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「コミュ力」と「対話」は反対語かもしれない


最後の最後に、大事なことを言いたい。
本だから、だれも止めるものがないので言える。
それは、他人と話す前に、「自分と話せ」ということだ。
まず、自分自身が自分と楽しく会話できなければ、
他者と会話することはできない。
   ―――田中泰延(『会って、話すこと』239頁)


▼▼▼北海道でいっぱい話した▼▼▼


札幌にいる。
(予定通りに行けばこのメルマガ配信時には東京に戻っている)

北海道滞在中、
いろんな人と「深い話」をした。

1対1とか3人とか、
そういう少人数で、
「人生に関する深い話」をした。
ある人とは2時間、
ある人とは3時間、
ある人とは5時間、
ある人とは7時間、
ある人とは9時間、
「深い話」をした。

僕はつくづく「深い話」を人とするのが大好きなんだ、
と思った。

時間の長さはあまり重要ではない。
重要なのはその会話の深さであって長さではないから。
でも、1時間で深い話をしろというのは無理だ。
会話が対話になり、対話が深い話になるのには、
ある程度時間がかかるのだ。
やはり最低でも1時間半はかかるのではないだろうか。
そこからが「本番」なのだ。

あなたは空港の保安ゲートに並んでいる。
手荷物とポケットの中身をトレーに入れ、
ゲートをくぐる。
荷物を回収し、自分の搭乗口まで広い空港内を歩く。
途中のスタバでラテを買ったり、
今のうちにトイレに行ったり、
動く歩道で人の集団をくぐり抜けたりしながら、
やっとのことで搭乗待合口に着く。
出発時刻の20分前という時間を守って。
ゲートから「グループ1~3の人」「グループ4の人」
みたいにして順番に座席に案内される。
自分の座席番号を確認しながら誘導され、
ビジネスクラスを通り過ぎるとき有名人がいないかチェックしたりして、
やっとあなたのシートにたどり着き、手荷物を足の下に置き、
やっと一息ついてシートベルトを締める。
イヤホンをして心落ち着ける人も、
ひたすら飛行機モードのKindleを読む僕のような人も、
家族への最後のLINEをする人も、
さっき買ったラテと飛行機の窓の写真を、
SNSにアップしているキラキラ女子もいる。

滑走路に飛行機が移動する。
それまでが案外長い。
ぐるぐるぐるぐる飛行場のなかをゆっくり移動し、
ついに滑走路で加速する。
轟音が鳴り、背中にGがかかり、
フワっと離陸する。
しばらくすると耳の内圧が上がる。
唾を飲み込んで空気を抜く。
最初は飛行機はかなり傾く。
きりもみ状に一回転するのかなと心配になる。
しばらくすると揺れる。
「ただいま雲の中を通過していますが
 安全な飛行に支障はありませんのでご安心ください」
またしばらくすると静かになる。
雲を抜けたのだ。
安定飛行に入ったのだ。
シートベルトランプが消え、
おしっこを我慢していた人がトイレに行き始める。

ここまでが、
会話が対話になり、対話が「深い話」になるプロセスだ。

「深い話」は「上空」なのだ。
飛行機と同じで、
保安ゲートから上空までは、
やはり1時間以上かかる。

安定飛行に入ってしまえば、
羽田空港から1時間なら関空に、
1時間半なら四国に、
2時間弱なら札幌や鹿児島に、
3時間弱なら沖縄に、
5時間ならタイに、
7時間ならインドネシアに、
9時間ならハワイに、
11時間ならロサンゼルスに着く。

「深い話」は、
その時間に応じて、
僕たちをいろんなところに連れて行き、
見たことのない風景を見せてくれる。

そんな「深い話」が僕は大好きなのだと、
北海道で思ったのだ。


▼▼▼きよくんとの対話▼▼▼


愛知に6年間いたとき、
きよくんという親友がいた。
蒲郡の教会で出会った。
学年では2つ上だが、
ほぼ生きてきた時代が同じなので、
同年齢といっても差し支えない。

