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瀬戸忍者捕物帳 4話 『黒い気』 4

肩を落とした茜はトボトボと帰路についた。

黒田の同心屋敷からそう離れていない場所に、茜の住まう同心屋敷がある。元気なく門をくぐり、茜は庭を通って玄関の戸を開けた。

「母さん、ただいまー。」

父・大助が殺された後は、茜は母と二人でこの広い同心屋敷に住んでいる。

「おかえり、茜。疲れたろう、先にお風呂入るかい?」

柔らかい笑顔が特徴の茜の母は、名はお藤(おふじ)といい、大助が亡くなった後も気丈に茜を支え続けている。

「あ、お風呂?うん・・・そうだね。」

「茜、なんか元気ないね。なにかあった?」

「ううん、大丈夫!なんでもないから!はは・・・」

茜は無理矢理笑顔を作ってお藤に見せた。だが茜のほっぺたの筋肉が少し引きつった様子を母は見逃さなかった。

「茜、無理はおよし。同心のお仕事大変なんでしょ?別にしんどかったら、いつでも辞めていいんだからね?」

娘が同心の仕事を始めてからというもの、母は毎日娘が無事に帰ってくるか心配だった。父が殺された時に娘が家業を継ぐと言い出した時は母は本当に腰を抜かしそうになった。母はその時も何度も何度も茜を説得し、家業を継がないようにと説得してきた。だが茜はとうとう自分の意思を曲げなかった。母としては強い子に育ってくれてうれしいと思う反面、その融通の利かなさがいつか茜自身を苦しめるのではないかという心配もある。

「ありがとう、でも大丈夫だよ!」

茜はそれでも気丈に振る舞った。

「おねがい、自分の命は大切にしてね。あなたまで失ったら・・・母さんは・・・」

と母は思わず涙ぐんでしまったが、茜は母の体を優しく抱きしめて安心させた。

「大丈夫だって!ほらあたし小さい頃から頑丈だったでしょ?安心して!危ないことには手を出さないから!」

口ではそういったが、やはり父を殺した烏天狗を捕まえたいというのが茜の本音だ。だがこれ以上母に心配をかけたくはない。母を思ってこその嘘であった。


日が暮れて来た頃、茜は外に設置してある五右衛門風呂に入って汗を流した後、浴衣に着替えて母とともに食事を楽しんだ。その時も茜は出来るだけ明るく接したが、今日起こったことが胸を締め付け、もやもやとした感情が茜の心から出て行かない。そんな気持ちのまま、食事を終えた茜は自分の部屋へ行き、布団を敷いて寝る準備をした。

「ふう、なんか疲れた。」

鏡の前で髪を梳かしながら茜はため息を付いた。

「明日、あの夫婦の所に謝りに行かなくちゃ。あたし結局何も出来なかった・・・。」

蝋燭の火を消し、布団に入って仰向けに寝た時に茜は自分の目が飛び出るかと思った。

天井の板が一枚外れていて、そこから蝋燭の火に灯された不気味な皐のニコニコ顔が見えたのだ。

「どぅわあああぁーーーー!!!!」

奇声を発せずにはいられなかった。なぜ自分の部屋に皐が忍び込んでいるのか!?茜は常識はずれな皐の行動に茜はパニックを起こした。

その奇声を聞き駆けつけたお藤は茜の部屋の障子を開け何事かと心配した。その時には天井板は一旦閉じられていて、皐の姿はお藤からは見えなくなっていた。

「ああ!か、母さん!ごめんなさい・・・ちょ・・・ちょっと悪い夢を見ちゃって・・・はは・・・」

「あんた本当に大丈夫?」

お藤はいよいよ茜のことが心配になってきた。同心の仕事がそれほどストレスのかかる仕事なのであれば、母としてはこれ以上娘に無理をさせる訳にはいかない。母は再び娘に仕事を辞めることの説得を試みたが、やはり茜の返事は変わらない。

「ありがとう、でもあたしは大丈夫だから!ほ・・・本当よ!はは・・・はは・・・」

まあそもそもこの奇声は同心の仕事云々よりも、皐という変人の行動によってもたらされたのであるから、母が心配するようなことではないのだが、娘の大声を聞いた親としては娘の精神が心配になったに違いない。

そうはいうもののお藤は茜が大丈夫というなら、そう信じるしかない。お藤は心配そうな顔を見せながら襖を閉じた。

それから少し経って、母の気配が消えた時に皐は再び天井のパネルを一枚外して、そこから茜の枕元に飛び降りて来た。

「あんた正気!?ここで何してんのよ!非常識よ!」

再び母に気付かれる訳にはいかないので、茜は声を落として皐に言った。

「ふふふ、茜さんの浴衣姿も美しいですねえ。」

と皐は茜の髪を降ろした浴衣姿(特に胸の辺り)をじろじろ見た。

「何をのうのうと!!女の子の部屋に忍び込むとはいい度胸ね!!このおおお!!」

茜はこれでもかというぐらいの力で両手で皐の首をぎゅうっと締め付けた。

「ゔゔゔっ・・・!ちょ・・・・あか・・ね・・さん・・・し・・・しぬ・・・」

皐は茜の手をパンパンと叩き、手を離してくれ、と訴えた。

「どういう神経してんのよあんたは!!」

「だって、茜さんの様子が気になったから・・・つい・・・忍び込んじゃいました!」

皐は茜の父・大助の岡っ引きもしていたので、茜の屋敷がどこにあるかは把握していた。

「つい忍び込んじゃいました!じゃない!・・・はっ!あんた・・・もしかして・・・お風呂も覗き込んでたんじゃないでしょうね・・・。」

まさかとは思うが、自分の入浴姿まで皐に見られてしまったのだろうか?

