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日本のアート市場再興、若い芸術家に「持続可能」な環境を

 青森県の八戸市を中心とする県南部で広く読まれている地元紙「デーリー東北」。同紙の人気コラムで複数の寄稿者が執筆する『私見創見』を2020年から約2カ月に1度のペースで書いています。
 第10回は2021年12月14日付から。筆者の故郷にある八戸市美術館が同年11月に建て替え・再開業したタイミングに絡めて、バブル後の日本で失われてしまったアートの収集・再販売市場の再興について考えました。
(※掲載時の内容から一部、変更・修正している場合があります)

2021年11月3日にリニューアル開業した八戸市美術館。コンセプトは「アートを通した出会いが人を育み、人の成長が街を創る出会いと学びのアートファーム」だという。

旧館を建て替えて2021年11月3日に再開業した八戸市美術館(2022年5月、筆者撮影)

ファームとは耕す場。地元の若者がアートに触れる機会を増やしてタネを発芽させ、育てて、「100年後の八戸を創造する美術館」(八戸市美術館ウェブサイト)を目指す長期思考だ。

ライフネット生命の創業者でもある出口治明・立命館大学アジア太平洋大学学長は、現代人の教養と創造性を高める出会いに「人、本、旅」の三つをよく挙げる。面白い人に会う、万巻の本を読む、そして単に旅行だけでなく「現場に出向くこと」が重要と出口さんは指摘する。

これに加えて、優れたアート=芸術に出会うことも意義深く、重要だと筆者は信じている。

大量の現代アート作品とその買い手に圧倒された経験がある。2018年に訪問した「アート・バーゼル香港」でのこと。バーゼルは仏独との国境に接するスイス第3の都市だ。世界最大の高級時計見本市が毎年開かれる街で、美術品の売買も盛んだ。1970年に現地の美術商らが始めた現代芸術フェアがアート・バーゼルで、今では現地バーゼルのほか米マイアミと香港で毎年開催される。

この3拠点はそれぞれ欧州、米州、アジアの富裕層を集めるのが狙いだろう。1994年から富裕層向け資産拡大業務で世界最大の金融機関であるUSB(スイス)がパートナーとなり、アートを収集したい世界各地のお金持ちを招待する場となった。

会場には各国・地域から約300の有力ギャラリー(画廊・美術商)が出展し、何千という現代アート作品が並ぶ。これらが全て売りもので、収集家や美術商らに即売される。

2018年のアート・バーゼル香港も、バブルの様相を見せていた中国の経済拡大を背景に本土からを中心に約8万人の富裕層が訪れた。東京・銀座で1928年創業の日動画廊(東京都中央区)はこの年、熊谷守一や藤田嗣治といった日本人巨匠の貴重な作品を中心に展示した。

「ART BASEL 2018 Hong Kong」に出展した日動画廊のブース。
手前の彫刻(銅)は流政之・作「防人(Sakimori)」

展示会場にいた日動画廊の長谷川智恵子副社長は「中国のお客さまは皆、スニーカーを履いて歩き回り、次々と買うものを決めています」と話し、「当社が展示している熊谷守一の数千万円級はさすがに即決が無理でも、数百万円の作品を数点、買っていく人はいました」と打ち明ける。

日本人の現代アート作品も会場には非常に多く、壁一面を埋める巨大作品や、電子映像を活用したインスタレーション作品など意欲作が並んでいた。いずれもアジア系コレクターの買い手が付き、ある日本の作家は「もう海外でしか売れませんね」と話していた。

1980年代後半のバブル期に「世界の美術品を買いあさった」と言われた日本だが、美術品の売買市場は既に「壊滅的状況だ」と、ある美術商は話す。希少な作品は国内の美術館にまだ多いが、現代アートの作家を新たに掘り起こし、作品に対価を支払い、芸術家として活動できるよう育てる生態系は日本から喪失したというのだ。

USBと英調査会社アーツ・エコノミクスの調べによると、コロナ禍が始まった2020年、美術品・骨董品への世界の支出額は2019年比22%減の約501億ドル(約5兆6870億円)。うち42%を米国が占め、次いで英国と中国が20%ずつ。中国は世界同率2位になっているのだ。ちなみに日本は調査対象の10カ国・地域(米・英・中と仏、独、伊、香港、台湾、シンガポール、メキシコ)にさえ数えられていない。

美術でも音楽でも、芸術を志す優秀な若者が「食べていけないからやめろ」と言われる日本。だが中国など他の地域では、そこそこの才能でも生活できる生態系が存在するのだ。芸術との出会いの場が失われ、資金も環流しない日本で、アートは持続可能性のない分野になっていないだろうか。

昨今、サステナビリティ(持続可能性)重視を強調する企業は芸術分野にもっと目を向けてよいし、カネのある者は芸術家育成にもっと投資すべきだろう。

次代を担う若者に芸術への意欲を芽吹かせようと挑む八戸市美術館の取り組みに期待しつつ、日本の若い芸術家が世界で活躍できる環境の再構築を、富裕層には求めたい。

(初出:デーリー東北紙『私見創見』2021年12月14日付。為替レート、社会状況については掲載時点でのものです)

※扉の写真は2018年3月28日、「ART BASEL HONG KONG」で展示された台湾人アーティスト、Chou Yu-Cheng氏の作品『Refresh, Sacrifice, New Hygiene, Infection, Clean, Robot, Air, Housekeeping, www.agentbong.com, Cigarette, Dyson, Modern People, 2017』の様子

【後記】記事が出てから約3年。その後の日本でも株高が続き、またブロックチェーン技術を使ったデジタル資産、NFT(非代替性トークン)の人気化などから、国内でもアート作品への投資が再び注目を集めるようになってきているようです。

 特に若い世代がアート作品の売買(収集)に注目しつつあるようで、かつてバブル期に盛んになった「投資対象としてのアート」としてだけでなく、作品購入による“推し活”といった傾向も出始めています。
 アート作品を保管するだけでなく、自社ギャラリーでの展示も行なっている寺田倉庫なども、若手アーティストを支援する目的で「TERRADA ART AWARD」などを実施しています。(※関連記事↓)

 漫画やアニメ作品が豊富にあり、“推し”となる対象には困らない日本には、円安もあって海外からの投資が集まってきているようです。こうした動きがアーティストの活動を支えるようになって、日本人作家がもっともっと世界に羽ばたいていくような環境をもっと造り上げていければ、と期待しています。

(了)

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