当時の僕は豊橋市の職員だった。
彼は椅子をつくる工房でバイトしながら、
超教派のキリスト教の団体のスタッフをしていた。
ともに蒲郡の教会の若者のリーダーだった。
別に任命されたわけではないが、
二人が若い世代への情熱を共有していたから、
たまたまそうなっていったのだ。
蒲郡の教会(ICBC)は、人を「任命」したりしない。
やりたいやつがやればいい。
嫌ならやめればいい。
あくまで内発的な動機で人が働いていた。
僕はその文化が好きだった。

きよ君と僕は頻繁に語り合った。
夜中にファミレスで語り合ったこと数知れず、
車中で何時間も語り合ったこと数知れず、
教会で夜中まで語り合ったこと数知れず、
一人暮らしの僕の部屋で語り合ったこと数知れない。

あと、彼とはキリスト教の国際的な集まりにも何回か参加したから、
香港とかインドネシアとか、そういった国に、
一緒に飛行機で出かけたことも複数回ある。
あるとき、中部国際空港からジャカルタまで飛行機で移動した。
HISで2人分の格安チケットを取った。
7時間半ほどの飛行時間だったと思う。

空港の滑走路でシートベルトランプがついている時から、
僕たち2人は隣の席で語り合っていた。
そのまま語り合っていたら、
気付いたらジャカルタに着陸していた。
時間の経過をまったく意識しておらず、
到着したことに二人とも気付かなかった。
8時間、時間を忘れて語り合っていた。

僕たちは言った。
「まだ話し足りないね」

そんなわけあるかい!
である。

端から見たらそうなのだが、
主観的には本当に話し足りなかったのだ。

人生について。
宣教について。
教会について。
社会について。
政治について。
今の時代について。

ちなみにきよくんとは今でも年に二回、
Zoomで話すことにしていて、
直近で6時間話した。
人生や教会や僕たちの世代や宣教や世界について。
やっぱりまだ話したりなかった。
妻は「何をそんなに話すことがあるの?」と不思議がっている。
あのインドネシアへのフライトは、
まだ終わってないのだ。

「深い話」は、
僕たちを「無時間の世界」に連れて行ってくれる。
松本大洋の『ピンポン』終盤で、
覚醒したペコにドラゴンが言う。
「ここはいい。
 また連れて来てくれるか?」

ペコとドラゴンはあの試合で、
「長い対話」をしていたのだ。
言葉のない長い対話。
長い対話はやがて僕の言葉では「深い話」になる。
そしてそこは「いい」のだ。


▼▼▼深い話ができる人は多くない▼▼▼


きよくんと僕は20代の当時から、
同じクリスチャンでも、
「深い話」ができる人ってそう多くはないよね、
みたいな話もときどきした。

何か「選民思想」みたいで鼻につく発言ではある。
俺たちは深い話ができる人。
その他大勢の人はそれができない人。

非常に鼻につく。

当時の僕たちは若かったのだ。
20代で、何も知らなかった。

今なら分かる。
僕たちが「その他大勢」と呼んでいた人はそれぞれに、
その人それぞれの「深い話ができる相手」を持っていたのだ。
彼ら彼女らからすれば、僕たちの方こそ、
「深い話」ができないその他大勢のひとりだったのだ。

本当にそうだと思う。

僕は高校生同士の深い話に入っていけないし、
介護について話している、
60代女性同士の深い話に分け入れない。

そういうことだ。

だけど、もうひとつの視点もある。

人間というのはすべからく、
「会話」より「対話」が好きで、
「対話」より「深い話」が好きだ、
という前提で僕はずっと話しているが、
人によっては別にそう思ってない人もいる、
ということも今の僕になら分かる。

対話は「重い」。
深い話はもっと重い。
会話ぐらいが軽くて良い。
そういう人もいてもいいし、
100%肯定されてしかるべきだ。
全員がステーキを好きなわけじゃない。
湯豆腐が何よりも好きな人だっているのだ。

こう考えると、「深い話」というのは、
たまたま「深い話が好き」同士が出会ったときに起きる、
「幸運な出来事」なのだと分かる。
ゴルフ好き同士が一緒にホールを回れる幸運のように。
筋トレ好き同士が合トレできる幸運のように。


