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かおりちゃんのむらさきかがみを未だに全然許してない

小さい女だった。



経験上、僕をいじめる女の子はみんな身体が小さかったので、小さい女の子は女と呼ぶことに決めていた。当時から。

かおりちゃんと同じクラスになった時はかなり警戒した。無論、小さい女だったからである。






今になって思い返せば、かおりちゃんにいじめられた記憶はほとんどない。

かと言って、かおりちゃんの印象が残っていないわけでもない。その気になればいくらでも思い出は引っ張り出せる。




例えば、毎日全ての鉛筆をきれいに削ってから学校に来るかおりちゃんが、珍しく僕に「鉛筆を貸してほしい」とお願いしてきたあの朝。

かおりちゃんは僕の鉛筆を1本借りるなり、真っ二つに折った。「あ、折れた!!」と叫ぶかおりちゃんの笑顔は、未だに僕の頭から離れない。



例えば、僕が大事に使っていた黒い縄跳び。グリップに重りとベアリングが入っていて、二重跳びの際のスピードと安定感が格段に向上するとされる、言わば縄跳び界の瞬足たるあの黒い縄跳び(商品名はよく覚えていない)。

かおりちゃんはあの黒い縄跳びを僕から奪い取るなり、およそ小学生ではほどけないレベルでギチギチに結び尽くした。


実際にその結び目がほどけるまでの数週間、100均の水色の縄跳びを、グリップに砂を詰めてせこせこ使わなければならなかったあの屈辱を僕は忘れない。




例えば、今なら人気ロックバンドとかぶるって理由でイケてるけど、当時は存在感が無いどころかブヨブヨした食感で気持ち悪さすらあったあの謎の食べ物、"マカロニ"というあだ名で呼ばれ続けた。

マカロニと呼ばれる度に「その名で僕を呼ぶな!」と憤ってはいたものの、僕をマカロニと呼ぶのはかおりちゃんしかいなかったため、特別感というか、優越感というか、なんとも言い難い感情を覚えたものである。

この感情に未だ名前は付けられていないが、少なくとも「好き」の感情ではなかったらしい(出典:男子小学生辞典)。










かおりちゃんは学業の成績が良かった。それも、僕のような半端な成績の良さではなく、クラスで一、二を争うレベルでの成績の良さである。

男子の鉛筆を笑って折るような女が学級随一の才女である、なんなら僕より頭が良いという事実は心底気に食わなかったが、かおりちゃんは公文だか早稲アカだかの塾に通っていたらしい(情報提供:同じクラスの川野さん)ので、良しとした。


