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瀬戸忍者捕物帳 4話 『黒い気』 5

今夜の月は下弦で美しく輝いている。虫達のさえずりが僅かに聞こえる静かな夜だ。

長上寺の門番の双子の僧は退屈そうに見張りをしていた。

「今日も馬鹿な客ばかりだったな。右慶(うけい)。」

左の若僧が右の若僧に言った。

「ああ、金を落としてくれる頭の悪い客ばかりだ。左慶(さけい)」

右の若僧が言った。

暇つぶしにこういった短い会話をしていいた双子の若僧・左慶と右慶だが、突然聞きなじみのない声が聞こえた。

「客を馬鹿だというのはいかがなものですかねえ。」

思いがけない声に驚いた双子はあたりをきょろきょろと見回したが声の主は見つからなかった。

「だれだ?」

「不審者め!出てこい!」

二人は門を背に長い棒を構えた。やはり双子ということもあり、構えるタイミングも同じだし、棒を構える二人の体勢も左右対称だ。

だが声の主はどこにも見当たらなかった。

「何かいたか、左慶?」

「いや、右慶。だれもいねえ。」

二人がしばらくきょろきょろしていると、

「鈍いですねえ、ここですよ。」

と今度は二人の後ろから声が聞こえた。驚いて双子僧が後ろを振り向くと、なんと忍者装束の皐が自分たちと門の間に立っているではないか。

「き、貴様!」

「何者だ!」

口元を黒い布で隠していたので、昼間に会った同心の岡っ引きだとは認識していないようだ。音もなく現れた忍者に一瞬慌てる双子だったが、さっと向きを変え、皐の方に棒を向けた。

「和尚さんにお話があります。通してくれますか?」

皐はニッコリと笑いながら言ったが、双子は聞く耳を持たず皐への攻撃を開始した。左慶と右慶は同時に棒を皐の顔に向け突きつけたが、皐はそれをしゃがんで難なく交わし、二人の僧の間の地面を体をくるりと回転させながら移動し反対側に躍り出た。

「むっ!?交わしたか!」

「おのれ!ちょろちょろと!」

この双子は喋る時は必ず交互にと言葉を発するようだ。

すっと立ち上がった皐は、両手につけている手甲のうち、左腕の方の手甲に隠してある細い筒状の物を右手で取り出した。

「通してほしいと言っただけなのに、攻撃してくるとは・・・あなた達はまともなお話が出来ないんですかねえ。」

と言った時には二人の攻撃がまた始まっていた。体格では双子の方が恵まれていて、力強い攻撃を間隙なく放ってくるが、いくら打てども皐の体には擦りもしない。

「どうやらまともにお話しできないようですねえ。ま、いいですよ。最初から忍び込むつもりで来ましたので。」

ひょいひょいと二人の攻撃を躱しながら言った皐だが、ほんの僅かの隙を見せた時に、口元を覆うマスクを下げ、筒状の物を口にくわえ、勢い良く息を吹き込んだ。そう、吹き矢である。放たれた小さな矢は左慶の首元に刺さり、矢に塗ってある麻酔薬の影響で左慶はあっという間に気を失って倒れてしまった。たったの一撃で倒されてしまった左慶に驚き、これまた僅かな隙を見せた右慶は、続いて皐から放たれた二発目の矢を受けて倒れてしまった。

「さあて、こういう大きい建物だと、より忍び甲斐がありますねえ。」

双子の門番をあっさり倒した皐は腰につけた道具袋から先端に鈎(かぎ)が付いた縄を取り出して投げ、大きな門の上の瓦に引っ掛け、それを利用して壁をすばやく上り寺内に忍び込んだ。



その頃、寺の一室でぐっすりと眠っていた道念和尚だったが、何か嫌な胸騒ぎがして目を覚ましていた。

「・・・おい、だれか!?だれかいるか!?少し水をくれんか!?」

道念はやや大きな声で言ったが、反応は無かった。金に執着する道念は寺の警備も怠らない。毎晩交代で何名かは起きて夜の番をする。通常であれば道念の呼びかけに誰かは答えるはずである。

「誰もいないのか?」

道念は寝間着である白衣のまま布団から出た道念は閉じられている襖に近づき、勢い良く開けた。

「おい!寝ているのか!?え・・・?」

道念の目の前には見張りをしているはずの僧がいびきをかきながら床で寝ている。この僧は茜達か昼間来たときに、嫌みな対応をした僧である。だがこの僧だけでなく他の夜当番の僧もぐっすりと寝ているようだった。

