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こんにちは。
いつも記事を見て頂き、ありがとうございます。

ここまでNoteを書き続けられるのは、1人1人が見てくれいる事を実感し、1人で紡ぎあげた言葉が、皆さんの心に届いている事を実感出来ているからだったりします。

また、いつも人を励ます記事を書いてくださる皆様、ありがとうございます。きっと、見えない所で、誰かが今日も勇気づけられていると思います。

今回は、INFJさんが直面するであろう『悔しさと悲しさ』について、書いていければと思います。

誰かが言わなければ、気弱で弱虫な、風前の灯火の様に、儚いINFJさんにとって、言えないことになってしまいそうなので、重い腰を上げつつ、INFJさんが抱える『悔しさと悲しさ』について触れていこうと思います。


1.悔しい事と、悲しい事の毎日から成り立っている人生。

INFJのと診断された方も、それぞれ私とは異なった人生と経験をされていると思いますので、ひとまとめに話す事は出来ません。

ですので、共感できる所は共感できる、共感できない所は飛ばし読みで、よろしくお願い致します。

残念ながら、私の人生は、基本的に悔しさと悲しさで構成されています。

楽しさと喜びを感じて日々生きれたらとは思いますが、残念ながらその機能は備わっていないようです。

悔しさと悲しさは、基本的に自分自身の人生で経験するものですが、他者が経験した人生や毎日の生活で、見えてしまうものです。

例えば、病院で乱暴な言葉遣いをする親を見た時。

例えば、道端に捨てられ、くたくたになるまで踏み躙られた紙パックを見た時。

例えば、誰にも理解されず、生きている心地がしない現実を生きてる方を見た時。

例えば、相手の心と感情を配慮しない発言を聞いた時。

例えば、頑張っているのに誰にも褒めて貰えない方を見た時。

私の心はひどく悲しくなり、同時に悔しくなってしまいます。

なぜ、子供にその様な乱暴な言葉を浴びせる事が出来るのか。

なぜ、道端にゴミを捨てることが出来るのか。

なぜ、誰も彼/彼女の話を聞いてあげられないのだろうか。

なぜ、他者の心と感情に配慮した言葉選びが出来ないのだろうか。

なぜ、頑張っている方を勇気づけたり励ます言葉を言えないのだろうか。

普通は気が付かずに、もしくは見て見ぬふりをして生きていく事が賢い事だとは思いますが、見て見ぬふりが出来ないのが、きっとINFJさんであり、だからこそ、生きづらさを感じると思います。

1人1人が笑顔で、幸せに、澄み切った心で毎日を生きる為に、何が出来るのだろうか。それが、INFJ-Aとしての原点であったと感じます。

2.人が大好きだから、悔しいし悲しいということ。

INFJさんは、きっと『人が大好き』なんだと思います。少なくとも、私自身は人の事が、大好きです。

悩んでも。怒っても。悲しんでも。絶望しても。

傷つけられても。否定されても。踏まれても。貶されても。

『人を嫌いになることが出来ない。』

なぜならそれは、誰しもが、それぞれの『事情』を持っており、他者を意図的に傷つけてやろうとする方は少ないと考えるからです。

基本的には『性悪説』で生きてはいますが、1人1人やんごとない『理由』があり、本来心では望んでいない言動をしてしまう事が殆どだと思います。

例えば、病院で乱暴な言葉遣いをする親を見た時。
→夫婦関係が上手くいっていない、育児が上手くいっていないストレスから子供に感情的に当たり散らしてしまうのではないか。

例えば、道端に捨てられ、くたくたになるまで踏み躙られた紙パックを見た時。
→捨てたゴミを誰かが片付ける事に気を配れない程、心に余裕がなくなってしまう生活を送っているのではないか。

例えば、誰にも理解されず、生きている心地がしない現実を生きてる方を見た時。
→相手に伝わるように言語化する事に慣れていないのではないか、また周囲にあなたの心を気にかけてくれる方がいないのではないか。

例えば、相手の心と感情を配慮しない発言を聞いた時。
→相手の心と感情に配慮できないほど、プライドに執着してしまうのか、それとも心に余裕が無いくらいに追い詰めれているのではないか。

客観的に見て、全く持って損な生き方だと思います。他人の心配をするのであれば、まず自分の心配をと言われそうですが、それが出来そうにないのがINFJさんの儚さの正体であると思います。

どの様な事があろうと、その方には、その方しか話せない物語があるので、まずは話を聞かなければ始まらない。

そう思うのではないでしょうか。

INFJさんが人生で求めている事は、大切な人達と互いに励ましあい、心が通じ合える優しい世界を生ききる事なのではないかと思います。

しかし、現実はその様なものではなく、他者を騙し、利用し、私利私欲の為に生きるというのが、当たり前です。

その現実に対して、『悔しい。悲しい。』と思ってしまうのが、INFJさんなのもしれません。実際、本当に『悔しい』『悲しい』という言葉しか出てこないと思います。

●本来であれば、相手に伝わる言い回しや気遣いをすれば円滑に好き合えるのに、そうはならない現実が悔しい。

●本来であれば、お互いに励まし合う言葉を言い合い、背中を押して笑い合う関係が好ましいけれど、そうならない現実が悔しい。

●本来であれば、大切な家族とパートナーに花束を買って帰る日があれば心が満たされるのに、そうならない現実が悔しい。

世の中には、1人ではどうしようもない『悔しさと悲しさ』に満ち溢れており、他の方々が気が付かない事に容易に気がついてしまう、この特性を手放したいと考えた事があるのではないでしょうか。

