コンセプト、それを人は愛と呼ぶんだぜ。
あの日の僕は、なぜあんなメールを送ってしまったのか。
寒気が猛威をふるい思考回路が凍りついたせいでしょうか。
現場で決断につぐ決断をし、脳の判断回路が焼き切れたせいでしょうか。
新規事業で受ける補助金の実績報告が近づき焦っていたからでしょうか。
わかってる。どれも違う。
先週「コンペに参加する理由」というnoteを書きました。
そしてこの投稿をした数日後、結果が届きました。
盛大に負けました。
数年ぶりの半徹夜(完全徹夜する体力はもう、ない。)でプレゼンの準備をし、午後からのプレゼンに臨んだ。
夕方に事務所に戻り、担当スタッフに「あの反応をみると、五分五分ってとこかなぁ」などと、今となっては文字にするのも恥ずかしい言葉を、楽観的なニヤケ顔で吐き出していた。
疲労のピークを迎えていたので残業もそこそこに帰宅し、湯船に浮かぶ子どもたちの新陳代謝の成果物を洗面器で慎重に、できるだけ湯を無駄にしないようにすくっては捨てる作業を繰り返し、冬サウナの外気浴よろしく体を芯まで冷やしてからようやく湯船で温まった。
明日は早朝から終日現場だからと早々にベッドに入ったが、いっこうに睡魔が訪れない。興奮していたんだろう。3時頃にようやく眠りにありついた。
翌日、睡眠不足のなか現場打ち合わせに参加し、合間の休憩中にメーラーを立ち上げる。
未読メールがならぶ中、主催者(社長)から届いた「結果のご連絡」というタイトルに目が釘付けになる。
早い!
判断早いって!
判断が早いのは、買い物に付き添っていった相手が服を選ぶ時だけで結構です。
恐る恐るメールを開くと、そこには就活生が受け取る「お祈りメール」と同じ匂いのする、丁寧さと簡潔さが心をサクサク刺してくるテキストがあった。
お、おぉん、、
そうですか。負けですか。
こうして僕らが来期に食べるはずだった絵に描いた餅はなくなった。
メールをみた休憩後も現場での決断の連続はつづいた。
できる限り冷静に、ミスのないように最適な判断をしていたと思うが、ときおり結果のことが頭に浮かび、上の空になっていたかもしれない。
コンペの結果は評価をセットでお届けいただきたい。
「負け」という結果は字面通りに受け取っているけれども、どこかモヤモヤする心もちだった。
それは「なぜ負けたか」がわからないからだ。
点数を競うテストならば、負け=正答率が低かった以外に理由はないのだけど、デザインのコンペにおいてはプランの良し悪しやデザインの優劣といった項目は「好み」の部分があるから、どこをどう評価されたか非常に気になった。
そんな理由と隠しきれない悔しさを下敷きにして、社長へ質問メールを送った。
・勝敗の決め手となった部分はどんなところでしたか?
・当方の案が相手より優れている点があるとしたらどこですか?(なければ回答不要です)
これに加え、公共建築のプロポーザルでは一般的に公開される、評価項目とそれぞれにおける配点表を独自につくり、点数をつけてほしいという水が瞬時に沸騰するほどの熱を入れてしまった。(できることなら民間の一般的に行われるコンペでもこういった仕組みで評価していただけると、今後の課題がわかって良いと思うのだが、、)
今改めて文字に起こすと狂気じみていると思うのだが、メールを書いたときの心境は正常ではなかった。
夜中に書いたラブレターを翌朝に読むと即座にやぶり捨てたくなるアレと同じ状況をつくってしまったのである。
負けを納得したいという至極個人的なわがままでつくられた異常な熱量のメールを受けとり、社長は迷惑千万だったことだろう。
冒頭で「なぜ送ってしまったのか」と書いたメールはこれのことだ。
この時点でかなりのイタさであるが、送って後悔した最大の理由はこのあと起こることによる。
コンテンツの量、かけた時間に圧倒的な差があった。
クライアントの会社とは付き合いが長く、それゆえ仲の良い社員さんがいた。
社長にメールを送ったあと、ふと彼に、相手がどんなプレゼンテーションをしたのか聞くことができるのでは?と思った。即座にチャットアプリでメッセージを送った。
「今日のプレゼンのことやけど」
「うん、見た見た。お疲れ様でした」
「相手の、その、プレゼン内容なんやけど、どんな感じやった?」
「それね。内容は詳しく言えんけど、これこれこんな内容があって、、」
「それとさらにこんなんも、、」
・・・マジで?そんなに?