僕だって塾に通っていれば、かおりちゃんと拮抗していたはずなのだ。

あまり調子に乗るなよ。





さて、小学生の内から勉強ができる奴は、大抵読書が好きである。かおりちゃんも例外ではない。

僕たちの小学校の図書室には、年間で100冊本を借りると図書カードがゴールドになるシステムが存在していた。


かおりちゃんは4年だか5年だか、連続でその図書カードを金ピカに輝かせていた。つまり6年間で借りた本の総数は、500はくだらない。

くだらない。



かおりちゃんは「ニック・シャドウ」だの「怪談レストラン」だの、怖い児童誌をよく読んでいた。

「ニック・シャドウ」は僕も勧められて読んだが、あまりにも怖すぎて図書室に返せなかった。もう一度あの本に触れたら呪われると思っていたからである。

23歳になった今なお、あのシリーズは小学校の図書室から追放するべきであると考えている。



ホラー好きのかおりちゃんのことだから、かおりちゃんから"むらさきかがみ"なる言葉を教わった時も、特段驚きはしなかった。










いやめちゃくちゃ動揺した。家帰って枕濡らしながら寝た。

むらさきかがみとは、20歳まで覚えていると死ぬとされている、いかにも未成年のクソガキが考えそうな呪いの言葉である。

かおりちゃんは僕の鉛筆を折った時や、僕の縄跳びをグチャグチャに結んだ時と同じ笑顔で、僕にその呪詛をかけた。小4の夏のことだった。







まぁ、僕が今23歳で、むらさきかがみに関する思い出を書いている時点で、この呪いの効果がどれほどのものかは言わずもがなである。

それに、むらさきかがみにまつわる思い出なども特にはない。僕の他に被害者を出したくなかったので、誰にも言えずに1人で恐れていたからである。

ただ1人、語るほどのエピソードもないまま10年間も悩み続けていた。




強いてエピソードを挙げるとすれば、この呪いによって僕が異常に死を恐れ出した可能性がある。


小4でむらさきかがみを覚えてからというもの、

小5ではマヤ文明の人類滅亡の予言が、計算ミスだったみたいで2011年10月28日のXデーを恐れ、

小6ではマヤ文明の人類滅亡の予言が、やっぱり計算合ってたみたいで2012年12月22日のXデーを恐れ、

中1では太陽フレアのフォトンベルトがなんちゃらを恐れ、

中2ではフリーメイソンが密かに計画していたと言われるW杯でのウイルス散布を恐れ、

中3ではシンプルに死ぬのが怖くなった。


一度悩んでしまうと、それがどれほどくだらないことだとしても問題が解決するまで半年でも一年でも悩み続けてしまう、23歳になった今でも治っていないこの悪癖。思い返せばむらさきかがみから始まったのかもしれない。



そういう意味では呪いだったのだと思う。
20歳を過ぎても全然解けてくれなかった。




かおりちゃんとの仲は小学校までだった。
特段仲が良かったわけではなく、この手の女に苦手意識を持っていたので、中学でクラスが変われば関わることはすっかり無くなった。

ただ、中学1年時の「1年で1番嫌いな男子は?(調査対象:かおりちゃんのクラスの女子ほぼ全員)」は断トツで僕だったらしい。
かおりちゃんの仕業だと思った。


高校は知らないが、どうせ偏差値の高い女子校か何かに進学したのだろうし、大学は早稲田だかGMARCHだかに入ったとか、入っていないとかいう噂である。
それが嘘だと言い切れないほどかおりちゃんは勉強ができたので、やはり心底気に食わなかった。

逆に、それ以外の大学に進学していたら嘘つき呼ばわりしようと目論んでいた。


早稲田やGMARCHでなかったところで、別にかおりちゃん自身が嘘をついていたわけではないのだけれど。









成人式ではかおりちゃんに重なる恨みを晴らそうと思っていた。

死にはしなかったけど、かおりちゃんのせいでそこそこ人生に支障が出ているのだ。



しかし、いくら見回しても式の会場にかおりちゃんの姿は無かった。

正直、成人式の女子は誰も彼も同じように見えるので判別がつかなかったが、かおりちゃんだけは分かっているつもりだった。ドラゴンボールでいう、「邪悪な気」を放っているからだ。



それを加味してもやはりかおりちゃんはいなかった。





死んでしまったのだろうか。むらさきなんちゃらで。







結局かおりちゃんに全然復讐できてないし、全然許せてない。

僕が13年も呪われている一方で、かおりちゃんは恐らくは高学歴女だ。死んでなければ。
きっと丸の内あたりをヒールでカツカツ歩いているのだろう。死んでなければ。

本当に本当に気に食わない。




今はただ、いつかの朝会の帰りに見た、かおりちゃんが階段に脛をぶつけて大泣きしていたあの光景を思い出しながら「ざまあみろ」と心の中で笑うことだけが、僕の溜飲を下げている。


まぁ、今でこそざまあみろだけど、当時はかおりちゃんの泣いている姿を見て、嬉しいような、悲しいような、不思議な気持ちになったことをよく覚えている。


この感情に未だ名前は付けられていないが、少なくとも「好き」の感情ではなかったらしい(出典:男子小学生辞典)。


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