「貴様ら!何をしている!おい!!だれか!!起きろ!!」

道念は大声で叫び、寺の物を起こそうとしたが、やはり寺の内部は静まり返り、誰一人返事を返さなかった。

「な・・・なんだ・・・どういうことだ・・・?ん・・・この匂いは・・・?」

道念は寺の内部に立ちこめる甘い匂いに気がついた。どうやら道念の寝室以外には既にこの匂いが充満しているようだった。

「まさか・・・毒か!?」

慌てて寝室に戻り、襖を閉めた道念。そこへ突然寝室の中から声がした。

「毒ではありませんよ。」

「ひゃああ!!」と奇声を発して驚いた道念はすっかり腰を抜かして、畳の上に尻餅を付いてしまった。

真っ暗な部屋の中を目を凝らして見ると、全身黒ずくめ、口元をマスクで覆った忍者がさっきまで誰もいなかった自分の部屋の中に立っているではないか。

「残念ながら、みんなすやすやとおねんね中ですねえ。心静まる特性のお香をこの部屋以外すべてに焚いてきましたから、しばらくは誰も起きてこられません。」

寺の内部に忍び込んだ皐は誰にも気づかれずに皆を眠らせ、道念の部屋まで到達したのである。

「だっだれだ!?いつからそこに!?」

「あっ、失礼。顔を覆ってちゃ誰だか分からないですよね。僕です。女同心の岡っ引きです。」

皐は口元を覆うマスクを下へずらし、ニコリと笑った。

「あのヘラヘラした岡っ引きか!一体何の用だ!?あの女は奉行所に報告をするのだろう?話すことはこれ以上ないはずだ!」

「それがですねえ。どうやら他の同心さんから止められたみたいなんですよ。あなた、かなりの数の同心たちに金で根回ししてるんじゃありません?」

「ふん!なんの事かさっぱりだ!」

「なるほど、あくまでこの商売を続けて庶民から金を毟り取ろうというわけですか。」

「何度も言うが、わしは詐欺などしておらん!」

「・・・わかりました。でも気を付けてくださいよ。悪いことをしていると誰かの怒りを買ってしまうものです。例えばこれを見てください。」

皐は右手の手甲に仕込んだ吹き矢を取り出した。

「この吹き矢の針には即効性の毒が塗ってあります。刺されば即その場でもがき苦しんで死ぬ。」

実際に塗られているのはただの麻酔薬だが、皐はあえて噓を言った。

「例えばその怒りをかった者がこの寺へ忍び込み、誰にも気付かれずにあなたにこの吹き矢を差し、あなたを亡き者にしてしまうかもしれませんよ?例えばですがね。」

「き・・・貴様!わしを脅す気か!?」

「とんでもない!これは例えばの話で、僕はあなたを毒殺する気なんてまーーったくないんですから!僕の言葉を勝手に解釈するのはあなたの勝手ですがね。」

皐は昼間道念が茜に言ったような言い回しをわざとらしく道念に言い返した。

「うう・・・貴様・・・一体何が望みだ?」

道念の顔は青ざめている。そんな道念に対して一歩一歩と近づく皐。

「僕の望みは茜さんの望みと同じ。この街で困っている人々を見過ごすわけにはいかない。茜さんは本当に傷ついていた。あの夫婦のために自分は何もできなかったと。おまえのくだらない賄賂のせいでほかの同心から奉行所への報告を止められたそうだ。許せない。これ以上茜さんを困らせるようなことをしてみろ。どうなるか分かっているだろうな?」

皐はわざとトーンを落とし、殺気を込めていった。

「ふん!そ・・・そんな脅しに動じるわしでは・・・」

道念がそう言いかけた時に皐は吹き矢の先端を咥えて道念に向けた。

「わわわ・・・分かった!ちょっと待て!あの夫婦からこれ以上金を取ることはしない!今までの金も返す!約束する!い・・・いや!も・・・もうどの客に対しても高額の商品を売ることはしねえ!そ・・・それでいいか?頼む、命だけは勘弁してくれ!」

道念の体からは尋常じゃないほどの汗が全身から噴き出しており、命乞いに必死だった。

「この屋敷へはいつでもこうやって侵入することができる。今日それを証明して見せた。俺の姿を二度と見たくなければ、くだらない詐欺など止めることだな。まっとうな商売をしろ。」

震える道念を尻目に皐はくるりと振り返り、寺から出ていこうとしたが、不意に思い浮かんだ疑問が皐の足を止めた。

「しかしどうしても分からないことがあります。あなたは茜さんの体の悪い所や、あの夫婦の体の悪い部分を言い当てた。そんな妙技を見せられれば町人があなたの力を盲信してしまうのも納得ができます。どういうカラクリなんですか?種明かしをしてください。」

