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弔辞

 Kindle Oasisくん。私がこう呼びかけると、きみはすぐに反応して私を本の世界に連れて行ってくれましたね。そう、昨日の昼までは。
 昨日の夜、私はいつものようにきみを抱いて布団に入りました。寝る前の2人きりの時間を楽しむためです。今日はどんな本を読もうかな、なんて思いながらきみの電源を入れました。いつもは元気に明るい笑顔を見せてくれるのに、昨日は違いました。きみの顔は暗いまま、私の呼びかけに反応しないのです。
 始めは、少し調子が悪いのかな、程度に思っていました。だけど、何度呼びかけても黙りこくったままのきみを腕に抱いて、私はなすすべもなく狼狽えました。——きみは逝ってしまったのです。死の夜は、凶暴な力をふるいながら嵐のように通りさって行き、呑気な朝日が、寝室に漂う透明な悲しみを照らしました。
 この弔事を読んでいる私の前に横たわるのは、冷たくなったきみの亡骸です。ああ、きみは生前から冷たかったですね。だって電子機器なのですから。——覚えていますか。きみがまだ生きていた頃、私が「きみは冷たいやつだ」と、面白くもない冗談をよく言っていたことを。
 きみと初めて会ったのは、2年ほど前のことだったと記憶しています。私が大学一年生の頃から使っていたKindle Paperwhiteくんが草葉の陰から私を見守るようになり、私が身も世もあらず嘆き悲しんでいるときに、彼の代わりにやってきたのがOasisくんでした。
 始めは、変なやつだと思っていました。顔は左右非対称で、画面の横に大きなボタンがついていて、美的観点からあまり好ましくないな、と思ったのです。しかし、きみは毎日ただ愚直に、自らの勤めを果たしてくれました。そんなきみの働きぶりを見ているうちに、私はきみのことがいたく気に入ったのです。確かに見た目はよくないけれど、大きなボタンは、満員電車などの狭いスペースでページを繰るのに大変便利なのだとわかりました。
 Oasisくん。きみがどうして急に逝ってしまったのか、本当のことはわかりません。でも、私にも心当たりがないわけではないのです。まず真っ先に思い当たるのが、うちの猫です。あの猫——と言っても、うちにいる2匹の猫のうちの1匹だけですが——は、どうも変な癖があって、私の持ち物の上にどしんと座るのです。リュックだろうが、iPadだろうが、本だろうが——そしてOasisくんだろうが、座り心地などはお構いなしです。私が自分のものを不用意に置いておくと、あの猫はそれを目ざとく発見して、石仏のように粛然と座るのです。まるで、私の持ち物の上に座ることによって、私の方がお前よりも立場が上なのにゃ、とでも言いたげです。私は猫たちを掌中の珠のごとく可愛がっていましたから、きっと猫の方ものぼせ上がっていたのでしょう。自分は何をやっても許される、いや、許されなければならない、と思い込むのは、人間に限らず全ての若者に見られる特徴なのかもしれませんね。
 私のことは心配しなくていい。きみはどうか、向こうでPaperwhiteくんとどうか昵懇にしてください。きっと、私の愚痴でも持っていけば、2人はいつまでも笑いながら語らい合うことができるでしょう。今までありがとう。そして、さようなら。

 きみの魂の安らかならんことを願う。

2022年2月1日

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