▼▼▼若者と「深い話」▼▼▼


でもね。

さらに、もうひとつ視点を付け加えさせてもらう。
この話がどこへ私たちを導いてくれるか分からないが、
最後にこのことだけ付け加えたい。

ビデオニュースで宮台真司さんが、
今の若者と30年前の若者の最も大きな差は、
「政治と恋愛と趣味の話ができない」ことだと繰り返している。
昔はできたが、今の若者は、
100人いたら99人がそういった話ができない。
大学で教える宮台さんはそう観察する。

なぜか。

政治の話はその人の「地」がでる。
地が出たとき、感情的な話になる。
それを酒飲んでたばこ吸いながら夜中まで話し合って、
時には手が出ちゃったりして、
それでも翌朝一緒に授業に出かけ、
一緒に肩を組んでカラオケで歌う。
それが80年代から90年代にも、
まだちょっとだけ残っていた大学生の行動様式だったが、
平成の30年で完全にそれは消失したと宮台さんは言う。

そういう「心の中の話」は歓迎されなくなったのだと。
なぜなら、「角が立つ」から。
そういう話をする人は、
「空気読めない奴」と言われて敬遠される。
だから今の学生は誰ひとり政治の話をしないのだという。
主張してる奴は裏アカでやってるが、
絶対に見つかってはならないのだという。

恋愛の話もそうだ。
感情が動きすぎる。
同級生3人が集まったとき、
恋愛の経験が違いすぎる。
生まれてから一度も付き合ったことない奴と、
彼女と同棲してる奴と、
最近彼女と別れた奴。
恋愛強者と恋愛弱者に別れる。
そうすると「角が立つ」。
だから恋愛の話はタブーなのだという。

趣味の話もタブーだ。
ジャニーズが好きな子と、
ジャニーズはあまり好きでない子が話す。
同じジャニーズでも「推し」が違う子が話す。
そうすると「角が立つ」。
だからそういう話をするのは「空気が読めない」ということになる。
やるときはネットでまったく同じ趣味趣向と分かった相手とだけ、
安心して匿名アカウントで共鳴し合う。
同級生とそれをやると「傷つく」から趣味の話はタブーなのだ。

宮台さんは今の若者を心配している。

それでどうやって友だちを作るんだ、と。
友だちって、違いを乗り越えた人のことだ。
『LISTEN』という本にこう書かれている。

〈自己心理学は、
オーストリアの精神分析学者ハインツ・コフートが1960年代に創始したもので、
ここ10年で広く受け入れられるようになりました。
人間関係に亀裂が入ってそれを修復した場合、
その部分は「つぎはぎ」というより、
むしろ人間関係の骨組みとなるものだと自己心理学では考えています。
あなたが信頼を寄せ、人生の中で
もっとも親近感を抱く人のことを考えてみてください。
一度あなたと仲たがいし、
それを乗り越えて元に戻った人たちのはずです。〉
(『LISTEN』171頁)

、、、衝突と修復を繰り返して、
人間関係は構造的に強くなる。
でも、今の若者は「空気至上主義」なので、
衝突の機会すら得られない。

そんな若者がどうなるのか。

宮台さんは昨年末、
首都大学東京の駐車場で刃物で襲撃され大けがを負った。
犯人はその後、自殺しているのが発見された。
諸般の事情で話せることと話せないことがあるとしつつ、
宮台さんは報道されていることをベースに動画で犯人について語った。
犯人はいわゆる「中高年引きこもり」の41歳の男性で、
社会のあらゆるつながりから隔絶されていた。
孤絶のなかで、彼はネットから情報を得ていた。
おそらくはネトウヨ系の情報もその中には入っており、
それが宮台さん襲撃の動機になったと思われるが、
警察はそこまでつっこんだことは発表していない。

この場合、問題はネトウヨではない。
問題は、想像を絶する彼の孤独だ。
もし彼がたまたまはまり込んだ情報が左翼組織だったなら、
襲撃されたのは宮台さんではなく、
麻生太郎や百田尚樹だったかもしれない。