皐が振り返ると道念は相変わらず全身の震えを止められずにいた。まるで丸腰で山の中で熊に出会った時のごとく、道念は怯えきっていた。

「おまえ・・・一体・・・何人もの人々を殺してきた?」

「えっ?」

突然の道念の問いに皐は戸惑った。

「き・・・貴様!ひょっとして戦場にいたんじゃないか?戦争中に何人もの兵士を殺してきたな?どす黒い『気』がお前に纏わりついているからな・・・」

「これは驚いた・・・あなた、本当に『気が見える』んですか?」

皐は目を見開いて驚いた。今まで超能力とか霊能力とか言った胡散臭い輩を数多見てきた皐だが、本物には出会ったことがない。この道念の能力は本物なのだろうか。

皐は過去を思い出した。自分は忍びとして徹底して殺しの技術を教え込まれ、戦場ではその技術を駆使して戦った。時には暗殺にも手を染めた。不本意ではあったが幾多の人々をその手にかけて来たのは紛れもない事実であった。

皐は最初に道念と会った時のことを思い出した。確かに最初からこの男は皐のことを煙たい目で見ていたのだ。それは最初から道念には皐にまとわりつく『黒い気』を感じていたからなのだ。

「色だ・・・。俺は色が見えるんだよ。」

道念はさらに続ける。

「色?」

「そうだ。全ての人間は『気』を纏っている。俺にはそれが色として見えるんだ。健康な奴は黄色とか緑とか・・・明るい色が見える。またその色でわしは相性を判断するのだ。だが・・・例えばあの女同心のように、体を痛めて悪い所があれば、その部分だけ色がくすんで見える。」

それは『共感覚』と呼ばれるもので、例えば文字を見たときに一緒に色が見えてしまったり、またはドレミファソラシドの音階に味を感じたりなど、ある刺激が普通感じる感覚器官とはまた別の感覚器官にも連動して感じてしまう現象だ。道念の場合、人を見たときに、その人の持つ性格・性質を色で感じ取ってしまう特殊能力があるようだ。

「そしてお前のような人殺しには・・・どす黒い怨嗟の気が取り巻いてるんだ!いままでお前が殺して来た者達のなっ!」

「なるほど・・・。それで茜さんの体の悪い部位を言い当てられたんですか。」

皐は納得がいった。だがそれゆえに許せない部分もある。

「残念ですよ。そんないい能力を持っていながら、人の役に立てるのではなく、悪用するとはね。その能力をうまく使えばあなたは成人君主にもなれたかもしれないのに・・・」

皐はひとつため息をついた。

「けっ!世の中金だ!信頼できるのはいつでも金なんだよ!」

何か過去にトラブルでもあったのだろうか?道念からは人間を嫌悪するような空気を感じられた。

「でもお金がいつでもあなたを守ってくれるわけではありませんよ。どれだけ警備を厚くしても、いざとなれば誰にも気付かれずに僕は簡単にここへ忍び込んでみせる。僕が纏っているという、そのドス黒い怨嗟の一部に加わわりたくなければ、身の振り方をよおく考えてください。」

「くそっ!全く災難だ。テメエのようなドス黒い気を持った奴が他にも街にいるからこんな山奥まで引っ込んでるってのに・・・世の中には安息の地は無いってか!?」

「何?」

道念の言葉に皐は食らいついた。

「俺の他にも似たような『黒い気』を纏ったものがいるということか?」

皐は表情を変え、再び道念に近づいた。

「ああ・・・そんな奴に限って人前ではいいツラしやがる・・・テメエのようにな。ったく、瀬戸ってのは恐ろしい街だぜ。」

もしかしたらそいつが皐と茜の追っている烏天狗かもしれない。

「だれだ!?俺のように黒い気を纏ったやつってのは!?そいつは烏天狗か!?」

皐の言葉が乱暴になる。

「お、おい!どうしたんだ!?ま、まってくれ!こ、殺さないで!」

皐に胸元を掴まれた道念はまた怯え始めた。

「殺されたくなければ誰かを言え!」

柄にもなく皐は力強く道念の体を揺さぶる。

「ど・・・同心だよ・・・!わしの賄賂を躊躇いもなく受け取ったあの同心だ。」

皐は嫌な予感がした。もしも烏天狗が同心であったのなら茜の身にも危険が及ぶ。

「穏やかそうな見た目だが・・・ありゃかなりヤバイ奴だぜ!?そいつが今世間を騒がせている烏天狗なのかどうかは分からねえがな・・・」

「だから誰だ!?」

皐は半ば我を忘れて道念を問いただした。

「ひいい!ひ・・・髭を蓄えたやつだよ!た・・・確か・・・黒田っていう・・・。」

その道念の言葉を聞いた瞬間、皐の腕は力が抜け、道念の着物から自然に放してしまった。その場にぺたんと座り込む道念。

「そんな・・・まさか・・・黒田が・・・『烏天狗』・・・?」

皐の背筋に戦慄が走り、しばらく身動きができなかった。

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