もういい、これ以上言わないでくれ。
星野源とガッキーが結婚したという情報を目に、耳にしたくなかったときのように、僕は耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えた。(引用元わかる人友達になろう)
これを聞いて即座に勝てるわけがなかったと悟った。
コンテンツの量とそれらにかけた時間に圧倒的に差があることが、プレゼン資料を見ずともありありとわかった。
意気消沈してチャットを終える。
そして次に襲ってきた感情は、社長にに送ってしまったメールへの後悔だった。
圧倒的な差がある案を見ながら、良いところを絞り出さねばならず、やさし〜く追い払おうとしたカメムシから臭いの反撃をくらったような表情をしている社長を想像して恥ずかしくなった。
穴があったら入りたい。
そういえば、事務所前の敷地ではちょうど杭打ち工事をしていて、人が入れる大きさのそれはそれは深い穴がある。
ここに入って上に建つマンション住人の安全を願う人柱になろうと思った。
コンセプトはクライアントへの愛である。
プレゼンコンテンツの量と時間が敗因であると言ったけど、負けた最大の要因は「コンセプト」を策定しなかったことにあると思う。
建築学科を卒業してインテリア業界に入り、ふれる機会がほとんどなかった大きめの建築の案件に鼻息を荒くしていた。
ここぞとばかりに構造や構成、外観の検討に夢中になり、普段の仕事では決まって策定する「コンセプト」をつくらなかった。
今となっては「なぜに?」と自分でも疑問に対する回答が得られないのだが、それほどカタチづくりに夢中になっていたらしい。
コンセプトはデザインのみならず、あらゆるプロジェクトに揺るがない太い幹を存在させる。
枝葉に話題や思考が飛んだとしても、立ち戻ってくることができる道標としてとして機能する。そして、コンセプトはプロジェクトに対する愛であふれる言葉やビジュアルで表現される。
つくり手がプロジェクトを愛さなければ、いったい誰が何をつくれると言うのか。
クライアントの立場からコンセプトを見ると、自分たちの思いを代弁し、進むべき道を示してくれるものである。
そしてそのコンセプトを元につくられるさまざまな提案や成果物は、プロジェクト愛に対するアンサーであり、生き生きと成長できる枝葉である。
こんな大事なところを僕はあっさりと見過ごしていた。
おそらく競合相手は、クライアント企業の社是やウェブサイトに掲載されているミッションやビジョンを紐解き、コンセプトを策定しているはずだ。
そうであれば、プランニングやファサードデザイン、マテリアルといった要素はそのコンセプトを軸に、一貫性のある説得力を持って策定されているだろう。
この時点で勝負は決まっている。完敗だ。
月並みだけど、この歳になってだけど、勉強になった。
ちなみに、社長は送ったメールに真摯に対応してくださった。
狂気をまとった配点表に丁寧に点数を入れ、「挙げた採点項目以外に気になる点があれば教えてください」との書き込みに対しては、項目を追加してくれて「ここはこうだったらよかった」「ここが気になった」とアドバイスをくれた。
付き合いの長い僕への忖度がありありと見える、点差の小さな採点表を見てさらに落ち込んだけど、この頃には恥ずかしさや悔しさといった感情はなくなっていて、代わりに「まだまだやれることがたくさんある」「伸び代まだある」と感じていた。
人間いつまでも勉強が必要である。
とはいうものの、実際にこの歳になってデザインにおける基本的なことに立ち返るにはプライドが邪魔するんだなと思った。
しかしこのようにnoteで書いてしまえば、否が応でもここまでの思考をさらすことになる。
こうして安いプライドを捨てることができれば、まだまだあたらしいことを吸収できるようになるだろう。
最後に。
コンペの参加経験が少ない僕に、コンペに勝った時のプレゼンシートを見せてくれて応援してくれたF氏。
合成用の敷地写真をドローンで撮影してくれたO氏。
せっかくお手伝いいただいたのに、良い結果を報告できずにすまん!
何かでお返しさせて欲しい。
さぁ、次や次!
まだまだこれから。
建築・インテリアなど空間デザインに関わる人へ有用な記事を提供できるように努めます。特に小さな組織やそういった組織に飛び込む新社会人の役に立ちたいと思っております。 この活動に共感いただける方にサポートいただけますと、とても嬉しいです。