排水溝の穴の際でかろうじて止まったコインをあわてて拾い上げようとした手が、あらぬ動きをしてコインを昏い水の中に落としてしまったときのように、自分の反射を信じない方が良い場合もある。

ともかく、未知のルールでつけられた席記号の意味は、知らない方が良いと判断した。

「窓際の席記号はKである」

この事実に意味を持たせたくなかった。
もし知ってしまうと、K席に座りたいと思う自分の気持ちに、いらぬ判断基準が加わり、今となってはほんの少しか残っていない純真さが失われてしまうのではないかと思った。

隣の通路に面したH席に座る方が、頻尿気味なのにアルコール摂取を我慢できない身としては正しい選択だろう。

隣人が巨漢で、テーブルを出しっぱなしでいびきをかいて寝るタイプの人間だったらどうしようか、という不安を感じなくて済むならなおさらだ。

オンラインでチケットを予約するときは、いつもこんな葛藤をしながら、最終的にK席を選ぶ。
そんなK席の胴体側にあけられた小さな窓から外を眺めていたときのことだった。

地上に雨を降らせているであろう、密度の高い一面の雲が眼下に広がっていた。
その雲の上の透き通った青いグラデーションの向こうに機影が見えた。

丸い鼻と切長の目がこちらに向かってやってくる。
同じ方角へ向かってランデブーする僚機ではなく、反対側からやってきたレジスタンスがぐんぐんと近づいてくる。

衝突する!

そう感じて機影を確認してからどれくらいの時間が経ったのか、正確に言えないほど感覚器官が過敏に反応していて、ほんの数秒だったのか数分のことだったのかはわからない。

衝突すると感じた時にはすでにすれ違いはじめていた。
その姿は、自分の目が魚眼レンズになったかのように、異様な膨張と収縮を連続させていた。

その刹那、僕はあちらの機体のK席の窓に、黒い小さな眼を見た。
いや、見た気がする。

国際線ジェット機の巡航速度はおよそ900km/h
双方が同じ速度ですれ違ったなら、相対速度は1800km/h

マッハ1.47の速度ですれ違った機体の窓の奥を、眼球の最大運動速度で追従できるとは思えない。

しかも、実際には相当な安全距離を保って飛行していたはずだから、いくら視力が良くても見えるはずがない。
それでも、確かに、黒い小さな眼を見た気がしたのだ。


同じ速度で、同じ方向へ進む人と眼を合わせるのは容易だ。
しかし、それはいつしか惰性になり、容易だからと眼を合わせることに無自覚になってしまうかもしれない。

自分と全く違う方向に、さまざまな速度で進む人たちと眼を合わせることは容易でない。すれ違ったことにすら気づかないかもしれない。
むしろ自覚的にすれ違っているとも言える。

世界に眼を向けて何かを見ようとするならば、相対速度がどれくらい速かろうとも、自分の眼はある一点に焦点を合わすことができるのではないか。
そうしてはじめて知ることができるのではないか。
そんなことを気づかせてくれた。

このときみた光景はもしかしたら白昼夢だったのかもしれないけれども。

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