宮台さんもまた犯人の思想自体をここでは問題にしていない。
むしろ宮台さんが言っていたのは、
エコーチャンバー、フィルターバブルの問題だ。
ネットでのみ情報収集すると、
アルゴリズムによるポジティブフィードバックで、
同じ情報がどんどんフィードされてくるようになる。
反対意見は排除され、視界に入るすべてが、
同じような思想の情報のみになってくる。
これは「ループ」するから、
人は「情報の自家中毒」になる。

その中毒の解毒剤は「会話」だ。
人と話すことだ。
「ディープステートが世界を操作してる?
 いやいや、それはさすがにないでしょ」
「ワクチンの中にマイクロチップ?
 サイズがまったく違うから無理だよ。
 それは自転車のカゴにジャンボジェットを搭載する、
 ってぐらいな荒唐無稽な話だよ」
こういった会話が「解毒剤」なのだが、
孤絶した個人はループから抜けられない。
孤絶した人がこれにはまり込むと、
脳内が巨大な共鳴室のようになって、
同じ声だけが脳内で自動反復するようになる。

宮台さんを襲った犯人は、
きっとこの状態に陥っていたのではないか、
と宮台さんは動画で言っていた。
米国で連続する無差別殺傷事件(その多くはヘイトクライム)も、
この理由で起きる。
犯人の脳内には音が共鳴している。
「黒人がアメリカを汚染している。
 黒人がアメリカを汚染している。
 黒人がアメリカを………」
気付いたら血みどろの教室で自動小銃を手にしていて、
最後に彼は自分の頭を打ち抜く。


▼▼▼コミュ力と対話▼▼▼


僕は何が言いたかったのか。

そう。

会話→対話→深い話

この順番で僕は好きだが、
そうでない人もいていいよね、
っていう話をした。

だけど、今の話を踏まえたとき、
宮台さんが言ってることをまとめれば、
「今の若者はおしなべて対話を避ける」って話になる。

「会話」以上には立ち入りたくないのだ。
「暑いよね」
「天気良いよね」
「あの先生むかつくよね」
「じゃあね、また明日」
自分にとって本当に切実な、
たとえば本当に好きな趣味の話、
恋愛の話、政治の話はできない。

対話や深い話ができない。

これって「それで良いよね」で済ませられるのだろうか、
と僕は思う。

あなたがどう思うか分からないが、
僕はやはり、問題だと思う。
問題というより、気の毒で、
さらに言えば上述した理由により「危険」だとも思う。

情報の自家中毒を防ぐのは、
その人の「対話能力」なのだと思う。
「会話能力」ではない。
いわゆる「コミュ力」といわれる、
周囲の空気を読んで、
当意即妙な受け答えをする能力は、
むしろ対話にとってはマイナスに働くこともあるのだ。

だって対話って、
あえて空気を読まず、
政治・恋愛・趣味の話をすることから始まるのだから。

僕は深い話をすることで、
本当に人生が豊かになったと思う。

そしてそれは昨今もてはやされる、
「コミュ力」とは実は反対にあるものなのではないだろうか。

空気なんて読まなくて良い。
本当に大切だと思うことは口に出せば良い。
当意即妙な受け答えなんて要らない。
何かを聞かれたとき、考え込めば良い。
まわりがざわざわしても、考え込め。
それで、次の日に、
「あれから1日考えたんだけど、
 俺はこうだと思うんだよね」
といって周囲を戸惑わせれば良い。

そこからきっと対話が始まり、
そこからきっと深い話が始まる。

いつまでターミナルをうろうろしてるんだ。
いつまで滑走路周辺をぐるぐる回ってるんだ。

飛べ。

雲を突き抜けろ。

「ここはいい」ぞ。

誰に向かって言ってるか分からないけど、
対話が怖いと思ってる、
今の若い人に、もっと言えば、
僕の子どもの世代に言ってるんだろうな。

早すぎる遺言のようにして。

たいしたものも遺せないだろうから、
こういうことだけは言っておきたいのだ。

自分がずいぶん老いたと思う。

終わり。



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参考文献および資料
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・『ピンポン』松本大洋
・『ビデオニュース』神保哲生主催
・『会って、話すこと』田中泰延
・『LISTEN』ケイト・マーフィ
・『フィルターバブル』イーライ・パリサー
・『一緒にいてもスマホ』シェリー・タークル


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