「ふふふ、いい『形』でしたねえ。」

皐は目の保養が出来ましたとばかりに頬を赤らめた。

「この!殺してやる!!」

今回ばかりは完全に頭にきた茜は全身全霊のヘッドロックを皐にお見舞いした。

「ぐゔゔゔ!冗談ですよ!嘘です!みてませんから・・・うそですって・・・!ギブ!ギブ!あかねさん・・・ほんとうに・・・しんじゃう・・・!」

皐は本当に意識が遠のき始めた。限界ギリギリの所で茜はロックを解除した。

「ふーっ!ふーっ!もし次にこういうことしたら・・・分かってるでしょうね!?本当に殺すわよ!?」

「げほっ!げほっ!あー死ぬかと思った・・・。同心がそんな物騒な言葉を使うもんじゃありませんよ・・・。」

ちょっとした冗談のつもりが、まさか茜に殺されそうになるとは思ってなかった。だが茜の怒りはそれで収まらず、鏡台の引き出しから先っぽが鋭く尖った簪(かんざし)を取り出して来てそれを皐の首に突きつけた。この時ばかりは茜の顔は凶悪犯そのものであった。

「あたしは本気よ!約束しなさい・・・もう二度としないと。」

「は・・・はい、約束します・・・もう二度と茜さんのお家には忍び込みません・・・」

茜の鬼のような表情に心底ビビってしまう皐なのであった。

「で!?何の用!?」

「あ、いや、その後どうなったのかなーと思いまして。」

「やっぱり黒田さんも賄賂を受け取っていたわ。」

茜はふうっとため息をつき、落胆した様子だった。

「そうでしたか。」

「それに・・・奉行所には報告するなって。勝手なことはするなって、止められた。あたし、納得できないよ。だって同心のみんなはこの街を良くしようと思って働いてる訳でしょ?なのに・・・こんなひどい詐欺師を野放しにしておくなんて・・・。あたし、あの夫婦になんて言ったら良いのよ・・・。」

茜の言葉が震えている。泣き出しそうになっているのを必死でこらえているのだ。

「茜さんは純粋ですねえ。」

皐は顔をぐっと茜の方へ近づけて、ニッコリ顔を見せた。

「ちょっと、近いわよ!・・・純粋・・・それは悪いことなの?」

「いいえ。ですが世の中は不純であふれかえっています。いくらきれいごとを望もうと、大きな力の前では意味をなさない。正義が常に勝つのは御伽草子の中だけです。」

茜は無言で皐の言葉に耳を傾けていた。

「僕は小さい頃から忍びとして育てられた。徹底して殺しの技術を叩き込まれた。正直に言いますが・・・もちろん戦争では多くの者を手にかけて来た。」

皐は自分の両手を見た。

「皐・・・」

「僕の両手は血で汚れています・・・。不本意でしたが・・・戦争という不条理に翻弄されてきた。今でも時々あの時の悪夢を見ますよ。僕が斬った人たちの苦しみの表情が瞼に焼き付いてね。」

口元は笑ってはいたが、珍しく皐が表情を曇らせた。

「あんたもいろいろあったんだね・・・」

「でも茜さんはそうじゃない。茜さんは何色にも染まっていない。だから僕は長上寺でうれしかったんですよ!」

「えっ、何が?」

「あの時、茜さんが心付けを受け取らなかった事に対してです。大助さん正義感が、茜さんにちゃんと受け継がれているんだ、と。そう思いました!」

皐はまた満面の笑みを浮かべた。

「父さんの?・・・父さんなら・・・やっぱり賄賂受け取らなかったのかな?」

「多分受け取らなかったんじゃないですかね〜。」

「父さんってどんな人だった?」

「ふふ、茜さんのように、純粋で正義感の強い人でしたよ!まっ、今の茜さんは大助さんの足下にも及ばない、頼りなーい存在ですけどねっ!」

「悪かったな!」

茜は軽く皐の頬を殴った。

「でも、いいじゃないですか!今は確かに駆け出し同心で頼りない部分もありますけど、茜さんは努力家だ。これからちょっとずつ、ちょっとずつ、大きくなっていけば良いんです。僕はそんな純粋で、我武者羅(がむしゃら)な茜さんが大好きですけどね!」

「皐・・・」

いつも適当なことばかり言う皐だが、こうして励ましてくれる時は非常に心強いものがある。茜はふとこの男と父はどういう調子で行動を共にしていたのか想像をしてみた。この男は父に対しても自由な行動で困らせていたのだろうか?堅物だった父が皐に振り回される様子を思い浮かべたら、茜から自然に笑みがこぼれてきた。

皐もそんな茜の表情を見て安心した。

「さて、話がまとまったところで、一緒にお布団に入ってすやすやしましょ・・・」

皐が掛け布団をめくりかけた所で、いつも通り、茜からパンチが飛んで来た。

「何でそうなるんだ!さっさと帰れ!!」

「はい、ずみまぜん。おやずみなざい・・・。」

顔面に拳を受けた皐は鼻頭を手で押さえながら部屋を静かに出て行った。

「はあ・・・まったく・・・母さんに気づかれるんじゃないよ!?」

ため息をついた茜であるが、皐の温かい言葉が胸にしみた。

「ありがとう、皐。」と小声で呟き床に入った。

足音を少しもたてず、茜の屋敷から脱出した皐はタートルネック部分になっている布で口元を隠し、十手を腰帯から取り出した。

「ふふ、茜さん、あなたの気持ちは無駄にしませんよ。さてと、もう一軒忍び込みに行きますか。」

皐は目にも止まらない速さで夜の街を駆け抜け、長上寺へと急いだ。

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