『悔しさ』には様々な見方がありますが、INFJさんの『悔しさ』とは、

●笑顔と愛情がない、上辺だけの人間関係が普通だという常識が悔しい。

●心が通じ合わない、理解し合えないのが普通だという現状が悔しい。

●優しさと心遣いを使えない日々が悔しい。

ここまで書くと『悔しさと悲しさの塊』みたいに見えますが、多分、この悔しさが、どこか儚げで、消えそうな、それでも、瞳に強い意志を宿しているINFJさんの本質だと思います。

3.悔しさと悲しさが原動力。

悔しさと悲しさの塊の様な記事になりましたが、それでもまだ、自分には何か出来るのではないかと思い、記事を書いていたりします。

『悔しい』『悲しい』と感じる感情は、止めることが出来ずどうしようもない事です。

それは残念ながら、息をするように、当たり前の事であったりします。

大切な事は、その『悔しい』という感情をどの方向に向けるかという事になります。

嘆くだけで終わってしまうのか、それとも、感じ取った『悔しさ』『悲しさ』で、誰かの笑顔が曇らない為に、あなたには何をするのか。

●愛と優しさ、勇気と励ましを貰えない方に気がついたのであれば、その方が愛と優しさ、勇気と励ましを受け取れる為には、自分には何が出来るだろうか。

●辛く悲しい思いをしている方に気がついた時には、その方が笑顔になれるように、自分には何が出来るのだろうか。

●人生のどん底に居て涙も枯れ果ててしまった方に気がついた時には、その方がまた歩き出せるように、自分には何が出来るのだろうか。

そして、私がこのNoteで出来ることは、生きづらさを抱えているINFJさんの隣に座り、寄り添うことだと思いました。

The most I can do for my friend is simply be his friend.



Henry David Thoreau

私が友人のためにできることは、ただ彼の友人でいることだけです。



ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

『大丈夫。あなたは、独りじゃない。生き方の正解は分からないけれど、あなたが、あなたらしい吹っ切れた笑顔で毎日を生ききる事だけは、正解だと思う。その為に、出来る事を一緒に見つけよう。』

そんな風に、恥ずかしがらずに、バカ真面目に話してくれる人が、この80億の中でたった1人居ても、いいのではないでしょうか。

『悔しさ』『悲しさ』を抱え続ける毎日から、人の辛さに気が付き、悩みに気が付き、友人として横に居てくれる方が、この80億の中でたった1人居ても、いいのではないでしょうか。

私は、誰かの心に届き、その方が励まされたり、生きる希望が湧いてくる記事を書けているのだろうか。ちゃんと、励ませているだろうか。

そんな事を思いながら記事を書いていたりします。

『悔しさ』も、『悲しさ』も、誰かを励ます力と勇気になるのであれば、この辛さにも意味があった事だと思います。

現在、様々な事で悩んでいるINFJさんが、この記事を読んでいるのであれば、私から言える事は1つです。

『生きているのだから、まだ終わってない。まだ何か、あなたにも、私にも、出来る事があるはずだ。』

という事になります。

死にたいと思っている君へ。

君の苦しみは僕にはわからない。君の苦しみは君のものだ。君の身体にまとわり続ける、その苦しみだ。君を苦しめるその原因は、きっと君がどんな想いで日々を生きているか考えたこともない。

苦しいことさえ知らないかもしれない。起きて、ご飯を食べて、トイレに行って、家を出て、歩いて、帰って、お風呂に入って、眠るまでの間、ずっと鉛のように君にまとわり続けるその苦しさを想像したこともきっとない。

 朝目覚めて、全部あの苦しさは夢だったんじゃないかと本気で願ったりする気持ちなんか想像もできないと思う。

 君の苦しさを何ひとつ知らないのに、僕は言う。無責任かもしれないけど言う。僕は君に生きていてほしい。君がおじいちゃんやおばあちゃんになるまで生きていてほしい。

 こんな優しくなくて、不平等で、残酷で、嘘うそつきばっかりで、やってられない世界だけど、それでもやっぱり生きていてほしい。こんな狂った世界なんだから、君が苦しかったり、悲しかったり、違和感を覚えるほうが自然だ。逃げ出したくなるのが当たり前だ。

 こんな狂った世界で当たり前の顔をして、疑問も持たず生きられる奴らの方がよっぽどどうかしている。あいつらの方がよっぽどおかしい。君がいなくなって、そんな奴らばっかりの世界になるのなんて、僕は嫌だ。

 君を今支配している悲しみ、苦しみ。それは一生は続かない。これだけは約束する。今そいつらに覆われていて、何も変わることはないと思っているかもしれない現状は、実はそんなことはない。

 「時間」を経ると物事は変化する。新しい景色が見える。新しい角度が見えてくる。「今」とは違う未来がくる。その時まで待てるなら待ってほしい、全力で逃げてもいい、叫んでもいい、泣いてもいい。君が操縦席に座る「君」という人を守ってあげてほしい。読んでくれて、ありがとう。

まだ、何も終わっていないはずです。一緒に頑張っていきましょう。

ライフコンサルタント
伊藤峻